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女騎士に聖水とポーションをぶちまけながら闇の龍と戦うお話

作者: 杉戸 雪人

黒衣に身を包んだ魔女と、ドレスアーマーを身に着けた女騎士は、霧深い闇のダンジョンを歩いていた。


魔女の名はミリア=イーズ。

騎士の名はネリス=ヒルドル。


二人はA級冒険者として、闇のダンジョンに現れた龍――『断末魔の残穢(ざんえ)』を討伐しに来ていた。


足元の暗いダンジョンの中、ミリアは銀色の瞳を光らせ迷いなく道を進む。


と、ミリアがネリスに囁いた。


「魔物が来る。多分スケルトン系」


「ミリアの目にかかれば、スケルトンもスケスケだな」


「うるさい」


ネリスが剣で魔物を砕き、ミリアは指先から生み出した銀色の炎でそれを燃やす。


作業じみた冒険の最中、ネリスが「静かに」と言う。


「何か聞こえるぞ」


「もう十分静かよ」


闇のダンジョンは、こと静けさと暗さにおいては他の追随を許さない。


「音楽だ……『英雄よ、その道を行け』が聞こえる」


「はあ? そんなわけ――」


冒険者ギルド定番の曲が、ミリアの耳にも届いた。ぽろんぽろんと優しい弦楽器の音色が響いている。


「――うそ。聞こえる」


「ああ、しかも猫が歌っている」



〈……にゃーにゃにゃーにゃにゃにゃにゃにゃ~〉



ミリアが「新手の魔物かしら」と警戒するが、ネリスは首を振る。


「こんなにかわいらしい声の魔物、いるわけがない」


「あんたねえ……」


A級冒険者がそんなことを言っていてどうするの、とミリアは呆れた調子で言う。「かわいいのとかきれいなのが危ないんだから」と目を細めた。


だが、ネリスはなおも明るい調子でいる。


「きっと愉快な冒険者がいるに違いない。ミリア、行こう」


「嘘でしょ……」


「万に一つでもその可能性はある……そうだろう? ダンジョンから抜け出せなくなってしまった吟遊詩人が、最期に音楽を楽しんでいるのかもしれない」


「どんな可能性よ」


それならとっくに魔物に襲われてる、とミリアは渋々ながらもネリスに続いた。ダンジョンから抜け出せなくなった冒険者がいるかもしれない――その可能性を見過ごすことができなかったのだ。


「なあミリア。もし本当に吟遊詩人だったら、私たちの冒険を歌にしてもらおう」


「はあ、ほんとにお気楽なんだから」



ネリスとミリアはまだ知らなかった。これから出会う者たちが、吟遊詩人でも、新手の魔物でもないということを――



§ 冒険者ギルド §


「おい、またアイテム屋が来たぜ……」

「例の猫人の女の子連れてるっていう?」


「ほら、あのでっけー箱背負ってるやつ……」

「ああ……え、あの子たち……?」


「死にそうだろ……あいつらだけで行くんだぜ……」

「……絶対死ぬ……死んじゃうわ……!」


冒険者ギルドの中を歩いていると、他の冒険者たちが俺たちの死を予言しているのが聞こえてくる。願わくば、老衰で死にたい。


自分の死に方について考えていると、隣を歩いている従業員にして相棒――テナが小さく口を開いた。


「ルウィン……ボクたちまた死ぬって言われてるよ……」


細長い灰色の猫耳と尻尾をしゅんとさせていた。左右で異なる色の瞳……そのどちらも輝きを失っている。


そもそも暗めの灰色と深い緑色で、両方とも明るい色ではないが、普段とはやはり違って見えた。


「何度も言っているが、今なら引き返せるぞ?」

「……ほんと?」


「俺は行くが」

「シャー!」


テナが猫然(ねこぜん)とした威嚇をしてくる。

猫人は感情が高ぶると、より猫っぽくなるのが一般的らしい。


それにしたって、テナは野性味が強い方だった。


テナの怒りから目を背けると、受付嬢のニーナが手を振っているのが目に入ってきた。彼女はギルドの中でも数少ない理解者の一人だ。


ニーナはその人当たりのよさのおかげで、男女問わず冒険者たちからの人気が高い。三日に一度は誰かしらに口説かれているのを見かける。


「おはようございます。ルウィン君、テナちゃん」

「おはようございます」

「シャー!」


テナの凶暴化を目の当たりにし、ニーナは目を見開く。


「あら、テナちゃん猫モード?」

「死を予感して本能が強まったみたいです」


「かわいそう」

「ええ、まったく」


「それで、今日はどのダンジョンに向かわれますか? ダンジョン一覧をご提示いたします――」


【ダンジョン警報発表中】


・地:平常

・水:平常

・火:平常

・風:平常

・雷:特別警報(A級未満禁止)

