好きじゃない人と婚約する王女の話
☆☆☆→場面転換
☆☆☆☆☆→視点変換
あれは、10歳の時のことでした。
私は信用していた人に騙されて、危うく拐かされそうになったことがあります。手足の自由と視覚を奪われ、口を塞がれ、箱のようなものに閉じ込められてしまったのです。
口を塞がれているから、助けを呼ぶことも出来ない。手足を縛られているから、箱を突き破ることもできない。あの時ほど、自分の無力さを呪ったことはありません。
迫りくる死の予感に抵抗することすら出来ない悔しさと、ヒリついた恐怖心をよく覚えています。
そんな状況から「彼」は、私を救ってくれました。いつもの場所に私がいないことに異変を感じて、私が閉じ込められていた場所を探し当ててくれたのです。
『ロザリー様! ご無事ですか⁈』
そう言った彼の顔を見た時、どれほど安心したでしょうか。どれほど私の心が救われたでしょうか。
だから、あの時、私は彼に対して決めたことがあります。それは――。
☆☆☆
「ロザリー、そろそろ婚約者を決める時期だ。ここに候補者の資料があるから……」
「いやですわ」
「ロザリー」
父上は呆れたようにため息をつくけれど、私はそっぽを向いて、反抗の意を示しました。
私の名前は、ロザリー・ボヌール。我がローズ王国、国王の娘。
金色のくせ毛と空色の瞳を持っていて、その美しさは王妃譲りだなんて言われています。
王女である私へのお世辞も入っているのでしょうが、褒め言葉は有り難くいただくに限ります。気分が落ち込んでしまいますからね。
成績はいい方、だと思います。少なくとも、王女として恥ずかしくないくらいには。自信を持って言い切れないのは、比較対象がいないから。
国民は、私のことを“王国の薔薇ローヤル・ローズ”なんて呼んでいるようだけど、正直ピンときませんわ。
けれど、もっとピンとこないことがあるんですの。
「父上。私に婚約は早いと思いますの」
「早いわけあるか。お前ももう15歳だ。王女にしては遅いくらい……」
「まだお嫁に行きたくないわ、パパ」
「そこでパパはズルい!!!」
父上は頭を抱えて天を見上げました。
小さい頃の呼び方と「お嫁に行く」という言葉が、父上の親心にクリティカルヒットしたようです。
やはり、国王も人の子……いえ、人の親なのでしょう。
「いや、しかし。ロザリー」
「なんですの?」
「諸外国から、お前をぜひ嫁に欲しいと打診がきているんだ」
「いやですわ、外国との取引みたいな結婚なんて。父上がされればいいじゃないですか」
「……ロザリー。父上をお嫁に行かせてどうしたいんだ」
父上は、大きなため息をついてしまいました。すると、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきました。
私の護衛騎士、ノエルです。
「失敬。しかし、あまりにロザリー様が可愛らしくて」
「失礼な従者ね。母上似の私に可愛いなんて。美しい、でしょう?」
「はい。ロザリー様は美しいです」
「……」
ノエルは、私より4歳上の19歳。
垂れ目の優しい顔立ちで、どうやら世間では「イケメン」の部類に入るそうです。
王家主催のお茶会に集まる子女達は、彼の容貌にいつも色めき立っています。今のように、さらりと褒め言葉を言えるところも好感度が高いようです。
女の子にチヤホヤされているのが、なんとなくムカつくので、お茶会がある日は、彼の腕をつねることにしています。
ちょっと強くつねり過ぎちゃう時もあるので、反省ですが。
彼は元々、公爵家の子供として兄上の遊び相手に選ばれておりました。元々は、そのまま兄上の護衛騎士に選ばれる予定でしたが、今は私の護衛騎士として付いてくれています。
私達は、最早、幼なじみのようなものです。
だから、「彼がかっこいいか」なんて意識したことは、ほとんどありません。
けれど、夕焼けを彷彿とさせるような赤い髪はさらさらで、くせ毛の私はいつも羨ましいと思っています。
触らせてくれないかなと思うこともあります。
本人には絶対に伝えませんが。
「ノエルよ。お主からもロザリーに言ってくれないか。そろそろ、婚約者を決めなければマズイ。超マズイとな」
