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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖女の妹 〜大好きなお姉さまが聖女に認定されましたが、私たちは姉妹の契りを交わしているので王子さまとは結婚できません〜

作者: 初野 春

※百合に挟まろうとする男が出てきます

※同性愛への差別、それに伴う自死について触れます

 薄暗い室内に、二人分の静かな息が揺蕩って絡み合う。

「…愛してるわ、お姉さま」

 囁いたあと、その唇が胸の上に刻まれた赤い十字の傷跡にそっと触れる。

 慈愛を込めた接吻(くちづけ)を受けた体がぞくり、と震えた拍子にこぼれた吐息すらもその唇は奪っていく。

 愛し合う姉妹の秘めやかな触れ合いは、神の目さえも届かなかった。



「お姉さまが、聖女…?」

 自分が発したはずの言葉が、現実感を失って宙に浮かんで消えていく。

「ええ、何せ途中で行方が分からなくなってしまったおかげで時間はかかってしまいましたが、此度の聖女様はアナスタシア様で間違いはありません」

 国境近くの孤児院に身を寄せる者にしては気品のある名前を、目の前の使者はなんでもないように口にする。

 アナスタシア・フリーゼは没落した貴族の娘だった。

 フリーゼ伯爵家は有力な聖女候補を子に持つというのに、王家に反旗を翻そうとした結果全てを失い、娘を孤児の身に落としたのだと使者はよく動く口で忌々しそうに語った。

「アナスタシア様も本来はこのような場所で身を窶すなど……」

 どうやら長くなるらしい使者の話は右から左へ流れていく。

 このような場所、と王家の使者は言うがここは神が降り立った地であり、今もそこに分け身を置いておられるのだ。

 この国の民と神は密接な関係にある。

 この国に産まれる赤ん坊は(みな)、神の使いである天使に接吻(くちづけ)を授かる。

 額に受けたものは炎、腰に受けたものは風、腹に受けたものは水、足裏に受けたものは土の祝福を持つ。

 腰に授かった接吻(くちづけ)がじん、と熱を持ったような錯覚を覚えて息が零れる。

(――そして、特別に神の接吻(くちづけ)を授かった赤ん坊は癒しの祝福を持つ)

 何も知らなかった頃、胸元にある十字の痣を美しいお姉さまに似合うと思っていた。

(その痣のせいでお姉さまは聖女にされてしまったというのに……)

 建国から数千年経つ今も神はこの国のお傍におられる。神の接吻(くちづけ)を授かる赤ん坊も、数は少ないながらたった一人とは限らない。

 王家は、複数いる赤ん坊の中から特別見目のいい者を選んで自分達の権威のため王族に嫁がせるのだ。

 聖女とは名ばかりで、男の赤ん坊が一等美しかった時には幼い内に王宮へ攫って皇子として育ててしまったという。

 王家に恩を売る事で権力を握っていたい教会と、聖女という傀儡を手に民草の人心を操りたい王家の双方が得をするだけの事だ。それによって歪められる赤ん坊の人生は誰も気にしない、口にしない。

(でも、お姉さまだけはダメよ。私たちは姉妹の契りを交わしたんだから……)

 いっそ、国外へ逃げてしまってもいい。だが、そうすれば姉妹の契りは失われてしまう。

 立ち尽くす私の足元ではアザミが蕾を揺らしていた。


 神を崇め、神に愛されるこの国は他の国で聞かれる魔物の被害に脅かされる事はない。

 魔物の恐怖から逃れるためにこの国へ向かう者も多いが、勿論国の安全を考えてその全てを受け入れるわけではなかった。

 大人も、子どもも等しく取り調べを受ける中である女がせめてこの子だけでも、と生まれたばかりの――国境検問所に立つ騎士の詰所で産み落とした赤ん坊を置いてふらふらの足取りで元来た道を帰った事があった。

 赤ん坊だけでも何にも脅かされない暮らしを得てほしいという母親の願いも、魔物の恐怖を知らないこの国の者はなぜ異国に赤ん坊を置いていったのかと眉を顰める。

 それでも、その赤ん坊は母親を悪く思えないのだと、当人としては思う。

「マリー、洗濯物を干すのが終わったらこっちへ来て窓を拭いてちょうだい」

 自分を呼ぶ声にはぁい、と返して空になった洗濯かごを抱えて戻る。

 国境検問所で産み落とされた赤ん坊は、その後神の采配か都合よく近くにあった聖堂に併設された孤児院へ預けられた。

 産まれた日にオレンジ色のマリーゴールドが咲いていた事からマリーと名付けられた黒髪の少女は、その生まれと異国の顔立ち故に誰とも馴染めずにいる中で唯一自分を(まこと)抱きしめてくれた銀髪の少女によく懐いた。

