闇市
そこは、月の明かりも僅かにしか届かない、建物と建物の間に伸びる細い路地だった。
明らかに怪しい雰囲気を醸し出す売り子達の前には、様々な品が並べられていた。
そして、その路地をゆっくりと進む二つの影。
そのふたりは黒いローブのようなものに身を包み、黒いハットとサングラスをしていて、いかにも怪しいふたり組だったのだが、この場所においては寧ろそれが普通だった。
そのうちのひとり――ハットを目深に被り、どこか不安気に周囲を見ているのは、このような格好をしていなければ全くこの場所には似つかわしくない綺麗な金髪金眼の育ちの良さそうな少年だった。
そしてもうひとり。その人物はこの闇市においては非常に珍しい女性。しかもこのような格好をしていなければ、よりその存在が浮いていたであろう容姿をしていた。
そう――レニィと少年は周囲に溶け込むように変装して闇市へと赴いていたのだ。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか……?」
少年はサングラスの下で、しきりに視線を動かしながら不安に彩られた声を発した。
それに対し、レニィはあくまでも堂々としていた。
「大丈夫。逆に、そんなふうに怯えてたほうが変な目で見られるよ。ここではね」
「あ、はい。気を……付けます」
少年は極力レニィのように自然に振舞おうと努めたが、不安げな様子は挙動の端々に表れる。
ふたりは鞄を見付ける度に近付いて確認するが、どれも少年が持っていたものではなかった。
レニィの説明では、闇市で鞄が売られていることは少なく、あるとしたら現在では捕獲の禁止されている動物の皮が使用されているなど、高価な物ばかりだそうだ。
そのような事情もあり、ふたりが足を止める機会も少なかったのだが――ある露店を見たレニィはふと足を止め、そこに近付いた。
そこで売られていた怪しげな品々の中で、レニィが凝視したのは風の輝石だった。
「純度が高い……」
レニィがぽつりと呟くと、顔が青白く、頬がこけ、目の下に大きな隈のある店主が下卑た笑いを顔に浮かべ、調子の外れた高い声で怪しい言葉を並べた。
「アンタ、お目が高いねぇ。それは入荷したばかりの風の輝石でね、こんな純度の高いものは中々出回らない。どうだい? 少しなら値引きするよ」
しかし、レニィはその男の言葉など聞こえていないかのように小さく独り言を呟いた。
「……かわいそうに……」
店主の男はその言葉が聞こえていたようで、あからさまに表情を曇らせるが、それすら視界に入っていないレニィはその輝石を優しく元の場所に置き、その露店を後にした。
少年はやや焦りながら彼女の後を追う。
「そんなにいいものだったんですか?」
歩きながら、声を潜めてレニィに訊ねた。
「うん、あんなに純度の高いものは、あの人が言ってた通り、中々発見されないんだ。輝石は純度が高いものほど小さくても大きな力が出るし、繊細なコントロールも出来る。あのレベルのものを一般の人が持っていることはまずないだろうね。大きな機械の動力か、富豪のもの……どちらにしろ盗品だね。もっとも、ここにある殆どのものは盗品や密猟によって得られたものだけどね」
「……そうですか。では、かわいそう、というのは、その盗まれた人が……ということですか?」
レニィは難しい顔をして、言葉を選びながら答える。
「もちろん、それもあるけど……やっぱり、輝石はこんな薄暗いところで埋もれてるものじゃないと思うんだ。自然と繋がるのがあの子達の本分だから」
「……はあ」
少年は一応納得したものの、その言葉の中に違和感を覚えたのも確かだった。
レニィは輝石のことを『あの子達』と呼んだ。まるでそこに意思があるかのように。
しかし、その思考は途中で中断される。
少年の目に映ったのは――――
「あっ!」
思わず声を出してしまい、急いで口を手で押さえたが、周囲の視線がこちらに集まっていることに、少年は動揺してしまった。
レニィがすぐに少年の手を引き、道の端に寄ることで、その視線も徐々にふたりのほうから散っていった。
「どうしたの?」
「近くでちゃんと確認してみないと断言できませんけど……あったんです、僕が持っていた鞄」
「えっ! どれ……?」
レニィは極力声を押し殺して訊ねた。
「あれです。あの鞄……」
少年が指差した先には、体格のいい髭面で禿頭の男が出す露店があった。そして、並べられている品々の中に、確かに鞄が置いてあった。
表面は乾燥して所々禿げていたが、遠くから見た感じでは元々いい作りの鞄のようだ。それに、あまり見ない色の皮を使っている。
ここで売られているということは、珍しい――現在では捕獲が禁止されている動物の皮を使ったものか、若しくはその中身に価値があるかのどちらかだろう、とレニィは推測した。