国王である父も、真面目な彼のことを大層可愛がっていて、このように威厳のない姿を見せることもしばしばです。
父の言葉を受けて、ノエルはこちらに視線を向けます。
私はその真っ直ぐな瞳から逃げるように、下を向きました。
「ロザリー様」
「何かしら、ノエル」
私の口から出た声色は、想像以上に低く硬い音でした。
次にノエルから出る言葉を予想して、私はギュッと目を閉じます。
しかし、彼の言葉は私の予想に反したものでした。
「ロザリー様が無理をなさる必要はないと思います」
「え?」
「ロザリー様が結婚したいと思う相手が出来るまで、待ってもよろしいのではないでしょうか」
ノエルはにっこりと微笑みます。
彼は私の味方なのだと、少しだけ嬉しくなりました。嬉しくなったついでに、私は軽口を叩きます。
「流石、ノエルだわ。今月の給料増やすわね」
「そうはさせぬぞ。国王はワシだ。給料を減らすなんて造作もない‥‥‥」
「権力をかざす人って最低だと思うの、パパ」
「だから、そこでパパはズルい」
父上が再び、天を仰ぎました。
「ゴホン……まあ、そうだな。ノエルの言う通り、ロザリーが好きな相手と結ばれるのが一番いい」
そこで、父上はニヤリと笑いました。嫌な予感がします。
「どうだ、ノエル。ロザリーと結婚する気はないか」
やっぱり。おかしいと思ったのです。私の婚約話に部外者のノエルを同席させるなんて、最初からこの提案をするつもりだったのでしょう。
「え?」
ノエルが困ってしまっています。私は父上を軽く睨みますが、どこ吹く風です。
「どうだ、ノエル」
「父上」
「今はノエルに聞いておるのだ。黙っておれ。……ノエルになら、我が国の王女を任せられると思うのだが」
父上は……というか、母上や兄上もなのですが。
私の家族は皆、私とノエルをくっつけさせようとしてきます。
どうやら、私がノエルのことを好きだと勘違いしているようなのです。
けれど、それは間違っていることです。
「どうだい、ノエルの気持ちを聞かせて欲しい」
「身に余るお言葉、光栄で……」
「いいわ、ノエル」
私はノエルの言葉を制しました。
「父上。何か勘違いしているようですが、私はノエルのことを好きではありません」
私のその言葉を聞いた時、ノエルがこちらを見たのを感じましたが、無視しました。
「ノエルも迷惑しております。これ以上、この話はやめて下さいませ」
「……分かった。勝手に判断してすまなかった。ノエルも、嫌なことを聞いたかな」
「いえ、そのようなことは」
しかしロザリー、と。父上は私に厳しい視線を向けました。
「婚約話を進めないといけないのは、本当だ。これは王族としての義務でもある」
「……」
「お前の気持ちも分かるが、もう幼い子供ではないのだ。よく考えておいてくれ」
「はい、陛下」
この時、私は敢えて父上を陛下とお呼びしました。
「命令でしたら、いくらでも受けます」という意地悪な気持ちで。少しばかりの意趣返しのつもりで。
父上は一瞬悲しそうな表情を見せたものの、それ以上は何も言わずに、部屋から出て行きました。
私の手元には婚約者候補の資料が残っています。
部屋の外から父上の「嫁には行って欲しくない、いやしかし」という声が聞こえてきました。つくつぐ、締まらないお方です。
父上が去って、部屋には私とノエルだけになりました。
「悪かったわ、ノエル。あなたは、何も気にしなくていいのよ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
ノエルはいつも通りの笑みを浮かべました。
ノエルは優しいから、気にしてしまったら可哀想です。だから、よかったと思います。
父上にああ言って、ノエルが安心出来たなら。
☆☆☆☆☆
「好きじゃないって、言われた……」
「ロザリーが?本当なのか?」
「もう、俺は、生きていけないかもしれないです……」
俺の名前は、イアン・ボヌール。ローズ王国の長男で、ロザリーの兄に当たる。ちなみに、次の国王は俺。
そして、俺の目の前で項垂れている男は、ロザリーの護衛騎士、ノエルである。