  ―『轟河沙(ゴウガシャ)

・草:注意報

  ―『マンドレイクの春』

・氷:平常

・毒:平常

・光:平常

・闇:警報(A級以上推奨)

  ―『断末魔の残穢(ざんえ)



「――ちなみに、闇のダンジョンは特別警報への引き上げを検討中ですので、A級未満の冒険者の方はご遠慮ください。生存者の報告によると、龍種の可能性が高いとのことです」


龍種……最も危険な存在。

隣のテナがぶるっと身体を震わせる。


「当然ですが、雷のダンジョンに入ることは原則禁止ですので」


ニーナは微笑んでいたが、「絶対だめですよ」と釘を刺しているように見えた。


「もちろん」


雷のダンジョンには行かない。約束事を破るのは、商人としても避けなければ。

ほっと胸を撫で下ろすニーナ。

本能モードが解け、一瞬期待に目を光らせたテナ。


二人には、申し訳ないと思う。

だが――



§ 闇のダンジョン 第4領域 『巨人の(ひつぎ)』 §


「――こういう場所にこそ、アイテム屋がいないとな?」


俺とテナは、深い闇のダンジョンへと踏み込んだのだった。


§ 闇のダンジョン 第4領域 『巨人の(ひつぎ)』§


「――こういう場所にこそ、アイテム屋がいないとな?」


闇のダンジョン。

ダンジョン内のほとんどに不死なる者ども(アンデッド)が蔓延り、人魂やら狐火やらがいたるところに浮かぶ素敵空間だ。


「うぅ……闇のダンジョン怖い……怖いよぉ」


テナと同様、俺も正直なところ来たくはない。

とりわけ第4領域は『巨人の棺』と呼ばれるほど広大で、最も死者が多い場所だった。


おまけに、今は濃い霧が発生していて足元もおぼつかない。

俺たちは……どのあたりにいるのだろうか。


「きっとボクたちもう帰れないんだ……もう五日もいるもん……」

「いや、だいたい三日だぞ」


テナはすっかり小さく縮こまっていた。

時間感覚もおかしくなっている。軽くダンジョン病らしい。

まあ、十日もいるような気分になるのも分かるが。


「こういう時はそうだな……龍頭琴(リュード)でも弾こう」


俺が背負い箱の一番下の引き出しから楽器を取り出していると、テナは「そんなのポロポロ鳴らしたからって、おばけは消えないにゃぁ……」と語尾が怪しくなり始めていた。


そんなテナには構わず、俺は背負い箱を椅子にする。この背負い箱、龍種の骨と皮で作られているから頑丈だし、座り心地が良い。


そんなことはさておき、リュードを構える。


「みゃぅ……」


すると、哀れっぽい声を出しながら、テナが隣に座ってきた。

相当怖いらしく、尻尾を腰に絡みつけてくる。


「にゃぁ……しかたないにゃぁ……」


俺たちはしばし、天然の棺桶の中で音楽で気を紛らわせることにしたのだった。



それから、どれくらい経っただろうか。

テナがついに恐怖で人語を忘れかけてきた頃のことだ。


「テナ、霧の向こうから剣で打ち合う音が聞こえてきたぞ。小編成の冒険者のパーティーが来たらしい。腕は中々……いや、上々か。これは期待できそうだ」

「にゃ……」


きっと、スケルトンあたりの武器持ちのアンデッドと戦っているのだろう。神聖魔法特有の銀光がぼんやりと見えるあたり、優秀な癒し手(ヒーラー)がいるのだろうか。


「剣と魔法……オーソドックスなバランスのいいパーティの気配だ。流石にわざわざこんな場所を通ろうとするだけはあるな」


やってくるであろう冒険者たちに想いを馳せていると、いつのまにか戦闘が止んだらしい。激しい争いの音はどこかへ消え、小さな話し声と金属の装備を身に着けた者たちの足音が聞こえてくる。


