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作者: 鮭々

「ギャグとか無しで、シリアスで書いてみろ」と友人に言われ、勢いで書いた作品です。誤字などありましたら、ご指摘をお願いします。

 その「男」は毎朝、そして就寝前にいつも、鏡を見ていた。


 身なりを整えることは、社会人の最低限のマナー。君たちもそう思っていることだろう。


 もちろん、それについては私も異論はない。

 ちなみに私は、「男」が勤めていた会社に勤めている(現在もだ)。私自身が全てを目撃していたわけではないので、話にも信憑性があるとは限らない。まず、それを念頭においてもらおう。

 しかし、これだけは確信して言える。


 「男」は几帳面すぎた。

 

 

 「男」は全身が映る大きな鏡で、自分の体を舐め回すように観察し、何分もかけて身なりを整える。

 ある朝の話だが、スーツのくずれを気にしすぎて、会社に遅刻したこともある。


 しかし、「男」の会社での評価はとびきり高かった。


 上司に敬意をはらい、部下を信頼していた。仕事もできた。なにより、客に最上級の接客をしたので、「男」を指名する客も多かった。厳格で知られていた社長が「社員がみんな彼のようだったら、私としてもうれしいんだがね」と愚痴をこぼした、という話を聞いた事があるぐらいだ。


 給料もそれなりに良かったようで(私も詳しい話は知らないが)、外国産の高そうな車で毎日出勤していた。私が「いい車ですね、今度、ドライブにでも連れて行ってくださいよ」と冗談で言った時、「男」が満面の笑みで「いいよ。行きつけのお店があるんだ。紹介してあげるよ、いつにする?」と返してきたのを覚えてる。まさかの返答に、驚いた私は「それじゃ、また近いうちに………」 と逃げた。

 そのとき「男」が少し残念そうな顔をしたのが、特に印象に残っている。


 

 悪い人では、なかったのだろう。


 ただ。

 几帳面だったが故に、繊細すぎたのだ。



 「男」はこの日の朝も、鏡を見た。

 髪を整え、髭を剃り、スーツの糸くずを綺麗に取り、その他諸々に気をかけて、最後に見事に出来上がった自分の姿に、心から満足して家を出る。

 自慢の愛車で、今日も仕事へ向かうのだ。


 この日の「男」には、少しだが、ミスが多かった。

 

 ミスといっても、些細なことだった。だから、「完璧な人なんていないさ」と、みんなまったく気にしなかった。「男」もミスをすると、「すいません」とみんなに誤り、自分で処理をきちんと、誠実に行った。「できる人は反省もきちんとするもんだ」と、むしろ改めて感心する者もいた。


 この日は、勤務時間が終わると、すぐに「男」は帰った。

 実のことをいうと私も、ドライブの件を楽しみにしていたのだが、話す暇すらなかった。


 

 この日の夜、「男」は鏡を見なかった。


 

 次の日の朝も、「男」は鏡を見なかった。



 それと、出勤にあの外国産の車を使わなくなった。徒歩に変わった。


 「男」は「最近太ってきちゃって………。歩くことにしたんだ」と笑って私に言った。

 あの時の「男」の笑顔に、違和感を覚えたのは、私だけではなかったはずだ。

 「男」の髪は、珍しく寝癖で立っていた。



 その日の夜も、次の日の朝も、「男」は鏡を見なかった。


 

 「男」の風貌は、日に日に酷くなっていった。

 寝癖やらで、乱れた髪。伸ばした髭。スーツもボロボロ。

 しかも、ミスも多くなった。

 それも、重大なミスも多かった。



 「男」が、客の接客を行っていた時の話である。

 

 「男」は接客が専門だった。

 この日の客は、若い青年だった。「男」は青年にいらっしゃいませ、と挨拶をした。青年も、こんにちは、今日はよろしくお願いします、と丁寧に返した。

 しかし、その後である。

 「男」は鬼のような形相で、青年に殴りかかった。

 ホールで対応していたために、多くの社員が止めにかかって、青年に怪我はなかった。

 殴ろうとした理由は「挨拶の声が小さかったから」。

 あぁ、この人は変わってしまったんだな、そう思った。

 

 社長は青年に、その家族に謝罪した。

 プライドの高さでも知られる社長だが、土下座を何度も、何度も繰り返したという話だ。会社の命運がかかっているのだから、当然なのだが。


 警察沙汰にはならなかった。

 幸いにも、青年は温厚な性格だったようで、和解という形で、この件は落着した。

 

 

 その日の夜も、次の日の朝も、「男」は鏡を見なかった。

 

 そして。


 

 翌日、「男」は会社に出勤しなかった。


 

 連絡しても、出ない。


 家を訪れても、応答がない。



 

 そう。

 家を訪れた時だ。

 あのとき、私は気づいてしまったのだ。


 「男」の車、あの外国産だが、


 

 車体の正面の一部がへこんでおり、ナンバープレートもはずされていたのである。


 

 ………近くの山で、死体が見つかったのは、この日の夜のことであった。

 

 

 死因は、外傷性ショック。

 遺体の状態から、警察はひき逃げ事件だと断定した。捜査も始めた。

 

 まぁ、すぐに、事件自体は解決するわけだが。


 

 警察が捜査を開始した夜も、「男」は鏡を見なかった。


 次の日の朝も、もちろん見なかった。


 

 何故かって?そんなの本人に聞かないと真相は分からない。

 だけど。

 みんな本当は分かってる。


 

 

 「男」は、人の血で汚れてしまった自分の体を見る事が、怖くて怖くてしょうがなかったのだ。

 


 

 

 


 


 




 





 

 



 


 


  

 

 

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