今の彼には、色男だと宮中の侍女たちに騒がれている面影は、欠片もない。捨てられた犬を彷彿とさせた。
「俺は今まで自惚れていたのです。ロザリー様は、俺のことを、少なからず好ましく思っているんじゃないのかって」
「うーん。間違ってないと思うんだけどなあ」
実際、ロザリーがノエルに好意を持っていることは、周知の事実だった。
ロザリーがノエルを好いていることが、血縁のある俺たちどころか、宮中でも共通の認識になっているくらいだ。
というか、王宮の中に「ノエルとロザリーはよくっつけ隊」が存在するくらいだ。非公式のファンクラブらしい。推しカプとか言っていたが、意味が分からん。
二人の仲の良さは各所で目撃されている。俺自身も、ロザリーからこんな話を聞いたことがある。
『ノエルが、私にお菓子を分け与えてくるんですの。本当にやめて欲しいから、兄上から言ってくださらない?』
『それの何がいけないんだ?」
『太るじゃないですか!!太ると可愛くなくなってしまいます!なのに、ノエルは太っても可愛いと言ってくるんですよっ!』
『……うん?』
『まったく。誰のために、可愛くしたいと思ってると……』
『なあ。もしかして、ノロケられてる?』
『今の話のどこがノロケなんですか!』
『えぇー……』
また、以前にノエルからこんな話を聞かされたこともあった。
『あの方、私が他の女性と話すと拗ねるんですよ。けれど、それを言葉では表さないで、代わりに腕をつねってくるんです』
『ほお』
『それで、俺が少しでも痛そうに顔を歪めると、すぐに慌てて心配してくるんです』
『……』
『それが可愛らしくて、毎回、わざと痛そうな顔をするようにしてるんです。あんな弱々しい力じゃあ、怪我するわけもないのに』
『……なあ、もしかして今って、ノロケ聞かされてる?』
『ノロケのつもりですが、何か?』
『貴っっっ様』
うん。なぜ、俺はこんなにも妹と従者(幼なじみ)の初恋を、直に浴びていたのだ。眩しすぎて、思い出しただけで目が潰れそう。
「俺はこれまで、どれほど身の程知らずだったのでしょう」
「いや、両想い両想い。もう両想いだから」
これが両想いじゃなかったら、世の中の何が両想いに当たるのかレベルで両想い。俺は何考えてるんだ、意味分からん。
「あー……あれかな。常に一緒にいるから、恋心を自覚していないパターンかもな」
「?」
「つまり、ノエルが当たり前の存在過ぎて、お前に対する感情が特別だって気づいてないんだよ」
「そんな……」
これは実際にあり得ることだった。ロザリーからの要望で、彼がロザリーの護衛騎士となった時から、もう5年も経つ。
知り合った時の年齢を考えれば、もっと長い月日を二人は過ごしているのだ。
「恋心」など、今更感じるのも難しくなってくるだろう。
「一回距離を取ってみたら、いいんじゃないか?」
「……」
「元々、ノエルは俺の護衛騎士になる予定だったのだし、俺の元に再就職なんてどうだ?」
「耐え難いですね」
「え?俺に仕えるのが?」
違います、とノエルは首を振る。
「ロザリー様の側を離れるのが」
「わあ」
背中がむず痒い。
あまりの甘酸っぱさに、俺は王宮中を叫びながら走り回りたい衝動に駆られた。
もちろん、王家の威厳のために、そんなことはしないが。
「じゃあ、気持ちを伝えるのはどうだ?」
告白されれば、ロザリーだってノエルを意識するはずだ。それでロザリーが気持ちを自覚できれば、願ったり叶ったりだろう。
しかし、俺の提案にノエルは顔を曇らせた。
「もしかして、爵位のこと気にしてるのか?」
「そう、ですね」
ノエルはレルミット公爵家の次男だ。しかし、爵位は長男が継ぐため、ノエルは公爵家とは関係のない人間となってしまう。一国の王女が嫁ぐ相手としては不足と言えよう。
それでも、だ。
王女であるロザリー自らが願えば、二人の結婚を推し進めることは簡単なのだ。
だが、ノエルの方からとなると……
ノエルは、苦悶の表情でおし黙っている。
俺は肘をついて、そんなノエルを挑戦的に見上げた。
「それじゃあ、お前は、爵位を理由にしてロザリーを諦めるんだな。随分と薄っぺらい感情だな」
その時のノエルの表情の恐ろしさと言ったらない。
