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本庄青介と冥王の問題  作者: 三宮勉
第一話
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6

 終業式が終わり、教室に戻るとホームルームで成績表が配られて解散。成績にテンションを持っていかれた者もいれば、明日からの夏休みに浮足立っている者もいる。そんなざわつく教室の中、寿夫がのっそりと青介の前にやってきた。

「アオ、さっさと帰ろうぜ」

「今日は部活ないの?」

「おう。さすがに先輩らも今日は遊びたいんだろ。明日からはちゃんとあるけどな」

「僕ちょっと先生のとこに用事があるから、待ってて」

「おう」

 寿夫は青介と入れ替わるように彼の席にどかっと座って、携帯をいじりだす。そんな親友をあまり待たせてはならぬと、青介は小走りで教室を出て行った。

「失礼します」

 職員室を覗くと担任の鴻巣がすぐに少年に気付いた。彼はいつもの包容力のある笑顔を見せつつ大きく手招きをする。

「どうした?あれから何か変わったことでもあったか?」

 あれからというのは青介が倒れたことに関してなのだが今の少年にはそんなことは頭の隅にも入っていない。だが日常的に変わったことがあるのでそれの報告に来たのだ。

「父が単身赴任で帝都に行ったんですけど、なにか手続きとかって必要でしょうか?」

「お父様が単身赴任?なら今、本庄の家は子供だけか?」

「いえ、保護者代わりの人が来てくれています」

 鴻巣は少しほっとしたような顔をしたが、にわかに眉を潜めた。

「親戚の方とかか?」

「いえ。少しお世話になっている方なんですけど…」

「そうか…」

 担任教師の怪訝そうな顔を見て少年は少しでも保護者替わりである紫鳳の印象を良くしようと彼女から預かっていた名刺を見せた。

「宮内庁…」

 国家公務員という肩書は一般的に通りが良いはずだが、担任教師の反応はあまり改善されないどころかいっそう曇った気さえする。

「本庄、一度家庭訪問をさせてもらってもいいか。そうだな、二日もあれば十分か…明後日の午前十時。大丈夫か?」

「あ、はい。大丈夫だと思います」

 とりあえず当初の目的は果たした。青介は一礼し職員室を出ると、親友の待つ教室へと小走りで向かった。


 照りつける太陽の下、アイスを齧りながら下校する。

「兄貴になんの話があったん?」

 男子生徒の大半は鴻巣のことを親しみを込め兄貴と呼ぶ。寿夫もその一人だ。

「お父さんが単身赴任で出ちゃったから、なにか手続きいりますかっていう話」

「ほーん…おばさんでも戻って来るの?」

「いや、来ないと思うよ。お父さんが連絡してるとは思えないし」

 この親友は思ったことを全部口にする。遠慮も何もないが、そんなところが少年はすごく心地が良かった。

「へー…じゃあ、子供三人か。あー、でもアオもくーも家事全部できるし大変になるってわけでもねぇのか…」

「いや、保護者代わりの人が来てくれてる」

「ん?なに、新しい母親候補とかそういうの?」

 もちろん父親のそういうのではないことは青介が一番よく知っている。今までそんなことを考えたことはなかったが、むしろできることなら自分の嫁にしたいなんて考えがぱっと脳裏に浮かんで一瞬で彼の頬が赤く染まる。

「え?何その反応?若いの?美人なの?ちょっと見せろよ、見せてみなさいよ!」

 駄々っ子のように抱きつき熱烈なハグをかましてくる親友に、青介はただ頷くことしかできない。

「ただいま」

 青介が玄関を開けるとウェーブヘアの方の妹が豆乳のパックを啜っていた。

「あら、でかいの。久しぶり」

「でかいのってなんだよ、ちゃんと名前で呼べよ、ふー」

 豪快に笑いながら、いつも青介にしているようにふーの頭をもみくちゃにする。ウェーブヘアが天然パーマになってしまう頃、下の妹がのっそり顔を出した。

「うわ、トシだ。相変わらずでかいなぁ」

「俺がでかいんじゃねぇよ。お前の兄ちゃんが小さすぎるんだよ」

 いやいやいやいやとくーが半笑いを浮かべていると足元でちりんちりんと鈴の音がした。真っ白いもふっとした猫がトシの足に胴体を擦り付けている。彼の久しい来訪に全力で歓迎の意を表しているのだ。それにつづいて柴犬が彼に飛びかかる。そしてそれを追いかけていたのか、若干屈み気味のリクルート姿の女性がひょっこり飛び出してきた。