「あっ、アナスタシアを連れて行った馬車が帰ってきたわ」

 不意に上がった声に、門の方を見ると華美な装飾こそないが貴賓を乗せるに相応しい丈夫な馬車が入って来る所だった。

 扉が開けられ、まず降りてきたのはこの国の王族のみに許された金色の髪を持つ青年――王太子殿下だった。続いて顔を出したお姉さまに手を貸したあと、彼はそのままさりげなく、だが馴れ馴れしい様子で細い腰を抱いた。

 普通の令嬢なら或いは可憐に頬を染めたのかもしれない。だが、彼の腕の中のお姉さまは明らかに青ざめていた。

「お姉さま…ッ!」

 たまらず上げた声を拾ったのは、王太子殿下だった。

「ああ、あの子がアナスタシアの妹君かい?」

 彼とお姉さまを出迎えた司教へそう訊ねたあと、私は司教に招かれてお側へ寄った。

 近くで見るとなるほどきらきらしいお顔に優しげな笑みを浮かべて王太子殿下はきみと話がしたかったんだと仰った。

 私はすぐにでもお姉さまとお話がしたかったのに、王族に命令されてしまえばそれは叶わない。

 結局お姉さまは部屋に戻され、私は応接間に連れて行かれた。目の前の上等な椅子に腰を下ろし、優雅に紅茶を口に含んだ王太子殿下は徐ろに口を開く。

「きみとアナスタシアは姉妹の契りを交わしたんだったね?なら、きみも僕の後宮へ招いてあげよう」

「は…」

「きみも珍しい色彩を持っていて可愛らしい。それに、まるで血の繋がりのない二人が姉妹になるとは素晴らしい事だ、尊重したいと思うよ」

 王太子殿下の薄い唇はぺらぺらとお綺麗な言葉を吐く。

 もしも今、私が彼に反論を唱えれば私など呆気なく消されるので何も言えない。姉妹の契りとは、軽々しく扱えるものではないのだと、そう叫びたいのに。

「聖女の血を継ぐ子は産んでもらわないといけないけれど、聖女の他に妃を迎えてはいけないとも決まっていないから大丈夫だよ」

 私の態度が頑なな事に、王太子殿下なりに安心させるつもりか重ねて話すが……。そもそも、顔立ちの良い娘を選んで仕立てている事から分かるように真に聖女の血を継ぐ者などいないのだ。


 聖女という肩書きを始めに与えられたのは、千年前に異世界からこの地に神が遣わしたと言われる女性だ。

 聖女は元より同性愛者だったため、当時の王子達に恋をする事はなく彼女の後見人となったとあるシスターと惹かれ合ったという。

 神は聖女が王家と縁を結ぶように思し召しではなかったし、神の教えに()いて同性愛は赦されている。だが、法の上では同性同士の結婚は今の世に至っても認められていない。

 結婚ができない二人が、聖女という箔のために強引に王族或いは有力貴族に嫁がされる事から逃れるために考え出したのが姉妹の契りになる。聖女がかつて暮らしていた国で同性同士が結婚できない代わりに養子縁組を組む事があったというのを参考にしたもので、つまり二人は女性同士で異例の婚姻関係を結んだのだ。

 姉妹の契り、男性同士なれば兄弟の契りは王家の代わりに神に認められたもの。

 神の下結びついた聖女とシスターを引き裂く事はできず、当時の王家は諦めたのだ。

 そして、数百年前の王家が威信を上げるために村の娘を聖女の血を継ぐ者と仕立てた際に王家に残されていたそれらの資料は燃やされ、今は同性愛者たちの中で細々と語り継がれる話となった。


 これらの話を総合すると、王太子殿下は知らないながらもふうふ仲に割り入る寝取り男願望を口にしている事となる。

 そうでなくとも、親娘丼ならぬ姉妹丼だ。どちらにせよ反吐が出る……と、お綺麗な生まれ育ちではない平民なりの知識を元に思考した内容はあくまで口に出さず、慇懃に頭を下げた。