身の毛がよだつほど、強く睨まれた俺は、たじろいでしまった。
しかし、すぐに彼は、俺が煽るためにこの言葉を言ったと察したのだろう。
ノエルは、困ったように眉尻を下げた。
「すみません」
「いや、いい。それほど本気ってことだろう?」
王族を凄むなど、不敬以外の何ものでもないが、そこは長年の関係がある。
これくらいで怒ったりはしない。
「俺、ロザリー様としっかり話そうと思います」
「ああ。それがいいと思う。今から行くのか?」
ノエルは首を振った。
「あの方は苺タルトが好きなので、買ってこようと思います。それを献上して」
「気を引こうと?」
「その通りです」
「健気だな」
俺はニヤリと笑い、ノエルを揶揄からかう。
ノエルも、立ち上がりながらクスクスと笑った。
その表情を見て、前にロザリーが「ノエルは優しい笑顔をするのよね」と呟いていたのを思い出した。
そして、ノエルはにっこりと笑った。
「イアン様も、婚約者の方に毎日花を贈ってるそうじゃないですか。健気ですね」
「おまっ……!なんでそれを知って!!」
「失礼致します」
「ちょ、待て!!誰から聞いたのかだけ、教えてくれ!」
なんで、俺がこっそり贈っていることを、アイツが知っているんだ?!
俺が揶揄からかったから、仕返しのつもりか?!
くそ。あいつは、主君の命令にも従わずに、さっさと部屋を出て行ってしまった。ロザリーの言うことは何でも聞くくせに。
☆☆☆☆☆
「まともな人がいないわ……!」
嫌々ながら、婚約者候補の資料に目を通し始めて数日。私は、早々に行き詰まっていました。
理由は、婚約者候補に婚約できそうな人がいないから。
この国には主に3つの勢力があります。親王政派と反王政派、中立派。本当はもっと入り組んでいるのだけれど、大体はこんな感じです。この国も一枚岩ではないのです。
そして、今回、父上が下さった資料の婚約者候補は全員、反王政派に属している家の人間なのです。危険な人のところへ嫁がせようなんて、どういうつもりなのでしょうか。
……いいえ。分かっています。これは、王女としての資質を見定めるための、父からの試験だと。
父上は、私がどれほど、国内外の情報に精通しているかを確認したいのでしょう。
決して、最終的にノエルと結婚させるための布石などではないのです。ないですわよね、父上?
「ロザリー。婚約者候補の中に、会いたくなった方はいたか?」
「兄上」
婚約者候補資料とにらめっこしている私の元に、兄上がやって来ました。
「いないですわ。そもそも、王族に敵対している勢力の息子ばかりではないですか」
「そうでもないぞ」
兄上は私の持っていた資料を取り上げました。それをパラパラとめくった後に、候補者の1人の名前を示します、
「確かに、この侯爵家は反王政派に属している。だが、息子は父の意見に囚われない柔軟な考えをしている。うまく立ち回れば、親王政派に引き込めるだろうな」
むぅ。確かに、兄上の言っていることは正しいです。見逃していた私はまだまだということなのでしょう。
「まあ、でも。ほとんどは嫁いだら危ない相手だな。最悪、死ぬ」
「さいあく、しぬ」
兄上がさらっと怖いことを言っています。何ですか。最悪、死ぬって。
「決めたわ。この侯爵家の方と会うことにします」
「いいのか?このまま進めると、好きじゃない人と婚約することになるぞ」
「私は王女です。そんな覚悟出来ていますわ。……兄上のように、意中の相手と婚約できるわけじゃないんですから」
「あっ!まさか、俺が花を贈ってること、ノエルから聞いたんじゃないだろうな?!」
「ノエルからは聞いてませんわ。兄上の婚約者さまから直接聞いて、私がノエルに伝えたのです」
兄上は口をパクパクとさせます。きっと、婚約者の方が話しているとは思わなかったのでしょう。
「それ!ノエル以外には誰にも言ってないだろうな?!」
「言ってませんよ」
「よかっ……」
「父上と母上と、数名の侍女以外には」
「よくない!それ、ほとんど全員!!」
威厳のある兄上は、何処へやら。顔を真っ赤にされて、焦っておられます。侍女に話されてしまえば、噂はあっという間に広がって、城中に知られてしまいますからね。
