一難去って……
次に聞こえたのは――――――
きぃん、という甲高い音。
一瞬の静寂の後、再び周囲がざわつく。
悲鳴の類の声が聞こえなかったことにひとまずは安心しつつ、ゆっくりと瞼を開いた。
いつの間にかすぐ隣にはレニィとクルスがいたが、それよりも状況を確認せねばと視線を前に向ける。
振り下ろされた騎士の剣は、別の剣によって防がれていた。
受け止めたほうの剣の持ち主は――リデルだった。
深い皺の刻まれた顔には、怒りが浮かんでいる。
「剣を下ろせ」
静かな声には、量りしれない程の圧が籠められており、彼によって剣を止められた騎士は震えながら刃を納めた。
次いでその鋭い視線が突き刺すのは、その集団のトップ、シュバインだった。
しかし、シュバインは先刻の騎士とは違い、まったく怯む様子もなく堂々としていた。
「リデル様、どうされたのですか?」
リデルは奥歯をぎりぎりと噛みしめてから、鋭い言葉を返す。
「これはどういうことだ!」
「これ、というのは?」
「なぜ市民に刃を向けているのだ!」
「ああ、これは見ての通り――」
シュバインは、混乱の中ローザに引き剥がされた大男を指差し、
「この男が私に危害を加えてきましてね。これ以上は危険である、と判断したのです。問題は迅速に解決する。これが基本ですよね?」
不快な音階だけを並べたような声色。細められた眼の奥に灯る侮蔑の色は確かに疑わしいものだったが、ここに至る経緯を知らないリデルはぐっと怒りを押し殺した。
シュバインはさらに大仰な身振り手振りを加えながら言葉を重ねる。
「この男が帝国法に背いたことは間違いない。ただちに連行します。まさか……帝国法を無視してまでこの男を見逃せ、とは言いませんよね、リデル第二騎士団長様?」
弾む語尾が言葉の内容とは裏腹にリデルを――また、その場にいる市民達を挑発していることは明らかだったが、状況を鑑みるに反論のできないリデルは眉間の皺を深くして奥歯を噛みしめることしかできなかった。
周囲の血気盛んな技師達も、とうに怒りの限界に達していたが、牽制するように彼等を睨みつけるローザの手前、下手に暴れることもできずにいた。何より、彼女自身が怒りに震えているのは一目瞭然だったが、頭首たる彼女が問題を大きくしないように必死に堪えているのに、自分達が彼女の意に反することはできないという心の枷が抑止力となっていたのだ。
しかし、そんな張り詰めた空気の中、中心に躍り出ると共に声を発したのはその集団においては明らかに異質な存在である少女――セレナだった。
「帝国法第二十四条、帝国法の執行及び執行官たる騎士に対する暴行又は脅迫を加え、執行を妨害したと見做される行為をした者は帝国法議会の裁断の下、処罰を架される」
一字一句違わず帝国法を述べてみせた少女に周囲の注目が集まり、一気に静まり返った。
シュバインは少々驚きつつも、彼女の言葉でより後ろ盾を得た気になったのか、右頬だけを吊り上げる。
「ほう、実に聡明だな。その通り――」
「でも……」
セレナはまるで聞こえていないかのようにシュバインの言葉を遮る。
「それは、帝国議会が調査をした後に執行を騎士に委託した場合のことで、現状はそうではないでしょ?」
先刻まで余裕を見せていたシュバインの表情が曇る。
「これは調査という名目で業務を妨害しようとしている貴方を、そこの人が止めたという行為でしかない。そんな危なっかしいものを腰に下げた人達が来たら脅威に思うでしょ?」
反論があればどうぞ、とでも言いたげな表情をするセレナに対し、シュバインはあからさまに憤りを発露させていた。肩は小刻みに震え、顔も赤みがかっている。
彼女の言葉が後押しとなったのか、ここぞとばかりにリデルが前へと踏み出した。
「……と、いうことだそうだが、それでも彼を連行する、というのならば騎士集会の後、帝国議会へ確認を取ることになるが――」
「ふん、これ以上くだらないことに付き合ってる暇はない。行くぞ」
シュバインは吐き棄てるように言い残し、連れてきた騎士達に目で合図をした。取り巻きの騎士達は焦って彼の後に続いた。
騒動の元であった騎士達が去り、その場には一時の安堵感が訪れと共に、確かな憤りの感情が残った。そして、その矛先は当然騎士に向く。残っていた騎士はリデルだけなので、実際には彼は止めたほうなのだが、彼に注目が集まるのは至極当然だった。
