死神
ローザは密輸の件に関わっているかもしれないという話の工場の内部へと入った。
そこに入った瞬間、強烈な違和感と悪寒が込み上げてくる。
静かすぎる。不気味なほどの静寂。
普通、工場の中は例外なく機械の稼働音や鉄を槌で打つ甲高い音が響いていたりするものなのだが、ここはまるで廃工場かのように静かだった。
しかし、廃工場と違うのは、明らかに内部がつい最近まで――いや、ついさっきまで使われていたかのような状態なのだ。
ローザの額から冷たい汗が滴り落ちた。
静まり返った工場内を慎重に進むと、椅子に座る人が見えたので、近付いてみた。
「おい! どうなってるんだ? ここは……」
声をかけてみるが、反応は返ってこなかった。
寝ているのか、と思い、さらに近付いて肩に手をかけた。
「おい、聞いてるの――――」
刹那、その男の体は紐を切られた操り人形のようにぐらりと倒れる。
一気に背筋に悪寒が奔った。
その男の体の前面は赤く染まっており、首許からはまだゆっくりと血液が流れ続けていた。
「おい! 大丈夫か!」
肩を揺らして声をかけてみるが、全く反応はない。完全に息絶えていた。
手に付いた生温かくドロドロとした赤黒い血液を見ながら、その異様さに言葉を失った。
まるで、作業中に唐突にして殺されたかのような、本人も首許を切られたことに気付いていないかのような死に方。
しかし、そこで呆然自失するほど彼女の心は弱くなかった。いや、彼女の頭首たる使命感はそれほどに大きかったのだ。
なんとかことの真相を確かめようと、足音を殺しながら工場の奥へと向かう。その途中に見かけた技師達も皆同じように死んでいた。
それはまるで悪夢のようだった。姿も見えず、音も聞こえぬ死を齎す存在に、命を刈り取られたかのような――――。
薄氷を踏むように慎重に進んだ先に、扉で仕切られた部屋が見えた。ローザは数多くの工場に訪れて来たので、大体の構造は理解出来る。おそらくあそこは事務室か休憩室だろう。
開いたままになっていた扉に忍び寄り、隙間から中の様子を窺った。
内部は窓から差し込む光で照らされていた。どうやら、少ない技師で営んでいる工場のようで、席は少なかった。
部屋の奥に二つの人影が見える。
一方は椅子に座り項垂れていて、もう一方はその近くに立っていた。
逆光になっていて、そのふたりのシルエットだけが浮かんでいる。
立っているほうの人影が僅かに動いた瞬間、その手がきらりと光った。
生き残りがいたのでは――と、希望的観測を僅かに持ってはいたが、悪いほうの予想が当たる。その立っているほうの人物こそ、この工場の技師達の命を奪った死神だった。
ローザは単身ここに乗り込んだことを後悔した。それは、他の技師達の業務を滞らせない為の配慮だったのだが、明らかにこの状況を打破するにはひとりでは心許ない。
ローザは、その場でどうしようか逡巡し、固まった。
刹那――死神が振り返る。
奔る緊張。流れる冷や汗。早鐘を打つ心臓。
死神は闇に怪しく目を光らせる。
次いで手許で何かを確認したかと思うと、にやりと口許を歪めた。
(クソッ!)
こんな状況でもローザの胸中で強く主張するのは、恐怖ではなく、自分が統括するこの工業区で起こった問題を自分が解決せねばならぬ、という使命感。
ここで死んでは、あの死神を追うこともできない。たとえそれが、人ではなく本当に死神のような存在でも、必ず自分が見付けだして制裁を与える。それそが自分の使命だと思った。
絶体絶命の状況かと思われたが、その死神は大きく飛び上がり、高い位置にある窓を突き破って外に出た。
その瞬間に、その人影が死神などという幻影ではなく、実在する人間なのだとわかった。飛び去る瞬間に閃いた緑の光は、風の輝石の光だ。それに一瞬見えたシルエットから、細身の男であることが推し量れた。
しかし、だからこそ疑問が残る。なぜあの男は自分を始末しなかったのか。人間であるのならば、余計に目撃者を始末すべき――――
そこである考えに至り、彼女の足はそれと同時に動き出していた。
そう、あの男は完全に証拠隠滅しようとしているのだ。この工場ごと。
証拠隠滅が必要ということは、ここに世間の明るみに出てはいけないことがあるということ。
それはつまり――――
(本当だったのか)
密輸が行われていた、と考えると合点がいく。
それはとても残念な事実だったが、だからこそそれを明らかにしなければならない。ローザはそう心の中で強く誓うが――――
工場の数カ所に置かれた箱から同時に、カチ、カチ、という一定の調子で刻まれる音が鳴る。
その瞬間、目の前にこちらを見る人影が見えた。
その人物の姿がハッキリと確認できた瞬間――――――――
爆音と共に、一瞬にして工場の内部は火の海と化した。