可哀想に。まあ、元凶は私なのですが。
「と、ともかくだ。確かに、王女という立場上、感情を押し殺さなければならないこともある。だが、ノエルが相手なら、不足はないはずだぞ」
ノエルは公爵家の次男ですが、親王政派に属しています。親王政派と団結力を深めるという点で、ノエルを婚約相手に選ぶことも理に適っているのでしょう。
けれど……
「何度も言っているではありませんか。私は、ノエルのことを恋愛対象として見ていません」
「そうなのか?」
「……そもそも、見てはいけないもの」
「どういうことだ?」
私はチラリと兄上を見上げました。
兄上は心配そうに私を見ております。兄上を心配させるのは、本意ではありません。
私は少しだけ、私の考えを伝えようと思いました。
「兄上は、ノエルが私の護衛騎士になったきっかけを覚えていますか?」
「ああ」
ノエルが専属護衛騎士になった経緯は、私が5年ほど前まで遡ります。
ノエルは元々、兄上の付き人として登城しており、その頃には兄上の専属護衛騎士になることが約束されていました。
しかし、私が10歳になる頃、私が侍女に攫われそうになったことで事情は変わりました。
その侍女は、私のお世話と護衛を兼ねた方でした。本当の本当に、信用しておりました。だから、私は声もあげることが出来ず、あと一歩のところで、連れ去られるところでした。
そこを助けてくれたのが、ノエルだったのです。必死に私を探してくれたノエルの対応は、素早く、私は急死に一生を得ました。
侍女は最後まで口を割りませんでしたが、恐らく黒幕は反王政派の有力貴族でしょう。
ノエルには、感謝しかありません。ノエルが助けてくれなかったら、私はどんなひどい目に遭っていたでしょうから。
なのに、信頼していた大人に裏切れた私は、父上に願ってしまったのです。
ノエルが欲しい、と。
侍女には裏切られてしまったけれど、助けてくれた彼なら信頼できるから、と。
私が願ったことで、兄上の護衛騎士になるはずだったノエルは、私の護衛騎士になってしまいました。小さな子供の身勝手な願いで、私はノエルの人生を変えてしまったのです。
本当なら、兄上に仕えていたはずなのに。
本当なら、”未来の国王の騎士”という栄誉を手に入れることが出来たはずなのに――……
「分かりますか?私が願ったことで、ノエルの意思に反して、ノエルの人生を変えてしまったのです」
「だが、あの時のお前は、子供で……」
「けれど、今はもう大人です。これ以上、我儘を言って、ノエルを困らせたくないですわ」
そう。私は、「彼」のことなんて好きでもなんでもないのです。ただ。まるで人に接するみたいに、丁寧に物を扱うところとか。
週一の読書の時間を楽しみにしているとか。
考えごとをする時に指先を顎に寄せる癖があるとか。思慮深いところとか。
眉を下げて、ふわりと笑うところとか。
そういうところがいいな、と思っているだけで。
彼のことなど、私は決して好きじゃない。
ノエルの人生を奪ってしまった時から、私はそう思うことに決めているのです。
私は一息ついて、紅茶を口に含みました。兄上は、難しい顔をされています。
「だとするなら。ロザリーは、ノエルに無理やり結婚を迫るのが嫌で、気持ちを隠しているということか?」
「ですから、私はノエルを恋愛対象として見る資格はないという話ですわ」
「なんだ、それ……」
兄上はソファの上で脱力されました。そして、深い深いため息をついて、仰られました。
「面倒くさいな!」
「なっ……!なんですか、面倒くさいって!!」
「面倒くさいだろう!ロザリーが勝手にゴチャゴチャ考えてるだけじゃねーか」
「言葉が悪いですわ」
「すみません!!」
兄上は立ち上がり、ビシッと指をさしました。
「つまり、この状況は相互不理解が原因だ。ノエルとよーーーく話し合え」
「はあ……」
「ノエル、入ってきていいぞ!!」
兄上が叫ぶと、部屋の扉が開きました。そこには、ノエルの姿があります。
まさか、私の話を聞いていたんじゃ……。
私が顔を青くする一方で、兄上は機嫌良さそうにノエルの元へ向かいます。
