第一話 終末感ある(実際半分終わってる……)東京で学校を早退しました
昭和二十年三月十日。
……って、歴史の教科書みたいに始めちゃったけど、これ、わたしが実際に体験してる「今日」なんだから笑えない。
湊高等女学校のコンクリート造りの校舎の屋上で、わたし――門倉紀依は、親友の宮井桃子と並んで北東の空を見ていた。
空は、晴れてた。
でも、煙が、ぶわっ、どーん、どーーーん!って感じであちこちから立ちのぼっている。
昨夜、日付が変わったころから始まった空襲。
あとで「東京大空襲」なんて名前がつくられるらしいけど、今のわたしたちにとってはただの――ものすごく嫌な夜、だ。
「月島あたりから先、かなり燃えてたって」
すらっと背の高い桃子――通称モモ――が、屋上の低い壁に手をついて言った。白いセーラー服にもんぺ姿。かっこいい。ほんと、うちの学校で一番「頼れる女」って感じ。
「桜、やっぱり来ないね」
わたしは眠い目をこすりながら答えた。正直、昨夜はほとんど眠れていない。蒲田区にあるうちの辺には爆弾は落ちて来なかったんだけど、怖いし、空は赤いし、南からB-29がどんどんやってくるし(そのまま北に飛んでいった)。
わたしたちのもう一人の親友、上條桜。
浅草に住んでいる桜は、今日、登校していない。
「昨日、東の空真っ赤だった。浅草は……たぶん」
モモは言葉を濁した。
やめて。濁さないで。濁すくらいなら、嘘でもいいから「大丈夫かも」って言って。
モモの家は淀橋区にあるから、燃えてたのはやっぱり東。
「うちの辺は何ともなかったけどさ、北の方、赤い煙が空一面でさ……怖くて眠れなかったよ」
わたしはそう言って、無理やり笑った。
そのとき、モモが胸に手を当てた。
「やっぱり見に行く!」
「……わたしも一緒に行く!」
反射だった。ほぼ脊髄。わたしの口、勝手にしゃべった。
でも、桜が心配なのは本当。
わたしたちはそのまま職員医室に突撃し、担任の先生に「上條さんの安否を確認したいので早退させてください!」と直談判した。
先生、めちゃくちゃ困った顔してた。
そりゃそうだよね。今、東京わりと終末感あるし。
でも、教頭先生と相談して、許可が出た。
やった!
……いや、やったって言ってる場合じゃないんだけど。
浅草まで一本で行ける地下鉄は止まっていた。空襲のせいだ。
だから省線で上野まで行くしかない。
浜松町から乗った電車は、いつもより静かだった。
神田あたりを過ぎたころ、窓の外を見たわたしは――
息が止まった。
街が、ない。
建物が、ない。
灰色の世界。
ところどころ、まだ炎が上がっている。
そして途中の駅から、黒焦げの服を着た人たちが乗り込んできた。
火傷を負って、顔も分からない人もいる。
わたし、さっきまで「眠い〜」とか言ってたのに。
ばちが当たりそう。
山手線は上野で折り返し。
でも御徒町までしか乗って行けないと言われ、わたしたちはそこで降りた。
仕方なく線路沿いを歩く。
隅田川の方へ向かう。
……広い。
いや、広すぎる。
あったはずの家も店も、全部なくなって、ただの空間。
煤まみれの人たちが、ふらふら歩いている。
誰かの名前を呼んでいる声もする。
わたしたちは、焼け跡に足を踏み入れた。
焦げた匂い。
くすぶる煙。
壊れた水道管から漏れる水。
モモの三つ編みだけが、やけにくっきり見える。
わたしはその三つ編みだけを見つめて歩いた。
それ以外、見たくなかった。
「モモ……さっきから道に黒いものがいっぱい転がってるんだけど……」
「うん」
「マネキン人形じゃないよね……」
「うん」
うん、って。
うん、って言ったよね今。
わたしはモモのセーラー服の裾を掴んだ。
「モモ、帰ろうよ。私……もう無理だよ……」
声が、自分のものじゃないみたいに震えていた。
モモは振り返る。
切れ長の目が、まっすぐわたしを見る。
「だめ。桜の家までは行く」
強い。
うちのモモ、強い。
わたしは裾からカバンに持ち替えた。逃げられないように。
小柄なわたしは、長身のモモの後ろを、下を向いてついていく。
地面しか見ない。
地面だけ見てれば、きっと大丈夫。
目印になる建物は、全部消えていた。
だから、記憶を頼りに都電の線路跡をたどる。
やがて見覚えのある国民学校の横を通った。
そのとき。
人だかりに、ふと目がいってしまった。
――見ちゃった。
だめなやつ、見ちゃった。
「やだー!もうやだー!!」
わたしはその場にへたり込んだ。
こんなの、聞いてない。
桜を迎えに行くだけの、ちょっとした冒険のはずだったのに。
モモがわたしの手を握る。
ぎゅっと。
そして、そっと引っ張る。
「もう少しだから」
その一言が、やけに遠く聞こえた。
でも。
桜の顔が浮かぶ。
いつも笑って、「紀依、また寝坊でしょ?」って言う桜。
――行かなきゃ。
わたしは、震える足で立ち上がった。
元気だけが取り柄の門倉紀依。
今日くらいは、その取り柄、ちゃんと使わなきゃ。
泣きながらでもいい。
怖くてもいい。
親友のところまで、歩く。
それが、わたしの決意だった。