俺は竪琴の弦を強く弾いた。

冒険者ギルド定番の曲『英雄よ、その道を行け』を奏で、彼らを出迎える。

テナもはっとした様子で頑張って歌い出した。


「……にゃーにゃにゃーにゃにゃにゃにゃにゃ~」


歌詞がうろ覚えなのか、恐怖の影響なのか。

もはやにゃーしか言わない。

それはともかくとして――


「――ようこそおいでくださいました。

 道があるならばどこまでも。

 アイテム屋のルウィンです。

 このリュードと従業員兼相棒のテナ、

 それら以外のお望みの物、

 何でもお売りいたしましょう」


いつもの適当な挨拶に、近づいていた人影が立ち止まる。


「あはは! アンデッドにしては優雅すぎる音楽と愉快な歌だと思った。だが、まさか商人がいるとはね。驚いたよ」


ドレスアーマーに身を包んだ女騎士が、抜き身の刃を携えながら正面に現れた。白銀の鎧と大盾は傷だらけだったが、その声色からまだまだ余裕がありそうだった。


「ちょっとネリス! こんなところに商人なんておかしいわ!」

「ミリア、すぐに疑ってかかるな。彼らは人間に見えるぞ」


騎士の後ろから現れた、ミリアと呼ばれた背の低い少女――黒いローブにとんがり帽子、いかにもな装いをした魔女が俺に疑念をぶつけてきた。


「人間に化ける奴がいるからタチが悪いのよ、魔物ってのは!