「…有り難きお言葉と存じます。ですが、苗字も持たぬ孤児の私には恐れ多いお話です」

 多少拙くも、ある程度形になった丁寧な言葉は三歳までは貴族令嬢だったお姉さまに習ったものだ。

 平民にすら蔑まれる事もある孤児にお言葉を無碍にされた王太子殿下の美しいお顔が、一瞬だけ気を削がれたように歪んだあとやはり綺麗な笑みを湛えた。

「…そう。残念だ、もし気が変わったら言っておくれ」

 その傲慢なお言葉には何も返さず、彼が立ち去るまで頭を下げ続けた。


「やはりこの国を出ましょう、お姉さま」

「…誰が聞いているか分からないわ」

 お姉さまの白い肌は、血の気を失ってその横顔はもはや天使像めいていた。

「誰が聞いていたって構うものですか。契りを交わした者達の閨の会話を盗み聞くのは罪なのよ」

 それに、不敬罪に問われようともこの国を出てしまえばいいのだと重ねれば、お姉さまは困ったように眉根を寄せて意を決したように口を開いた。

「少し…、少しだけ聖女としてあの方と結婚する事について考えたわ」

「…お姉さまはやはり真面目ね」

 お姉さまは聖女として、と言った。アナスタシアとしては全く考えていないのだと、みなまで言われずとも私には解った。

 子が母を疑う事が無いように、私がお姉さまを疑う事はない。

「王太子殿下と結婚すれば、いずれは王と…この国と結婚する事になるのよ。国母として遍く国民を愛し、導かなければいけない…」

 私が繋いだ手をそのままに頬にキスをすれば安心したようにお姉さまは言葉を続ける。

「でも、私はできないわ。この両腕の届く限りの子どもしか愛せないの…」

「ええ、お姉さまはそれでいいの。お姉さまの愛が見知らぬ誰かへ与えられるのは私、耐えられないもの」

 この孤児院の皆は家族だから、お姉さまの慈愛を独占できなくてもそれでもいい。でも、契りを交わした私達の間に存在する愛は他の誰のものでもないのだ。

「お姉さま、私たちこの命が続く限りずっと一緒よ」

「…ええ、きっと天の国でも一緒よ」

 わたくしの可愛いマリー、と幼い子どもに向けるような甘やかす声で囁いたあと、お姉さまの唇は私の頬に触れた。


□□□□

 アナスタシアを孤児院に預ける日、彼女の両親は泣くのを我慢しているせいで顰めっ面だった。

 達者で、と言ったのは私の愛しいアナスタシアと呼んだ人だった。

 愛してるわ、と頭を撫でたのは私達の天使と抱きしめた手だった。

 王家に叛意を示した罪で国外へ――隣国の所有する魔物が闊歩する森へ向かう両親の足元に縋り付いて、齧り付いて、いかないでと泣き喚きたかったのを覚えている。


 ドレス越しに胸元に刻まれた十字の痕に触れる。

「…きっと、女が女を愛するという事を真ではないと仰る方もおられるでしょう」

 男に言い寄られる事がないから同性愛に走ったのだろう、そんな目を向けられたと、とある娘の残した手記に記されていた。

 家を継ぐべき長男にありながら男を愛する事を、王家に背く反逆行為だと謗られ、自死を選んだ者の手記も残されている。

「確かに、男女の間に発する恋愛感情や性愛こそが真であり、同性間に発するものは(まやか)しだと、さる作家は唱えたね」

 王太子殿下は肩を竦める。その表情は、笑みが削げ落ちてひどく冷たいものだった。

「まあ、惚れ抜いた女に自分は同性を愛するのでと断られた逆恨みだというが…。そうだね、きみの言う始まりの聖女の話が真実ならば何となく筋は見えてくる」

 王太子殿下の瞳は、自身の価値観では理解できない者を見下す色を湛えてわたくしを見つめる。

「そして、それとこれは話が別だ。…普通、王族に見初められた令嬢は諾と従うものだ。それを、神を後ろ盾にして断るだなんて褒められた事ではないな」

 申し訳ありません、とは言えなかった。

 わたくし達の契りは神に認められたものなのだ。

 同じように神に認められた証だったはずの、輝きのない白い御髪をかきあげて王太子殿下は深く、息をついた。

「神などいなかったらきみの妹君の目の前できみを蹂躙し、妹君にも同じ事をしただろうね」

 殿下――と、思わずといったように護衛か侍女から声が上がるが、神の裁きはなかった。

 少しの怯えも見せなかった王太子殿下は見逃されたのかな、とつまらなさそうに笑った。


 ――そのようにして実にあっさりと、わたくし達の元に平穏は戻った。

『聖女伝説なんてくだらないものだね。きみは遍く民を愛する心清き女じゃない。たった一人のために国を亡ぼせる魔女だよ』

 王太子殿下がそう仰った事で、聖女の選定はやり直しとなり、私は結局無罪放免で国境近くの孤児院へ戻った。

「お姉さま、ここにいたのね」

 司教様はわたくしが聖女に認定されている事は知らずとも、聖女が現れるまではと神の接吻(くちづけ)を授かったわたくしを成人を超えても孤児院に留め置いていたが、それももう終わりだ。

 わたくしのそばにやって来て膝をつく愛しい妹をそっと抱き寄せた。

 わたくしは草原に寝転がっていたから、マリーも突っ伏すようにして倒れ込む。

「…ねえ、マリー。わたくし達のお家の庭にはたくさんのマリーゴールドを咲かせましょうね」

 わたくしを天蓋のように包む黒髪は夜空のように美しい。

 見上げた群青の瞳から雫が降る予感を知りながらその唇へ、接吻(くちづけ)を贈った。

 彼女はきっと、わたくしを喪ったら共に逝くつもりだったのだろう。

 その痛ましいほどの純心を護るためならばわたくしはこの国を亡びに導けるのだと思う。

「愛してるわ、わたくしの可愛いマリー…」

 囁いて、黒いベールの下に隠された愛の証たる痕を指先でそっとなぞった。

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