そして、ノエルに何かを耳打ちをして、部屋から出ていきました。小さな声だったので、何を言っているか聞こえませんでしたが。
後には、私とノエルが残されます。とても、気まずい雰囲気です。
口火を切ったのは、ノエルでした。
「ロザリー様」
「な、何かしら?」
「とりあえず、苺タルトを食べませんか?」
☆☆☆
「これ、私が全部食べていいの……?」
「はい。そのために買ってきましたから」
はしたない。そうは分かっていても、私は生唾を飲み込んでしまいました。
目の前には、私の好物の苺タルトがホールであります。サクサクのパイ生地の上に、均等に並べてある苺は、艶があり、まるで宝石のようにキラキラしています。
ノエルは、これを全て食べていいと言うのです。
なんという幸福。
なんという誘惑。
「うっうぅ……っ」
私は涙を滲ませながら、タルトを頬張りました。
ノエルはよく、私にお菓子を献上してきます。そんな気遣いはいらないと伝えても、頑としてやめません。
せめて一緒に食べようと誘うのですが、ノエルは甘い物が「得意ではない」とのこと。はっきり「嫌い」と言わないところが、ノエルのいいところです。
なので、ノエルが持ってきてくれたお菓子を、私はいつも一人で食べます。
太ってしまって、困ります。国の顔である私は、いつだって綺麗を保たなければいけないのに。
ああ、それにしても。そんな考えもどうでも良くなるほど、美味しい。
苺のさっぱりした甘さと、クリームの濃厚さが溶け合って、絶妙な美味しさを体現しています。
悪魔的な誘惑です。食べる手が止まりません。
不意にノエルが私をじっと見ていることに気付きました。私は食べる手を止めます。
「な、何……?」
「美味しいですか?」
「奇跡的な美味しさだわ。生きてることに感謝したくなる」
「苺タルト、好きですか?」
「ええ、好きよ。税金を苺タルトに変えたくなるくらい」
キリッと素早く答えました。あまりに早口だったからでしょうか。ノエルはクスクスと笑いました。結構、笑い上戸なのです。
しかし、ノエルはすっと笑みを消し、真剣な表情になりました。そして、こう言ったのです。
「俺は、ロザリー様が好きです」
「え?」
「ロザリー様。婚約相手は、俺ではダメなのでしょうか?」
心臓がバクバク鳴っています。突然のことに、私の頭は真っ白になりました。
というか、タルトを食べている時に言うことかしら?ここに来る前から、言うって決めてたの?
私は、ノエルを見つめます。
ノエルの顔はどこまでも、真剣で、誠実で、真っ直ぐで。
ノエルの言葉が本当だと期待してしまいます。
けれど……
ついさっき、兄上がノエルに耳打ちしていた姿を思い出します。
「兄上から何か聞いたの?」
「ロザリー様?」
「私と結婚して欲しいとでも言われたのかしら?」
兄上は、私がノエルを好きだと思っているから。そして、王族から頼まれたら、ノエルだって断れないでしょう?
「俺の意思です」
「ノエルは、兄上の命令を断れないもの」
「そんなことは、全くありません。断るときは断ります」
「え、ええ……?」
いつになく、はっきりと宣言するノエル。戸惑います。
「ただ、イアン様からは本音を話せ、と言われただけです」
「本音を?」
「はい。……実は、ロザリー様の先ほどの話を聞いておりました」
「そう」
予想していたことなので、さして驚きません。
ノエルは私に頭を下げました。
「勝手に聞いていたことを謝らせてください。申し訳ございません」
「いいの。けれど、聞いていたなら、分かったでしょう?」
私が願えば、何でも手に入ってしまうのです。お金で人の心は買えないとは、よく言うけれど。権力があれば、人の人生を簡単に奪うことが出来るのです。
「私はノエルに感情を殺してまで、側にいて欲しいとは思わないの」
ノエルは、苺タルトではありません。感情がある人間です。
私が軽々しく「好き」なんて言って、彼を縛り付けることは間違っています。
「だから、安心して。ノエルに幸せになってもらいたいから……」
「俺は、ロザリー様が好きです」
私の言葉を遮るように、ノエルは言いました。彼は続けて言葉を紡ぎます。