 こんなとこA級冒険者だって一人で来ないわよ!」

「確かに、ダンジョン警報中に商人だけで生きているのは普通ありえないが……」


まったくもって、おっしゃる通りだ。


「あんたたち、動かないでよね……!」

「演奏は続けても?」


ポロン♪


「……魔物にしては口が減らないわね」

「死人に口なしと言いますが、アンデッドじゃないので減りません」

「あんたねぇ……」


俺を睨むように真っすぐ見つめてくるその瞳は、銀色にきらめき、全てを見透かすかのようだった。

それにしても、数日ぶりに他の冒険者と話せるのがこれほど楽しいとは。


「まったく……いいわ。アンデッドじゃないって分かったから」

「それは何より」


「疑って悪かったわね。ごめんなさい」

「新種のアンデッドとして切り捨てられずに何より」


俺の言葉にミリアは苦笑し、隣で見守っていた騎士のネリスはおかしそうに笑っていた。


「あっはは……いや、すまないね、うちのミリアが」

「いや、ミリアさんは正しいですよ。

 誰だって、こんなところに人がいるとは思いませんし」


まあ、俺だってまさか二人組のパーティが来るとは思わなかったが。

ふと傍らにいるテナを見ると、じとりとした上目遣いで俺を見ていた。


「……」

「……」


俺とテナの無言のやりとりをしばらく見守った後、ネリスが話を戻す。


「ミリアは正しいことしか言わないから、よく人と喧嘩になるんだ」

「ですが、過ちを認め、謝ることはできるようです」


「そこがミリアのいいところなんだ」

「なるほど」


全員でミリアの方を見ると、居心地悪そうに肩をすくめる少女がそこにいた。


「で、どうしてアイテム屋がこんな物騒なとこで生きてられたのよ」


まったくもって、おっしゃる通りだ。

俺たちが生きていられる理由それは――


「――魔よけの加護があるからです」


ひとまず、俺たちは死の道行きを共にすることになった。ネリスの方から同行を提案してくれたのはありがたい話だ。


足元の見えない道を歩きながら、お互いについて話し合う。


「――つまり、君はアイテム屋として他の冒険者の助けに来たと。そして、迷子になってしまったと」

「まったく、お恥ずかしい話で」


俺の話を聞いたネリスは相変わらず面白がっていたが、ミリアの方は人ではない者に向ける目で俺を見ていた。


「あんた、A級冒険者たちが何人も生きて帰ってないこと……知らなかったわけじゃないわよね……?」

「はい。そう聞いていたので、来るしかないなと思いました」


「ただの商人が……来るしかないって」

「ただの商人ではありませんよ。

 俺を購入する場合、きちんと対価はいただきます」


「その『タダ』じゃないわよ……」

「失敬。言葉を取り違えました。商人なもので」


俺とミリアの会話を聞いて、ネリスはお腹を抱えて笑っていた。


「ミリア、この人おもしろいじゃないか。買おう」

「ぜったい嫌よ」


残念ながら、売れ残ってしまったようだ。

俺としては買われるのもやぶさかではなかったのだが。


「にゃ……」

「テナ、残念だったな」


もはや人の姿をした猫と、短くも深い意思疎通を図っていると、ネリスが「それにしても――」と口を開く。


「――魔よけの加護というのはまさしく奇跡だな。小一時間歩いているが、全く魔物に出会わない」

「龍種には通用しないんですけどね」


「それでも十二分の価値がある」

「恐れ入ります」


魔よけの加護……それは最も希少な加護の一つで、この加護を持つものは自分から向かわない限り魔物に襲われないという。今のところ、この加護を持つ他の人物と出会えたことはない。


ネリスが感心していている一方で、ミリアの表情は少し暗かった。


「全ての人にこの加護があればいいのにね」


ミリアの言葉に対して、ネリスは「滅多なことを言うものじゃない」とたしなめる。「悪かったわ」とミリアに謝られるが、その必要はない。


「俺もそう思ったことは何度もあります。

 だから、アイテム屋をしているんです」

「だから……と言うと、どういうことなんだい?」


ネリスが首をかしげる。


「残念ながら、俺には剣や魔法の才能はあまりないようで……それならば、危険な土地でも構わずに足を踏み入れ、冒険者たちの支えになろうと思った――そういうわけです」

「なるほど、それは殊勝なことだ」


ネリスは微笑んだ。

一方で、ミリアはしんみりとした空気を漂わせ始めていた。

これはいけない。


「ね、ただの商人ではないでしょう?

 安くはありませんが、いかがです?」

「なっ……あんたって人は……ほんと、変な人ね」


まったく、変な人ぐらいが俺にとってはちょうどよかった。

ミリアは強気な表情を取り戻して、今度はテナの方を見る


「それで、さっきから静かなその子はどうしちゃったの?」

「テナは恐怖のせいか、上手く喋れないようです」


「かわいそう」

「まったくもって」


さて、俺たちの事情については多少話したから、そろそろ一番気になっていることを聞かなければならないな。


「そういえば、お二人はどうやって討伐対象まで辿り着くつもりですか?

