出会いと旅立ちの序曲 その17
少年は、男の言葉に導かれるように、落としていた視線を上げた。それは、少し空想混じりな言葉だが、少なくとも今の少年にとっては心の奥に響く言葉だった。
届けたい、その思いに導かれるように、少年は真っ直ぐな瞳で彼の瞳を見つめていた。
「胸を張れ、足を前に踏み出せ、その先にしか道はない。あのウルフへ思いを伝えるために日々を過ごすのなら、前に進め……少年」
その言葉を聞いた時、少年は前に進まなければいけないと思った。昨日の夜、あの時、あの瞬間、あの場所で、彼の声は届かなかった。だからこそ、今度は自分の思いを伝えに行くために、その場所へ……
「というのが、俺の先生の受け売りの言葉だ。そして、立ち止まること……」
「立ち止まることは許そう、振り返ることも大切じゃ。ただ、決して後ろへ帰ろうとするな」
男の言葉を遮るように、聞き慣れた声が横やりを入れてきた。その声のする方へ視線を移すと、そこにはメルキドの姿があった。
「ばーさん?」
「確か、そう教えたはずじゃな」
「ええ、先生」
メルキドの優しい笑みに、男もせっかくの見せ場を取られたことを諦めたような表情でそう答えた。その言葉に、少年は眉間にしわを寄せて、考え込んでしまう。メルキドが表れたのは良しとして、先生というのは……
「どういうご関係でしょうか?」
「昔、この街の護衛団で剣術の先生をしてくださっていたんだ」
少年の問いに、さらりと答える男の姿を見て、彼は疑いの視線をメルキドに向けた。そんな話は聞いてない、そう言わんばかりの表情でメルキドを見ると、彼女はさっと視線をそらしてしまった。
つまり、昨日止めに入ったのも、男達を諫めたのも、メルキドには初めから勝てないと分かってたからである。
「まっ、基礎を教えただけじゃ。こやつは、その中でも一番出来の良かったやつじゃな」
それは、少年だけが蚊帳の外だったということを意味していた。
「じゃあ、さっきの言葉も?」
「そう言うことだ」
笑顔でうなずく男に、少年は深いため息を零しながらメルキドを睨みつけた。睨まれたメルキドは、すかさず視線をそらして知らん顔をしている。確信犯らしかった。
「まぁ、今のおぬしなら背負えるはずじゃ。お前は、痛みも苦しみも分かってやれる、立派な騎士なんじゃからな」
メルキドがそう口にした言葉、それを聞いたとき、少年はようやく理解した気がした。これから、自分がどのように生きていくべきなのか、どのような道を選んでいくべきなのかを。
「分かったよ」
少しだけすっきりした顔で、少年はそう答えていた。それを見ていたメルキドは、嬉しそうな表情をして小さくうなずいていた。
「そう言えば少年、名前は?」
そんな中、男が思い出したかのように、少年に尋ねてくる。
「えっと……ヒロって言うんだ」
少しだけ考えると、少年はその名を口にした。今更、弘樹という名も少し違う気がしたからだ。この世界に来て、多くのことをこれまで経験して、多くのことをこれから経験していくのだから、今の自分に呼ばれ慣れた名を、そう思い選択したのだ。
「……良い名だな。君のご両親は、ピッタリな素晴らしい名を付けられたようだ」
その名を聞いて、男は笑みを浮かべてそう答えた。しかし、少年は不思議そうな顔をしてしまう。
当然と言えば当然、そこまで褒められるような名ではないし、なによりこの世界の名前ではない。なのに、ピッタリと褒められるのは何故なのか、少年には分からなかった。
「ヒロはペジェンド出身というわけか」
「えっ、いや、何でそうなるわけ?」
まさか出身国まで言われるとは思わず、少年は少し慌てて尋ねた。この世界の人間ではない少年が、この世界にある国の出身なわけがない。
「何でもなにも、ヒロなんて言葉はペジェンド以外にはないしな」
男はまるで当たり前のように口にしたが、少年は驚きの色を隠せなかった。まさか、ヒロという言葉がこの世界にあるとは思っていなかったためだ。
「ヒロなんて言葉があるのか、ばーさん?」
「ああ、あるぞ。意味は確か……」
ヒロの問いに、メルキドは、少し斜め上を見上げながら考え込むと、その隣で男がクスクスと笑いをこらえようとしている。その光景は、先生と生徒の関係というのもうなずけるものだった。
「ペジェンド南西地方で使われる言葉でな、”ヒロ フィーアルア ディカート”という言葉があるんだ」
少し笑いながら、男はメルキドを助けるようにそう答えた。
「ほぉほぉ、それで意味は?」
「勇気ある英雄……別名、勇者だ。だから、ヒロっていうのは勇気って意味を持つらしい」
男の答えを聞くと、少年は呆然としてしまった。勇気という言葉を、ヒロと呼ぶ、自分の名前にそんな意味があったとは思ってもみなかった。当然、自分の両親がそれを知ってつけたわけではなく、たまたまやってきたこの世界でそんな偶然に出会っただけだが、それでも何か誇らしく感じていた。
