第3話『断片の代償』
夕暮れの街。
団地と団地の間に伸びる細い路地を、ユウトは全力で走っていた。
制服のポケットには、保冷バッグ。
中には、ミナの命を繋ぐ薬。
(届けなきゃ……絶対に)
背後から、鋭い気配が追ってきている。
異能を持った敵――“紅眼”。
けれど、今のユウトには、戦う余裕などない。
身体はまだ重い。
昨日の断片発動の影響が、抜けきっていない。
◆ ◆ ◆
ザリ……ザリ……!
瓦礫を踏みしめる音が近づいてくる。
振り向くと、黒いローブに身を包んだ女がいた。
仮面越しに覗く、赤い光の目。
「対象確認――断片発動者、如月ユウト。
捕獲対象、確定」
感情のない、機械のような声。
彼女が手をかざした瞬間――
空気が一気に、ねじれる。
次の瞬間。
身体が、鉛のように重くなった。
「な……に、これ……!?」
一歩踏み出すたび、地面に引きずり込まれるような感覚。
呼吸すら、重い。
(……空気が……押し潰してくる……!)
必死に前へと走ろうとする。
だが、足がもつれ、バランスを崩した。
(まずい……このままじゃ……)
息が荒くなる。
肺が焼けるように熱い。
重力――そう思い至ったのは、数秒後のことだった。
(……これって、重力、か……?)
でも、考えている余裕などなかった。
◆ ◆ ◆
脳裏に、妹の顔が浮かぶ。
『お兄ちゃん、遅いよー!』
『えへへ、待ってたんだよ』
笑顔。
無邪気な声。
その小さな命を守るために、今、自分はここにいる。
(逃げるだけじゃ……駄目だ!)
心の底から、熱が湧き上がる。
怒りでも、恐怖でもない。
――絶対に守りたいという、ただひとつの願い。
――断片、再起動。
ユウトの身体を中心に、空気が震えた。
重力の層が裂け、抑えつけていた力が弾ける。
「っ――なに……!?」
紅眼の構成員が驚きに身を引く。
ユウトは、一気に地面を蹴った。
重力の枷を振りほどき、駆ける。
◆ ◆ ◆
数分後、団地を抜けた先の広い通りへ。
街灯の下、ユウトは膝をついた。
肩で大きく息をして、額から汗が滴る。
保冷バッグは、必死に守ったまま。
しかし、異変はすぐに訪れた。
手が、震えている。
視界が揺れ、耳鳴りがする。
「……っ、くそ……!」
身体が、自分のものじゃないみたいだ。
これが、“断片”の代償。
力を使えば使うほど、心も、身体も、削られる。
(わかってた、はずなのに……)
けれど、後悔はなかった。
ミナのために走った。
それが、今の自分の全てだった。
◆ ◆ ◆
遠くで、パトカーのサイレンが鳴っていた。
紅眼の構成員は、気配を消して去ったようだった。
ユウトは、震える手で保冷バッグを抱え直す。
(もう少し……あと、少しだけ)
身体はボロボロでも、心だけは、折れていなかった。
◆ ◆ ◆
夜。自宅アパート。
ユウトはドアを開け、靴も脱がずにミナの部屋へ駆け込む。
ベッドの上、ミナは目を閉じていた。
「……ミナ!」
呼びかけに、彼女はゆっくりと目を開けた。
「……お兄ちゃん。
遅いよ……」
微笑みながら、かすれた声で。
ユウトは震える手で薬を取り出し、水と一緒に彼女に渡した。
ミナは、素直にそれを飲み込む。
◆ ◆ ◆
しばらくして、ミナの顔色が少しだけ良くなった。
「……ちゃんと、守ってくれたんだね」
そう言って、彼女は小さく笑った。
ユウトは、何も言わずに頷く。
胸の奥で、また小さな火が灯った気がした。