 俺なんて――」


俺は首を動かして周囲を見渡す。


「――さっぱり道が分からないのに」


道と呼べる道は、第4領域には存在しないし、出現した龍種の影響なのか深い霧もある。これでは進みようも戻りようもない。


呆れた様子のミリアが「あんたねぇ」と前に立つ。


「あたしたちが何の根拠もなく歩いていると思ってたの?」

「ええ。大勢で迷う方が、気休めになるなと思ってました」


「あっはっは!」ネリスが大いに笑う。

「うるさいッ!」それをミリアが叱った。


「アンデッドが反応するかもしれないでしょ!」


ミリアの声はネリスよりも大きかったが、言い分はもっともだ。


ミリアは「おっきい声、出しちゃったじゃない……」と少しうつむいてから、再び顔を上げる。


「……あたしには幻視の力(ウィッチサイト)がある。あんたがアンデッドじゃないって判断できたのも、この目のおかげ」


道理で迷いがないわけだ――


「――それって、商品の本物と偽物も見抜けたりします?」

「いちいち話が脱線するわね……まあ、そういうこともできるけど。

 一番大事なのは、あたしには進むべき道が見えるってこと!」


ミリアは人差し指で自身の目を指さす。



「そして、もうじきこの領域に現れたボスがお出ましよ」と、その指で霧の向こうの存在を指し示した。

ネリスも「そういうことだ――」と話に入ってくる。


「――言い忘れていたが、今なら君たちだけでもここから脱出させることも可能なんだ」

「なんと」


「先に言わなかったのは申し訳ない。

 話が楽しくてな、言うのを忘れていたよ」

「いえ、俺も楽しいですよ。なあ、テナ?」


返事がない、まるでしかばねのようだ。


「今から君たちだけでも逃がそうか?」

「もちろん早くここから逃げたいです……と、言いたいところですが――」


俺はテナの意思を確認すべく、彼女と目を合わせた。


「テナはどう思う?」


テナは小刻みに首を振って、俺に何かを訴えている。

なるほど。


「俺たちも、お供させてもらいます」

「よし、いいだろう」


こうして、俺たちは腹をくくることになった。


ネリスは俺の意志を確認し、少しかしこまっていた表情を崩した。やはり、彼女は笑顔がよく似合う。


「こちらとしても君の加護は助かる。できるかぎり些末な戦闘は避けたいと思っていたところだったんだ」


そう言って手を差し伸べてきたので、俺もその手をとった。


固い握手を交わしていると、「ミ゛ッ……ミ゛ゥッ……!」というたまに聞く鳴き声をテナが出した。


「ねえあんたの猫ちゃん、すっごくショックを受けてそうなんだけど」

「え、そうですか?」


テナの目は虚ろで、どこか遠くを見ていた。

そんなテナの背中を、ミリアが優しく撫でている。


「あんたの主人、ヤバいわね……」

「ミィ……」


その光景を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになってきた。テナだって、たまには俺以外の人と話した方が楽しいだろう。

ヤバいという評価は、少し気にかかるが。


ネリスも同じ気持ちらしく、にこやかにその様子を眺めていた。そして、意を決したように、人魂が彷徨う霧の先に剣を向ける。


「我々の目的は一致した。行こう」

「ええ、行きましょう」


騎士のネリス、魔法使いのミリア、アイテム屋のルウィン、猫人のテナ……世にも奇妙な組み合わせで始まったダンジョン災害攻略。


全員で歩もうとしたその時、ネリスが「なあ」と呼びかけてきた。


「ルウィン、君のその大きな背負い箱の中には何が入っているんだい?」


そうだ、きちんと説明しておかなければならなかった。


「夢と希望、ですね」

「なるほどなぁ」


ネリスとしみじみした空気を堪能していると、真ん中を歩いていたミリアがわざわざ数歩先を歩いて行き、振り返る。


彼女は人差し指を立てて口を開いた。


「なるほどなぁ…………じゃないわよ!」


俺は感動した。わざわざそれだけを言うために前に出てくれるとは。他者という存在のありがたさを、改めて彼女は教えてくれた。

であれば、俺もミリアに報いるべきだろう。


「この背負い箱には、夢と希望が詰まっています」

「それは聞いたわよ」


「物凄く具体的なお話をすると――」


所持品:

 ・聖水      ×150

 ・砥石      ×2

 ・ナイフ     ×3

 ・干し肉     ×12

 ・ポーション   ×48

 ・ダンジョン日誌 ×1


「――ですね」


幸い、魔よけの加護のおかげでこうしたアイテムたちのほとんどは消費せずに済んでいた。食べ物に関しては減る一方だが。


背負い箱から引き出した(かたよ)った商品の数々に、ミリアが一番に目を輝かせる。


「うそ……! これって全部ちゃんとした聖水じゃない!

 よくあるただの水じゃない! しかもこんなにたくさん……」

「え、ただの水を聖水として――!?」


――売るのか!?


「あんた知らないの? 聖水詐欺。

 ちゃんとした聖水とただの水がよく一緒に売られているわ。酷いと全部ただの水」


とんでもない話だ。


「知りませんでした……闇のダンジョンより深い闇だ……」


そんなことをする同業者がいるなんて、信じたくなかった。俺が所属する商人ギルドでも、そんな話を聞いたことがない。


俺が「信じられない」という顔をしていると、「あんたもそういう顔するのね」とミリアが小瓶を持ちながら横目で見てくる。


「ちょっと見直したわ」

「お褒めにあずかり光栄です」


普段ツンツンしている女性の褒め言葉は、どうして価値が高く感じられるのだろうか。


心の不思議について考えていると、ネリスが両手に聖水の小瓶を持って感嘆の声を上げる。


「本物の聖水はありがたい! 私たちも手持ちが少ないんだ!」


そう、ほとんどの冒険者は闇のダンジョンを攻略する時は、聖水を用意している。というのも、生息する魔物の多くが呪いを扱う攻撃をしてくるからだ。1領域につき最低1つは必要だと聞いたことがある。


「ご要望とあらば、お売りしますよ」


これは商機(しょうき)