どちらにしろ、少年の所有物だったそれは現在商品として扱われているのだ。自分の物だから返してくれ、という常識が通用しないことなど、レニィは重々承知のうえでその露店へと歩み寄る。少年もその後に続いた。
「……らっしゃい」
店主の男は髭に囲われた口の端を持ち上げ、どこか気味の悪い笑顔を見せた。
「この鞄……見せてもらいたい」
レニィは普段よりも声を低くして、口調も変えていた。対する禿頭髭面の店主は、何を考えているのかわからない気味の悪い笑顔を見せる。
レニィはなるほど……とそれらしいことを呟きながら、少年にもその鞄を確かめさせる。少年はしっかりと鞄の外観と中身を確認し、小さく頷いた。
再び視線を店主のほうに戻したレニィは怪しまれないように言葉を選びながら慎重に訊ねる。
「……ずいぶんと値が張るな」
男は自ら禿頭を撫で、含み笑いをする。
「くくッ、そうだな……『庭の外』のものだよ」
少年は何を言っているのかわからなかったが、レニィは瞬時に理解する。『庭の外』というのは闇取引などで用いられる隠語の一種で、『庭』は国――ひいては、貴族や騎士や彼らの造った法律のことを指す。つまり『庭の外』というのは、この場合、法律の外側=違法な物のことを指しているのだ。
少なくとも主に交渉している女のほうは隠語の意味がわかっているのだ、と確認した禿頭の店主は説明を続ける。
「中身についてはまだ詳しく調べがついていないものも多い。なにせ、入荷したのはつい最近のことだからな。俺は入荷したら出来るだけ早く売りに出す性質でね。……おっと、そうそう、まだ調べていないからと言ってまったく価値がわからないわけではないぞ。この商売をやってそう日も浅くないからな。中に入っているもので価値があるのは、まず水の輝石。こいつは珍しいからな。あとはたいしたものはないが、鞄自体は元々いいものだ。貴族が持っているような輸入品だろうな」
店主の男は口の周りを囲うように伸びた髭を揺らしながら、すらすらと説明をした。
彼の説明を聞いて、レニィは納得をする。元々、この記憶喪失の少年はおそらくこの下街で育った人間ではないのだろう、と考えていたのだ。
レニィが彼にこの街を紹介して回ったのは、失われた記憶の中にある風景や人を見たら何かを思い出すかもしれない、と思ったからだ。実際には思い出せないだけで、頭の中から完全に消えてしまっている訳ではないから。しかし、少年は本当に新鮮な驚きを見せていた。
レニィは暫く考え、声を発した。
「……これがどうしても欲しい。でも……」
自分の財布を見る。普段持ち歩いている額から考えれば相当多めに持ってきたのだが、それでも表示されている値段には足りていなかった。
「足りない……」
レニィはひとりごちたつもりだったが、店主の男には聞こえていたようで、彼は髭を撫でながら答えた。
「それは残念だ。悪いが俺は値引きしない主義だ。始めから安く売っているつもりなんでな」
「でも……」
レニィは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
これは元々、自分の隣にいる少年のものだ――なんていう真っ当な理屈が通じる相手ではない。それが罷り通る場所ではない。理解しているだけに、悔しさが込み上げてきた。
なにより、ここで問題を起こせば、少年も巻き込んでしまうかもしれない。
(ここは一旦退くしかないか……)
レニィは奥歯を噛みしめ、鞄を元の場所に戻そうとしたのだが――――
「……えっ!?」
一瞬にして、鞄の重みが消え失せた。
店主の男も何が起こったのか、と立ち上がり、目を剥いて周囲を注視した。そして、レニィの後方を睨みつける。
レニィと少年はその視線の先を追った。
闇に浮かび上がる人影は瞬く間に小さくなっていった。
突発的なことだったとはいえ、それでも店主の男は裏の世界の住人である。こういう事態も想定の範囲内だったのか、すぐに通信機でどこかに連絡をとった。
レニィの中に嫌な予感が奔る。
鞄を奪っていった人物が足に装着していたエアリム五型には見覚えがあった。通常のものより速度や高度を上げれるようになっており、また細かいコントロールも効く独自の仕様。そして体型などを総合的に判断すると――――
「……まずい」
レニィは呟き、人影が消えていったほうへと走り出す。少年も慌てて彼女の後を追った。
周囲からの好奇の視線を全身に受けながら、レニィと少年は暗い路地を駆け抜けた。進んだ先は行き止まりになっており、そこには怪しげな男達の姿が見えた。
そして、その中心には鞄を奪っていった人物の姿があった。
顔にも布を巻いて完全に変装しているが、その体型や少し変わったエアリム五型、さらには僅かな動きの癖などでレニィにはそれが自分の良く知る人間であることがわかった。
(まいったなあ……)
殺気を放つ男達に囲まれた顔まで黒い布で覆った怪しい盗人――ジェイクは、現状に対してどこか気の抜けた言葉を心の中で呟く。