 紫鳳は気を抜いたところを見られたためか、ばつが悪そうに姿勢を正すと寿夫に向かってぺこりと頭を下げた。それに対して寿夫もかくっと頭を下げるが、ぱっと脳裏に思考が巡り彼の動きがそこでいったん止まる。

 まず第一に知らない人が出てきたので、ああこの人が例の保護者代わりだなとすぐに思い当たる。そして全身と顔を見て、想像していたよりはるかに若い、しかし同級生にはない大人の色気を醸し出すその美女との生活を思い親友に嫉妬した。

 そして第二に彼には何か引っかかるものがあった。

 あれ?俺、この人知ってる気がする。思い悩んだその時、紫鳳の胸にぶら下がる絵馬がカランと鳴った。

「あぁあッ!」

 初対面のはずの人間にいきなり指を刺され紫鳳は一歩下がった。こんな金髪の大男、接触していれば必ず覚えているはずだ。そう思い、青介を見下ろすと少年も思い当たる節がないと言った調子で視線を返してきた。

「アオにおっぱい揉ませてた、痴女!」

 その言葉に一番動揺したのは青介でも紫鳳でもなくふーだった。口にしていた豆乳をぶばーっと寿夫の顔面めがけて吹き出すとゲホゲホとむせながら何か反論しようとしている。

 しかし言われた当人である紫鳳には彼の言葉の意味がまったく分からなかった。寿夫の言っているイベントは彼女にとって、心音の有無を確かめさせるために掌を心臓の上に当てさせただけなのだ。彼女の頭の中ではそれがおっぱいを揉ませたとは結びつかない。

 なんのことやらと紫鳳が少年の方を見下ろすと、彼は彼で顔を真っ赤にして俯いている。思い当たる節があるのか、単純に言葉の響きで赤面しているのかは彼女には計れない。

「ちょっと詳しく聞かせなさいよ!」

「畜生、やっぱ顔なのか。保護欲全開にさせるそのベイビーフェイスがすべてなのか…」

 上の妹が寿夫に食って掛かるが肝心の彼は豆乳塗れの顔で青介の方にしょぼくれた目を浮かべて、なにやら念仏を唱えるような調子でぶつぶつと言っている。

 猫は相変わらず寿夫の足にタックルを繰り返しているし、柴犬は彼とふーの仲裁に奮闘しているつもりのようだ。

 くーならこの場を収められるのかと紫鳳が振り向くと、下の妹は知り合いの巫女服姿の少女が見せるのによく似た、黒い笑みを浮かべてこの光景を眺めているだけだった。

 この中では紫鳳は一番部外者だ。彼らのバランスのとり方が分からないため、手を出しあぐねていると、寿夫が急に背筋を伸ばして叫んだ。

「畜生!末永く爆発しろ!」

 そのまま彼は振り返り、玄関を飛び出し猛ダッシュで消えていく。

「あの…あの子いいの?」

 どうしたものかと青介に尋ねると、少年はまだ頬を火照らせたまま少し上の空だった。

「あ、トシはいつもあんな感じなんで…次の日には元に戻りますし…」

 まぁ、彼が言うのならそうなんだろう、と猫を抱っこして部屋に戻ろうとする。なんだかふーの視線がいつもよりさらにきつくなった気がするが、彼女にはそれにどう対処していいか見当もつかない。


 職員室の自分の席で鴻巣はノートパソコンに向かって作業をしている。その隣の席には教員ではなく自分の受け持ちの生徒、それも学年で1・2を競う大男でかつ金髪という目立つ男が背骨を抜かれたように突っ伏していた。

「兄貴ってどうやって童貞捨てたの?」

「思春期全開だな。先生の場合、初めては普通にその当時の恋人とだな」

「はぁ~…」

 その大男も今は酷く小さく見える。普段から感情の起伏の激しい生徒ではあるが、今回はなかなかに重症のようだ。生徒に対してこんな感情を抱くのはあまりよろしくないことなのだろうが、そのデカイ図体から満遍なくダークなオーラを立ち上らせるのは非常に仕事の邪魔だった。