「いくらだい?」

「それぞれ一つ、金貨1枚です」


「ふむ、高いな」

「恐れ入ります」


ミリアが「高すぎでしょ!」と割り込んでくる。


「まあまあミリア。危険な場所なんだから仕方ないだろう」

「どう考えても足元見られてるわよ!」


……黒いローブはスカート状になっているため、生足がしっかりと見えている。足先まで視線を落とすと、靴先が反り返ったいかにも魔女らしいブーツを履いていた。


だが、やはり俺の視線は自然と上がってゆき――


「足元見てんじゃないわよ」

「――なまあ……失礼しました」


俺は黙って聖水をミリアに差し出した。

金貨1枚分の価値はある。


ミリアは「ば、ばか。どういう意味よ!」と若干怒って、若干恥ずかしがっていたが、背に腹は代えられないと聖水を受け取った。


「こちら、ほんのサービスです。残りの聖水については、後払いしていただくことも可能ですし……ぅ、ぐっ――」


突如、脇腹に小さな痛みが連続する。

なぜかテナが俺の脇腹に猫パンチを繰り返しているようだった。


ちょっとした痛みには構わず、呆れ顔のミリアと微笑を浮かべたネリスを交互に見る。


「――こちらの聖水、全てただ(・・)でお渡しすることも、可能です」


聖水の無料提供の約束をした俺たちは、果てがないように思われた霧の先に、恐ろしく冷たい空気が漂う場所を見つけた。


薄くなった霧の世界の中心に大きな闇がうごめいている。その光景を前に、騎士と魔女の空気が明らかに変わった。


「……魔王化、一歩手前のようだな、ミリア」

「……そうね、ネリス」


張り詰めた表情で、ミリアは付け加える。


「ごめん……詠唱、長くなるかも」


詠唱――それは魔法を使うための儀式。

相手に対して相応しい想いを言挙(ことあ)げ――つまり、言葉に出して言い立てる行為だ。


「あっはは! 今回は特に凄いのが見られそうだ」

「あんたねぇ…………期待してなさい……!」


相手によっては無詠唱や短縮呪文、定型の詠唱で事足りることもあるが、強大な敵と相対した時はその限りではない。


ミリアが言った「詠唱が長くなる」というのは、敵を正しく捉え、それを倒すだけの力を発揮するために、長い言挙げが必要だということだった。


「さあ、みんな……ゆくぞ!」


予定通り、ネリスが最前で大盾を構え、その後ろに俺とテナが並び、最後尾はミリアという隊形になる。

俺とテナも、背負い箱を引き出して準備万端だ。


「テナ、頑張ろうな」


そう呼びかけると、テナは「にゅん」とひとつ鳴く。表情もおよそ人間がするものではなく、感情が読めない。


……と、その時。


〈グオオオォォォッ!!〉


突如発せられた闇の根源の咆哮(ほうこう)が、ダンジョンを大きく揺らす。


「来るぞ! 備えろ!」


ネリスの掛け声に、パーティの緊張感が最高潮に達した。


周りを囲んでいた死霊の影たちが地を這うように闇の中心に集合し、形を成し、黒き龍を(かたど)ってゆく。


〈我ヲ滅ボスカ〉


闇から生まれる声は、死そのものだった。

それは、行き場を失った幾千もの魂の終着。

断末魔の残穢(ざんえ)


「ゆくぞ……ッ!」


ネリスは怯むことなく、大いなる魔に相対した。


邪龍は大きく息を吸い、周囲に蔓延る死霊の影と人魂を飲み込んでゆく。


と、同時にミリアの詠唱が始まる。

彼女の身体は薄い銀色の光に包まれていた。


(えん)なる者達よ。(がい)なる者達よ。我、天恵をもって汝らに(まこと)の死を与えんと欲す――」


想いを言挙(ことあ)げする彼女の言葉は流麗で無駄がなかった。しかし――


〈滅セヨ〉


――それらを唱え切る前に、龍は全てを吐き出した。


燃え盛る黒い炎が、俺たちを飲み込もうと迫ってくる。

ネリスも負けじと()え、大盾を正面に突き出した。


「ぐぅッ……ォォォおおおお゛お゛お゛!!!」


盾と炎が衝突した瞬間、衝撃の余波が周囲の薄霧を晴らしていく。龍のブレスは、単に属性攻撃を与えるだけではない。その風圧だけで、並みの人間であればバラバラになってしまうのだ。