「だから、良い名だと言ったんだ」
男の言葉に、少年は思わずうなずいてしまう。確かに、この世界の住人であれば、ヒロという名をつけてもおかしくはない。勇気という名を持つ少年、それは子供の成長を願う親には自然な流れのようにも思えた。
「そうじゃった、そうじゃった」
その横で賛同するメルキドだが、既に少年は疑いの眼差しを向けていた。そうじゃった、と言っているが、本当は全く知らなかったのだろうと思ったのだ。
「ヒロ、疑っておろう?」
「……別に」
鋭い視線を向けるメルキドに、すかさず視線をそらす少年、こういう所だけは異常に鋭いのだ。
「さて、報酬も受け取ったことじゃし、早々に立ち去ることにするかのぉ」
会話が途切れた所で、メルキドは背負っていた荷物をぐっと引っ張りしっかり背負い直すと、歩き出していた。せっかくの生徒との再会もあったのだからと、少年はメルキドを呼び止めようとした時、ふと気づいてしまった、周りの視線が2つに分かれていることに。温かい目で見ている者もいれば、冷たく軽蔑した視線でこちらを見ている者もいる。それは、よそ者が騒ぎを起こしたことを嫌う、街の人々の視線だった。
「すまないな、ヒロ」
少年が気づいたことを察した男は、少年にそう言葉をかけていた。少年達が何か問題を起こしたわけではない、それはわかっていても、この街の仲間に手を上げた以上、それは忌み嫌われるきっかけになってしまう。
「いや、良いよ……えっと」
「ドレイン、”ドレイン=ファーア”、ランクは”ウィザード”だ。覚えておいてくれ」
少年がその名を呼ぼうとしたときに詰まってしまい、自らが名を告げていないことに気づいた男は、少し微笑みながら自らの名を告げた。
「ああ、またどこかで」
少年は、その名を心に刻みながら、先を行くメルキドの後を追いかけるように歩き出した。
「また会おう、ヒロ!」
そんな少年を見送るドレインは、少しだけ声を大きくして2人を送り出していた。そして、少年達が見えなくなるまでずっと手を振り続けるのだった。
少年とメルキドは、セレモニの街を出ると大きな街道を歩いていた。魔獣の森の中へと続く道とは違い、しっかりと踏み固められた道を、どこへ向かうかも知らぬまま、少年はメルキドについて行くように歩いて行く。
「んで、次の目的地はどこなんだ?」
「とりあえず、最終的には王都に向かわねばならんからな。ファンデル山脈を越えねばならん」
少年の問いに、メルキドが目的地を答えた。しかし、そこへ向かうには、山脈を越えて行く必要があるらしく、少年は山登りを想像しながら、嫌そうな顔をして見せた。
「じゃあ、このまま野宿したりしながら山登りをするということ?」
愚痴をこぼす少年だったが、それはただめんどくさそうというだけではない。昨晩は、色々ありすぎて一睡もできていない。このまま野宿続きでしっかり休むこと無く山登りとなれば、体力が保つかどうか不安だった。
「いや、ファンデル山脈を越える前に、麓の街”オープル”へ向かうぞ。そこで、準備を整えてから山越えじゃ」
予想外に、立ち寄る街をあげられて、少年は少しびっくりしたような表情を見せた。
「麓の街?」
「そうじゃ、ファンデル山脈は大きいからな。山越えの街道沿いに大きな街があるんじゃ。そこでいったん、準備を整えるぞ」
少年が訪ねると、メルキドはそう答えた。確かに、大きな山越えとなれば、準備を整えてからというのも頷けるものだった。
「さて、気合いを入れ直しておくんじゃぞ。この先は、魔獣達の相手もせねばならん」
山脈越えを想像していた少年に、メルキドの言葉が飛ぶと、少しだけ彼の肩が震えた。それは、彼にとってとても重要な言葉が混じっていたからだ。
「それって、魔獣を斬るのか?」
「そういうことになるな」
少年の問いに、メルキドはさらりと答える。その答えを聞いて、少年は僅かに表情を曇らせた。
「本来は、ここで教えるつもりじゃったんじゃが、今のお前なら分かろう」
そう続けるメルキドに、少年はふと振り返って、遠くに見えるセレモニの街並みを見た。そして、フェザーウルフの親子の姿を思い浮かべると、再び視線をこれから進む街道の先へと移した。
「……何となくだけどな」
それは、斬ることの重みも、背負うものの大きさも、そして……斬らなければならないということも知った、1人の剣士の姿があった。
「大丈夫、やっていけると思う」
「よし、そのいきじゃ!」
重かった足取りは、いつしか軽くなり、待ち受ける冒険の日々は、少年の胸をワクワクさせてくれた。一歩一歩が、あのウルフの親子に近づいていると信じて、彼はまた一歩を踏み出した。
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