 これはもうこちらを解決しないとどうにもならないと思い、彼はパソコンを閉じて生徒の方に体ごと向きを変えた。

「だが、先生がそういう経験をしたのは大学に入ってからだ。高校の頃は今のお前みたいにずっと悶々としてたよ。それでどうした。恋愛の相談とかか?」

「いや、アオがさ…」

 寿夫がアオと通称で呼ぶ生徒が、鴻巣がとある理由で今重要視している本庄青介のことだと担任である彼は知っている。顔には出さないよう努めるが、自然と身体が前のめりになっていた。

「アオ…本庄のことだな」

「うん、アオがさ…すげぇ綺麗なネェちゃんと同棲してるんだ」

「同棲か、まぁ言い方によってはそうだろうな。親御さんが単身赴任で帝都に行ったから、その代わりに来ている人だろう?」

「うん、そうなんだけどさ…俺見ちゃったんだよね。二人が乳繰り合っているの…」

「おいおい、友達のプライバシーをそんな風に暴露するのは感心しないな」

 そんなことを言いつつも鴻巣はどうやって情報を引き出そうか、思案を巡らせていた。

もちろん、落ち込み思考の鈍っている寿夫にはそんなことは分かるべくもない。

「俺、アオとは幼稚園からずっといっしょなんだ…ほんとずっといっしょなんだ…そんなアオが俺を置いて一人で大人の階段昇っちまったかと思うと、祝ってやりたいような寂しいような…もちろんちょっと、いやだいぶ悔しいのもあるけれど…」

 彼は机の上にべたっと潰れたまま、顔だけ鴻巣の方に向けている。その眼に少し涙が浮かんでいる。鴻巣はいつもの大人の笑みを浮かべ、ただうんうんと頷きながら機会をうかがう。

「俺が部活でひーこら言っている間に知り合ったのかな、なんて考えたらいろいろ頑張ってるのがアホらしくなっちゃってさ…ホントどこで知り合ったんだろう、あんなスゲェ美人、テレビでもまず見ないよ…」

「ほう、どんな人なんだ?」

「もうなんていうかほんとスゲェ綺麗なネェちゃんとしか言えなくてさ…羨ましい…」

「いくつぐらいとか、格好とか」

「いくつかなぁ…すごい大人びてる感じはしたけど。二十歳くらいじゃないかなぁ、スーツ着てたし。OLさんっていうか、エロかった…」

「スーツか…他何か変わったものを身に付けたりしてなかったか、刺青があったりとか」

「刺青?服着てるから分からなかったよ、そんなの。ああ、でも変わってるっていったら、首からなんか神社とかによくぶら下がってる板を何枚もぶら下げてた…かな?」

「板?」

「ほら、えっとあの…」

 寿夫は言葉を探しながら、その形状を表すように右手と左手の人差し指をつかって中空に末広がりの五角形を描く。

「絵馬か?」

「そう、それ」

 担任教師がぱっと分かってくれたことが嬉しくて、彼はその指をそのまま鴻巣につきつけるようにぴっと伸ばした。

「それが首からぶら下げてるんだけど、胸の上に乗るくらいこうボイーンと…」

 だいぶ話して調子に乗ってきたのか彼の舌に油が乗る。胸の前に急を描くように下品な手の動きをすると、なんだか目尻までいやらしく垂れてきているようだ。

 それからしばらく生徒の愚痴に付き合っていると、彼の気も晴れたらしくいい笑顔で職員室を出ていった。それとは逆に残された鴻巣はキッと険しい目つきになる。その手には昼前に青介から受け取った名刺が一枚。

「絵馬みたいな板か…神道系の護符だろうな…」

 鴻巣は宮内庁と書かれたその紙を忌々しく見つめる。

「まったく手の早い女だ…だがこれで的は絞れた。どんな理由で現界したかは知らんが、俺の生徒に…この街に手は出させんぞ…」

 彼が名刺をぐっと握りつぶすと、そのくしゃくしゃになった紙切れは青白い炎に包まれ灰も残さす消え去った。


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