しかし、ネリスは耐えた。

むしろ、押し返す勢いすらある。

巨大な闇を前にしても、決して退くそぶりを見せない。


彼女は間違いなく英雄だった。


「ネリスさん! 耐えてくれ!」

「当然!!」


俺は打ち合わせ通り、ネリスに聖水をこれでもかと浴びせ続ける。


「うおおおお!!」


俺も柄にもなく吼えた。

手を休める訳にはいかない。


「ポーションも頼む!!」

「了解!!」


「もっとだ!!!」

「サービスサービスぅ!!!」


まるで川の流れのように、ドラゴンブレスは止まらない。

俺の両手も休まらない。

それにしても、龍の肺活量は凄まじい……。


「……テナ、その調子だ!」


テナもよどみなく小瓶を俺に手渡し、ついには口に(くわ)えてまで作業をし始める。それでいて速く、正確だ。


「ミ゛ッ! ミ゛ッ!」


鬼気迫る猫がそこにはいた。

生存をかけた聖水リレーの一方で、ミリアの身体を覆う銀の光は、その輝きをどんどん増していく。


そして、その時は来た。


()浄火(じょうか)。死を洗う(ともしび)を分け与えん――」


熾天の銀火(ゼルフィス・ファイア)


ミリアが呪文を唱えた瞬間、彼女を中心に一瞬にして銀色の炎が六方に燃え広がる。分かれた光の筋は太さを増し、呪われた空間を満たした。


「……すごい」


不思議と熱さはなく、身体が焼かれる感覚もなかった。

先ほどまでの闇の世界が嘘かのように、全てが白銀に染まっている。


「ミリア、ルウィン、テナ……やったな」


ネリスが振り返り、満面の笑みを見せてきた。

龍と戦った後とは思えない余裕がある。


「この4人でなければ、こう上手くはいかなかっただろう」


ネリスはそう言うが、あるいは俺の聖水がなくても彼女は耐えきったかもしれない。


「お役に立てて光栄です」


それでも、彼女の装備や身体が軽傷で済んでいるのを見ると、俺たちの頑張りも間違いなく役には立ったのだろう。


「テナ、ありがとうな?」


テナに声をかけるが、ちょこんと座ってダンジョンの天井を見上げていた。その目は遥か遠くを見ているようだ。

ネリスもテナの目を覗き込む。


「あはは、テナもずいぶんと頑張ったようだ」

「ほんとよ、こんなことに付き合わされてかわいそうに」


ミリアはテナに同情しながら「んー」と大きく伸びをした。彼女の魔法がなければ、俺たちは今頃アンデッドの仲間だったに違いない。


「さて、ルウィン。この有様を見る限り、君が期待した結果にはならなかったようだが、どうしようか――」


ネリスは周囲を見渡して、申し訳なさそうに言う。


「――やはり、きちんと後で君たちに報酬を支払うべきだろうな」


いつの間にか銀色の炎は消え、闇のダンジョンの霧も晴れていた。薄暗いダンジョンの地面には、何一つ転がってはいない。


「いえ、『無償でアイテムを提供する代わりに、魔物の落とし物(ドロップアイテム)は俺がもらいます』、そういう約束だったでしょう?」


アイテム屋として、約束は破れません。

そう伝えると、ネリスは気まずそうに頭をかいた。


「すまないな。だが、ありがとう。この恩は忘れないよ」

「俺もいいもの見させてもらいました」


そんなやり取りの最中、ミリアがうろうろと歩いていた。


何をしているのかと見守っていると、彼女は突然しゃがむ。


「ちょっとあんたたち、来なさいよ」


何か見つけたに違いない。ミリアの真剣な様子に、俺の胸は期待で高鳴った。


俺は力尽きたテナを抱きかかえて急いで駆け寄る。


「これは……!」


それを見つけた時、俺は何とも言えない気持ちになった。

死線をかいくぐった果ての報酬としては、どうなのだろう。

いや、命さえあれば儲けものか。


「ルウィン、多分、一応、ドロップアイテムだが……」

「まあ、何かの役には立つんじゃない? 多分……」


二人は控え目にそう言って、俺に拾うように促す。

俺はありがたく頂戴することにした。


「では、確かに俺がいただきます」


まあ、俺だって腐ってもアイテム屋だ。

価値が無いなら与えればいい。



New !