「すぐに拗ねるところとか。意地っ張りなところとか。甘いものに目がないところとか」
「悪口じゃない!!」
「それから、人のことを考えて、動くところ。王族としての交流や勉学、努力を重ねているところ。その努力を人に見せようとしないところ。身分によって差別せず、どの従者にも慈しみを忘れないところ」
ノエルは、私を真っ直ぐに見つめて、言葉を重ねます。まるで、割れやすいガラス細工を扱うように、丁寧に、ゆっくりと。愛おしげに。
「執務の合間に、外を見上げる時の横顔。ふとした時の笑顔が可愛らしいところ」
「もうやめて頂戴!!」
褒め殺し攻撃に耐えられなくなりました。私は、ノエルの口を塞ふさぎます。
しかし、彼は私の手を取って、再び口を開きます。
「確かに、あなたが願ったから、俺はあなたの騎士になりました」
「……」
「けれど、あなたの側で、あなたと共に時間を過ごして。気づいたら、あなたが好きになっていました。この気持ちは、すべて俺の意思で、誰にも曲げられるものではありません」
情熱的な言葉です。熱に当てられて、私は自分の顔がどんどん赤くなっているのを感じました。
「イアン様はもちろん。陛下にも、ロザリー様にも、決して否定させません」
「……」
どこまでも真っ直ぐな、ノエルの言葉に、私は涙を抑えるのに必死でした。
本当に、我慢しなくてもいいのかしら……
そんな希望を持ってしまいます。
「ロザリー様。本当の気持ちをお聞かせ下さい」
「ノエル。私は……」
私も、本当はずっと…………………………………………
「好きじゃないわ!」
あら?あらら??
今、私はなんと言ったのかしら?
私はノエルを見ます。ノエルも私も見ています。
多分、私たちは同じような顔をしているのでしょう。あの、鳩が豆鉄砲を食らったような……
「あの、違うのよ。あれ?」
ええ。本当に、私は好きじゃないなんて言うつもりなかったのです。
「あの、もう一回、言うわね?」
「は、はい」
「私は……」
んんんんんっ
言葉に詰まってしまいます。自分が言いたいことは分かっているのに。
ただ、ずっと「好きじゃない」と言い張っていたからでしょうか。気付いてしまったのです。
自分の気持ちを伝えるって恥ずかしい、と。
いいえ。その恥ずかしさを乗り越えて、ノエルは伝えてくれたのです。ここで怖気づいたら、王女の名折れ。
さあ。頑張るのよ、ロザリー。
「あの、私は、あなたのことが、す……すすすすす」
なんですか、すすすすすって。
淑女の歩き方の効果音ですか?!
阿呆なんじゃありません?!
私が一人でわたわたしていると、ノエルはふっと笑みを深くしました。
「なるほど。ロザリー様は、俺と同じ気持ちじゃない、ということですね」
「いえ、違うのよ。ノエル」
「いいえ。無理しなくてよろしいんですよ?」
ああっ!この表情は、分かってて言っています。微笑んでいるのに、ノエルの目の奥が笑っていません。
謝りたいけれど、謝ってしまうと、ノエルの告白を断っているみたいになってしまいます。
ノエルは、私の手を取りました。
「ロザリー様。とりあえず、1年間、婚約しましょうか」
私は頷こうとして、「1年間」という単語に首を傾げました。
「なんで1年なの?」
「1年あれば、余裕だからです」
「なにが、」
ノエルは握っていた手を、私の指に絡ませます。その仕草が自然で、色っぽくて、私の心臓はドキンと鳴りました。
「俺はこれから、貴女に好きだと伝え続けます。甘い言葉を吐き続けます」
「なに、」
「貴女がもう嫌と言うまで。この気持ちを信じてくれるまで、毎日、何回も。1年間あれば、流石にロザリー様も同じ気持ちになってくれるでしょう?」
そしたら結婚しましょう、と。
ノエルは私の指先に唇を寄せました。彼に触れた指先から、身体中が熱くなっているのを感じます。彼の情熱に、頭がクラクラしてきました。
「それで、ロザリー様は、俺のことどう思っているのですか?」
「す、好きじゃないっ!ああっ、ちがくて!!」
「これから、楽しみですね」
「あああああ」
こうして。私は、好きじゃない(と言い張っている)人と婚約することになったのです。
お読みいただき、ありがとうございました!