異世界屋台『まんなか』 〜雪の降る夜、ここには種族の壁も争いもありません。あるのは熱々のおでんと、優しい出汁の香りだけ〜
寒くなってきましたね。 そんな夜にぴったりの、温かいおでんのお話です。
難しい戦闘や政治の話は一切ありません。 あるのは、出汁の染みた大根と、ちょっとした異種族交流だけ。
肩の力を抜いて、温かい飲み物でも片手にお楽しみください。
国境の森に、しんしんと雪が降っていた。 世界からすべての色が消え、音さえも雪に吸い込まれていくような静寂の夜。 そんな闇の中に一箇所だけ、温かな橙色の明かりが灯っている場所があった。
赤提灯をぶら下げた、小さな屋台だ。
店主のゲンは、鍋の蓋を少しだけずらした。 立ち上る白い湯気とともに、カツオと昆布、そして醤油の焦げたような香りが、冷たい空気に爆発的に広がる。
「……そろそろか」
鍋の中では、飴色に染まった大根や、ふっくらとした厚揚げたちが、コトコトと小さな音を立てて踊っていた。
ザッ、ザッ、ザッ。 雪を踏みしめる音が近づいてくる。 暖簾をくぐって現れたのは、銀色の鎧をまとった人間の女性だった。
「……大将。やってる?」 「いらっしゃい。雪の中、ご苦労さん」
彼女は人間軍の騎士団長、エレナだ。 兜を脱ぐと、亜麻色の髪がふわりと広がる。その顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。 彼女は重たそうに長剣を外して隅に置くと、パイプ椅子に腰を下ろして大きなため息をついた。
「寒いなんてもんじゃないわ。鎧の隙間から冷気が入ってきて、骨まで凍りそう」 「熱いの、つけるかい?」 「ええ、お願い。……ああ、生き返るわ」
ゲンが出した徳利とお猪口を、エレナは両手で包み込むように持つ。 そして、クッと一口。 喉を通る熱さに、彼女の細い肩から力が抜けた。
「……で、今日は何にする?」 「いつもの。大根、一つ。よく染みてるやつを」 「あいよ」
ゲンはトングで、鍋の主役をつまみ上げた。 三日間、弱火でじっくりと育て上げた大根だ。角は取れて丸くなり、芯まで透き通るような飴色に染まっている。
皿に盛って差し出すと、エレナは目を細めた。
「いただきます……」
箸を入れる。抵抗などない。スウッ……と、まるで淡雪に触れたかのように箸が沈んでいく。 半分に割ると、断面から黄金色の出汁がじゅわりと溢れ出した。
「あつっ、はふっ……はふ、はふ」
口の中で転がしながら、ゆっくりと噛み締める。 その瞬間、優しい旨味が口いっぱいに炸裂した。 カツオの風味、野菜の甘み、醤油の香り。それらが冷え切った身体の芯へ、じんわりと染み渡っていく。
「……んん〜……」
思わず、鼻から長い吐息が漏れた。 眉間のシワが消え、彼女は少女のような顔で微笑んだ。
「これよ、これ。このために今日一日、雪かきを頑張ったのよ……」
その時だ。 再び、雪を踏む音が聞こえた。今度は、ズシン、ズシンという重い音だ。
暖簾が大きくめくれ上がり、巨大な影が入ってきた。 丸太のような腕。口元から突き出た牙。緑色の肌。 魔族のオークだった。
エレナが一瞬、箸を止めて身構える。 だが、入ってきたオーク――木こりのガルドは、先客が人間だと気づくと、申し訳なさそうに身を縮めた。
「……あー、すまねぇ。ここ、いいか? 腹が減っちまってよ」 「構わんよ。詰めれば座れる」
ゲンが顎で席を示すと、エレナも苦笑して椅子を少しずらした。 ここで剣を抜くのは無粋だ。ここは中立地帯、ただの飯屋なのだから。
「……どうも」
ガルドは小さくなりながら座ると、鍋の中を覗き込んだ。
「大将、俺にも大根くれ。あと、その三角の白いやつ」 「はんぺんだな。あいよ」
出された大根を見て、ガルドの喉がゴクリと鳴った。 彼は太い指で小皿を指差した。