(わら)しべ ×1


なんてことはない、一本の藁しべを手に入れた。実に感慨深い。


「それにしても、よくこんなものを見つけましたね」

「まあ、一瞬あの龍が何かを落としたように見えたから」

「なるほど、俺のために……」

「ば、違うわよ!」


急に、この藁しべの価値が跳ね上がったように感じた。


ミリアが俺のために探してくれた、たった一本の藁しべなのだ。


「でもまあ……あんたも頑張ってたからね」


ミリアがはにかんだ顔を、俺は初めて見た。


「決めました。絶対に売りません」

「いや、売れるものなら売ってみなさいよ」



§ 地上への帰還 §


地上に戻ってから、ネリスは「聖水とポーション代には足らないが――」と俺とテナに好きなだけごちそうしてくれた。

お値段以上の感謝の気持ちを受け取って、俺も大満足だ。


「ネリスさん、ミリアさん、ごちそうさまでした。

 またどこかでお会いしましょう」


食事を終え、二人に別れの挨拶をする。

ネリスは名残惜しそうにしていた。


「ルウィン、君のように勇敢でおかしなアイテム屋は初めてだった。また会えるといいな」


ネリスはそう言って、再び俺に手を差し出す。


「ネリスさんとミリアさんこそ、英雄に相応しい冒険者でした。今後ともごひいきに」


俺はその手の力強さを感じるのだった。

ネリスとの固い握手の一方で、テナとミリアは――


「気を強く持つのよ、テナ」

「にゃあ……」


――女同士の友情を確かめ合っていた。


「あんたのおかげで助かったわ。

 ネリスも怪我が少なくて済んだし」

「こちらこそ……ありがとにゃぁ……」


「あ、あんた……やっと喋った……!」


感極まったのか、ミリアはテナを抱きしめた。

二人を見ていると、友情とはいいものだと改めて考えさせられる。

さて、そろそろお(いとま)しなければ。


「テナ、そろそろ帰ろうか」

「はいにゃ」


俺は偉大なる冒険者二人に向き直り、いつもの適当な挨拶をする。


「死地へと歩みを進める限り、このアイテム屋、ルウィンがあなたを支えます」


生きていれば、また会うこともあるだろう。

願わくば、二人の英雄と再び会わんことを――



§ 後日談 ネリスとミリア §


「それにしても、警報中のダンジョンでアイテム屋に出会うとは思わなかったなあ、ミリア?」

「とんだ自殺志願者もいたものね」


アイテム屋のルウィンと別れた後日、ネリスとミリアは冒険者ギルド内で食事をしていた。


「そういう意味では私たちも変わらないだろう? 実際、今回のクエストは危なかった」

「並みのA級冒険者では手も足も出ないわけよ。

 放置していたら『魔王化』もあり得た――」


ミリアはネリスの目を真っすぐ見て続ける。


「――それぐらいヤバい敵だったのに」

「だったのに?」


ミリアは人差し指をこめかみに当てて、在りし日を思い出していた。


「ルウィンの奴、『サービスサービスぅ!!!』とか言って!」

「あっははは! 似てるぞミリア!」


「ばか……死活問題だったっての!

 惑わされないよう必死に詠唱してたわよ……あたしは」


「ははは……いや、すまない。だが、あれで彼も必死だったんだ。私もルウィンのサービス精神のおかげで、力が湧いたものだよ」


ネリスとミリアが冒険の中で出会った奇妙なアイテム屋との思い出を語り合っていると、一人の冒険者が歩み寄ってきた。


「なあ、あんたたちだろ! 闇のダンジョン警報を解いたの! 俺にも話を聞かせてくれよ!」


さて、一人が声をかけるとどうなるか。

当然我も我もと人は集まり、ネリスとミリアは袋のネズミだった。


「闇のダンジョンで死霊たちに囲まれたのを思い出すわ」

「あっはっは……縁起でもないな――」



ネリスとミリアは未来の英霊たちに語る。


騎士と魔法使いが出会った、奇妙なアイテム屋と猫人の物語を――。

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