「すまない……」
騎士のなかでも階級の高いリデルが市民に対し頭を下げる。普通ならこんなことはありえないが、彼の人柄を知っている市民達はそれが真摯な態度から来ているものだということを痛いほど理解していた。それにより、ぶつけられない怒りが空気中に充満する。
しかし、ローザだけは違った。それは自分が技師たちを代表する存在であるという使命感からかもしれないが、リデルに対して尖った言葉をぶつける。
「騎士達が一枚岩ではないというのはわかるが、このようなことをされては困る」
「すまない。だが、奴らはまだ若い。危機感に浮足立っていたのだろう」
「あれは、そんなんじゃない。確かにこっちも技師達全てを知っている訳ではないが……何か陰謀の香りがした」
「……それは私も危惧していることだ。何かこの国がよからぬ方向に動いている。それを正すのも私の役目だというのはわかっているのだが……」
リデルもローザも周囲から向けられる信頼の視線とは相反して、自分自身の無力さを実感していた。一方は長きに亘って騎士として生きてきたのに、仲間や部下のことを管理出来てない無力さを、一方は頭首と呼ばれているにも関わらず若さゆえの未熟さを露呈してしまっている無力さを嘆いた。
重く淀む空気を振り払ったのは、明るく澄んだ声。
「全部、ふたりが背負うことじゃないですよ」
先程まで焦りを内包した暗い顔で話していたふたりは声がしたほうを見る。
「「レニィ……」」
ふたりとも彼女のことは知っていた。いや、調整者という希少種であることから、彼女の存在は広く知れ渡っていたが、ふたりはその中でも繋がりが強かった。
「誰にでも出来ることの限界、ってあると思うんです。でも、リデルさんにはリデルさんの、ローザさんにはローザさんの、私にも……ひとりひとりに出来ることをすればいいんです。私は、そう思います」
彼女の一言には複雑な感情の渦巻く空気を払拭する力があった。なぜか、誰もが少しだけ救われたような気分になった。
それこそが、レニィ=ミールという人物の凄さであり、人々に愛され必要とされる所以なのだと、隣で見ていたクルスは改めて思わされた。調整者であるからというだけではなく、間違いなく彼女はこの国を潤滑に回す為の重要な歯車であるのだ、と。
「そうだな……こんなところで油を売ってる暇はない。自分に出来ることをするよ」
ローザはレニィに口許だけの笑顔を見せ、数人の技師たちを伴ってその場から足早に去った。それを契機に周囲を取り巻いていた技師達も三々五々に散っていく。
残ったリデルは改めてレニィに声をかける。
「すまんな、レニィ。私も出来ることをする。この国を間違った方向に進ませない為に」
「はい、頑張りましょう」
そして、リデルはセレナにも声をかけた。
「お譲ちゃん……セレナちゃん、だったかな?」
セレナは笑顔で頷いた。
「君にも感謝しないといけないな。私ひとりではシュバインを納得させることが出来なかったかもしれない。本当に賢い子だね。君やレニィのような若者がいるなら、きっとこの国の未来は明るい」
そう言われたふたりは照れたように笑った。
次いで視線を向けるのはそのふたりと一緒にいる見知らぬ少年。
「君は……?」
「クルスです。いまふたりにお世話になってます。その……僕、記憶喪失でして、困っているところをふたりに助けてもらったんです」
「記憶喪失……」
リデルは黙してその少年を見詰める。頭の中に巡るのは様々な可能性。そのどれかに当て嵌まるとすれば、彼を放っておく訳にもいかないのだが、直感を信じて彼をこのままレニィに預けておくことにした。
「……それは、大変だな」
「確かに、時々不安になりますけど、ふたりや他の人たちにも救われて幸運だったと思います」
「それはよかった。では、私も失礼する」
リデルは一抹の不安を抱えながら、そう言い残してその場を去った。
工業区はいつも通りの殺風景に変わる。取り残された三人は、互いに顔を見合わせる。
未だ緊張の残る空気を振わせたのはレニィの明るい声だった。
「私達も帰ろっか? お腹減ったし」
その言葉で思い出したかのように三人の腹の虫が同時に鳴く。
「そうだね」「そうですね」
セレナとクルスは苦笑いしながら言った。
そして、セレナの低速度限定エアリム五型の速度に合わせて、クルスが後ろに乗るレニィのエアリム二型が走り出す。