「姉ちゃん、そっちの黄色いの、取ってくんねぇか。俺の席からだと届かねぇ」 「ああ、からし? どうぞ」 「ありがとよ」
ガルドは小さじ一杯分のからしをすくい、自分の大根にたっぷりと塗りつけた。 それを見たエレナが、思わず声を上げる。
「ちょっと、あんた。それ付けすぎじゃない?」 「あ? オークは刺激に強いんだ。これくらい平気だぜ」 「知らないわよ。ここの大将のからし、結構鼻に来るんだから」
忠告も聞かず、ガルドは大根を一口で放り込んだ。
「はぐっ……んぐ、もぐ……」
数秒後。 ガルドの動きがピタリと止まる。 こめかみに血管が浮き上がり、豚のような鼻がヒクヒクと痙攣し――。
「――ん゛ん゛ん゛っ!!? ぐぉぉぉ……!!」
ガルドは涙目で天井を仰ぎ、口をパクパクさせている。 ゲンが無言で差し出した冷や水を、彼は一気に飲み干した。
「ぷはぁっ! ……き、効くぅ……! 脳天突き抜けたわ……」 「ほら言わんこっちゃない!」
エレナがクスクスと笑う。つられてガルドも、照れ隠しにニカッと笑った。
「いやぁ、面目ねぇ。……けど、このツーンとくるのが、熱々の出汁と合うんだよなぁ」 「ま、それは分かるわ。私も大根にはたっぷり付ける派だし」
エレナは自分の皿の牛すじに七味を振りかけながら、世間話のように続けた。
「あんた、木こりでしょ? こんな雪の中まで仕事?」 「ああ。北の砦の暖炉用に、薪が大量に要るんだとよ。上官がうるさくて敵わねぇよ。『質が悪い』だの『乾燥が足りねぇ』だの」 「うわ、わかる。現場を知らない上官って最悪よね」
エレナは激しく同意し、空になったお猪口をテーブルに置いた。
「私なんてね、今日一日中雪かきよ? 『騎士団の足腰鍛錬の一環だ』とか言われて。おかげで筋肉痛だわ。剣を振るより腰に来るのよ、雪かきは」 「違げぇねぇ。俺も斧振るより、薪運びの方が腰に来る」
「……乾杯する?」 「おう、しよう」
カチン。 薄いお猪口と、分厚い木のジョッキが軽くぶつかり合う。
「「お疲れさん」」
種族は違う。戦場に行けば殺し合うかもしれない。 けれど今、この屋台の中だけは、二人はただの「腰痛持ちの労働者」だった。
「大将、俺にも熱いのくれ。あと『ちくわぶ』ってやつ」 「私は厚揚げ追加で。あと大根もう一つ」
ゲンは「あいよ」と短く答え、鍋の中からそれぞれの注文をすくい上げる。 白い湯気の向こうで、二人がハフハフと熱い具材を頬張る音が響く。
「……なぁ、姉ちゃん」 「なに?」 「戦争、早く終わるといいな」 「……そうね」
エレナは湯気の立つ厚揚げを見つめ、優しく微笑んだ。
「終わったら、あんたの森の木材、うちの国に輸出しなさいよ。いい家が建ちそうだわ」 「へへっ、俺が切った木は丈夫だぞ。高いぞ?」 「予算は上官に出させるわよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
やがて、皿が空になり、身体が芯まで温まった頃。 二人は代金を置いて席を立った。
「じゃあな、人間。風邪ひくなよ」 「ええ、貴方もね。……また、ここで」
エレナは南へ、ガルドは北へ。 二人はそれぞれの帰路へつく。雪はまだ降り続いているけれど、お腹の中の温かさが彼らを守ってくれるだろう。
「……さて」
客がいなくなった屋台で、ゲンは空いた皿を洗う。 静寂が戻った森に、鍋がコトコトと煮える音だけが優しく響いていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました! 寒い日は、熱々のおでんが食べたくなりますね。
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