プロローグ
その日は、いつもと変わらない普通の一日だった。学校に行って、つまらない授業を聞いて、教師達の理不尽なルールに怒鳴り散らされ、威張った先輩がたの呆れるようなお言葉を頂いて、最後には気の合う友人と寄り道をしながら自転車で帰路に就く。そんな普通の一日は、これからもずっと続くのだ、そう思っていた。
「じゃあ、また明日な」
そう言って友人に軽く手を振ると、いつもの交差点の手前で別れる。公園の少し前にある小さい交差点は、車通りも少なく、いつもそこの横断歩道を渡っていくのが彼の日課だった。そして、今日も同じように、自転車で横断歩道へと近づいていく。
「あっ、そうだ! この前借りたソフト、明日持ってくるから」
「わかったわかった、前向け前!」
ふと友人に伝え忘れたことを思い出し、少年は自転車に乗ったまま後ろを振り返った。すると、友人は少年の進行方向を指さしながら、大きな声で注意した。
「弘樹、危ないぞ! 車来たら」
友人の大声を聞きながら、少年は車なんて来るわけないと思い込んでいた。いつも通るこの交差点に、車なんて見たことがない。だからこそ、彼はよそ見をしたまま横断歩道へと進んで……
「ヒロッ!?」
次の瞬間、耳に届いたのは叫び声だった。
それが、少年が最後に聞いた言葉だった。彼のあだ名だ。特に変わったものではなく、何のひねりもない、彼の名前”弘樹”の上二文字を取って、そのまま呼んでいるだけだ。そんな、ありきたりなあだ名が、自分の最後に聞く言葉になるなんて考えてもみなかった。
次の瞬間、変な音が響いて、世界がぐるぐると回りながら視界を横切っていく。自分が動いているのか、それとも世界が動いているのか、それさえもわからないまま、視界の端にだんだんと近づいてくる地面に叩きつけられた。ぶつかる瞬間まで、痛いんだろうと思っていたが、意外にそうでもなく、それどころか、地面にぶつかったことさえわからない程だった。それが、あまりにも意外で、自分がどうなっているのかわからなかった。
「ヒロッ…ヒロッ……!」
友人の声が聞こえた気がした。何を言っているのか、聞き取れないほど、低くドスのきいた声だったが、それが友人の声だと理解した。その声の口調やリズムが、彼だと思えた。
そして、少年は急に寒さを感じた。厚着していたにもかかわらず、寒くて寒くてたまらなかった。
「ヒロッ…大丈夫……? ヒロッ…!」
ボンヤリとしか聞こえない声の中、少年は、自分の手の平を見て、その手に大量の血がついていることに気づいた。ぼんやりとしか見えなかったが、その量は、生まれて初めて見るほど大量の血だ。こんなに出てるのに、それほど痛くないのが不思議だった。同時に、自分は死ぬんだろうと悟っていた。
「目を開け……! おっ……ヒロッ…!!」
ぼやけた視界で、友人がどこにいるのかわからなかったが、背中から抱きかかえられたのがわかって、少しだけほっとした。彼の手が、酷く温かくて安心した。血がつくとからかいたかったが、声も出なかった。
疲れた、寒い、まぶたも重い。少年は、ゆっくりと意識が薄れていくのを感じた。
「嘘だ! ……な、起き……! ヒロッ…!?」
子守歌のように感じた。周りの音が、全て子守歌の様に聞こえて、だんだん眠くなり……だから、自分は死ぬんだと感じていた。
次に瞳を開けたら……そこは、きっとあの世だ。
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