人間は人狼に恋をした。
「大丈夫?」
俺は、その瞬間、恋に落ちた。一目惚れだったと思う。
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「ちょいと!暇ならアンタ、コレ、あの麓の村長さんに届けてきなさいよ!」
「え~!?また……!?姉ちゃんだっているのに……」
「あの子は材料擦ってくれてんのさ……良いから行っといで!」
「わかったよ……」
俺の家は、薬を調合する薬師を生業としていた。山の中にある為、足腰が悪いお年寄りの注文は、俺たちが直接届けることになっている。いつものように木々の根を避けながら、颯爽と山道を駆け抜ける。
「何度もこき使われているからか、もう慣れたもんだよな……」
とは言え、油断してはいけない。山の中には、様々な危険な生物が潜んでいるからだ。イノシシにヘビ、熊、オオカミ……
特にオオカミには、気を付けなければならない。ここら一帯に住み着くオオカミは、『人狼』と呼ばれている。月が昇る夜中。人の姿へと変化し惑わせ、主食となる人を、一夜の内に喰らい尽くすのだ。
噂によると、近所の山の麓の村が被害にあったらしい。
「まぁ、夜までに帰れれば安全だろ……」
なんて言っていた俺。只今絶賛大ピンチ中だ。
山のことは知り尽くしていたが、山の麓の村の中までは把握していなかった。しかも、依頼主が村長さんだったようで、村の迷路のようないりくんだ道の、更に奥にあったからか、時間がかかってしまった。
『おや、君は息子さんかい?薬を届けに来てくれたのか。悪いねぇ……。いつものように、君のおっかさんが来ると思っておったもんだから……初めて来たのなら、随分と迷ったことだろう。どれ、茶でも一杯いかがかね?』
『いえ……お気持ちだけ頂きます……日も暮れてきたことですし、そろそろ帰らないと。』
『そうか……あやつらが活発になる時間帯じゃの。どれ、これを持っていきなさい。』
そう言うと、村長さんは、俺に手のひらサイズの拳銃を手渡した。
『……?これは?』
『外国から輸入された、護身用の銃じゃ。猟銃程の威力は出んが……威嚇ぐらいにはなるじゃろう。』
『そんな貴重なものを……良いんですか?』
『なに、ツテでなんぼでも手に入る物じゃ、気にするな。気をつけて帰るのじゃよ』
『ありがとうございます。』
そして、帰るまでにもまた迷いに迷い、とっぷり日が暮れた、と言うわけだ。
「……そうそう、出会うわけねぇよな……はは……」
夜風が吹く度、ザザザ……と、葦の葉が不気味な音をたててくる。それに背筋を凍らせながら、いそいそと足を進めようとした時だ。
「うわっ!?」
少し出っぱっていた石に躓き、転倒してしまったのだ。
「いてて……やべ、足擦りむいちまった……」
急いで確認すると、傷口は砂まみれな上、痛々しく皮が向け、血が滲み出ていた。
オオカミは鼻が良い。急いで手当てしなければ、標的にされてしまうかもしれない。どうしようかと悩ませていると、頭上から声が振ってきた。
「君、大丈夫?」
「……!」
息を飲むほどの美しさだった。月の光に照らされ、美しく輝く艶やかな黒髪。ややつり目で、満月のような黄金の瞳で、こちらを覗き込んでくる。つい少しの間、見とれてしまった。
「……」
「おーい」
「っ!あ、あぁ、だ、大丈夫です!この通り!ピンピンして……いって!」
急いで立ち上がったせいか、傷口がじくじくと痛む。何やってるんだ、と後悔したのもつかの間、フワッと彼女は微笑む。
「ふふ、変な人。」
そう言うと、彼女は自身の洋服の一部を、ビリビリと破き始める。
「え」
そして、そのちぎった布を、俺の傷口に巻いてくれた。
「これ、応急処置だけど。なにもしないよりはマシでしょ?」
「あ、ありがとうございます……。けど、折角の綺麗な洋服が……」
「……お洋服なんて、幾らでも買い直せるから。気にしないで。」
比較的裕福な家庭の人なのだろうか。それでも、見ず知らずの人を助けてくれるなんて、なんと素敵な心の持ち主なのだろう。俺はもう、心を完全に彼女に奪われていた。
「あの……、いつか、お礼は必ず返します。差し支えなければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
恩は必ず返せ。俺の母さんの口癖だ。このままなにもしないままだと、母さんにしばかれてしまう。……少しだけ、仲良くなりたいという下心もあるが。
「お礼なんて良いのに……。……私は、」
少し、間を置いた後、ほんのりと赤い、ぷっくりとした唇を開く。
「私は美月。……美しい月と書いて、美月よ。」
「美月、さん……」
これ以上、彼女に似合わない名前はないと思った。大きな満月を背にし、彼女は問いかける。
「君の名前は?」
「俺……、俺は、優夜。」
「そう。良い名だね。」
「あの……、美月、さんは、」
「美月で良いよ。」
「美月、は、この村に住んでるのか?」
「……ううん。ここじゃない。この山を越えた、ずうっと先に住んでるの。ここへは、たまたま通りがかっただけ。」
「そっか……、距離としては遠い?」
「……そんなにかな」
「じゃ、じゃあ、『サルナシ』って好き?」
「……あぁ、あの甘酸っぱい木の実ね。山では甘味は貴重だから、好きかな。」
「俺、お礼にいっぱい採ってくる!でも、家業も手伝わないといけないから…、一週間後、ここで待ち合わせしてもらっても良いかな?」
「ふふ、わかった。じゃあ、一週間後。またここでね。」
そう言うと、彼女は綺麗な髪を靡かせ、優雅に山の奥へと消えていった。俺は、夢見心地のような気分になりながら、自宅の帰路へと向かった。
一週間後、俺と彼女は気が合ったようで、その後も、薬を届けに行くことを理由に、親には内緒で、日に日に逢瀬を重ねた。その結果、無事、付き合うこととなった。彼女と言葉を交わせば交わすほど、サルナシのように甘酸っぱい気持ちが、心の内にじわじわと広がる。俺は、そんな温かい気持ちになれるのが、幸せだった。ずっと、彼女と一緒にいたいと思っていた。……あの日までは。
「私は、人狼です。」
始めにであった村の内部の中央。彼女の凛とした声が響き渡った。賑やかだった人々が、シンと静まり返る。
「お、おい美月。笑えない冗談はよせって。すみません皆さん、驚かせてしまっ」
「嘘じゃない」
俺の言葉に被せるようにそう言うと、彼女の髪の毛から、狼の耳。そして、お尻にはフサフサのしっぽが生えてくる。
「嘘、だろ」
「優夜くん!下がりなさい!全員、構え!」
あの温厚だった村長さんの顔つきが変わり、俺を後ろに庇い、住人達に合図を出す。多くの銃口が、美月に突きつけられた。
「人狼め……人を喰わずして村に潜んでいたとは……。一体なんの真似じゃ。私達が君が人狼だと気付かなかったことを、嘲笑っていたのか。」
「……違う。少し、彼と話をさせて。」
あの時の、美しい目で、俺を見据える。
「……初めて出会った日。あの時、怪我をした餌の君なんて、どうでも良いはずだった。……けど、なんでかな。ふと興味が湧いて、声、かけちゃったんだよね。……たった一度、優しくしただけなのに。それから、ずっと君は笑顔で、私に優しくしてくれて……」
そして、つぅっと、頬に一粒の涙を流し、呟く。
「好きに、なっちゃったんだよね」
「……だったらっ、だったら!人狼って明かさなくても良かったじゃないか!いや、明かすとしても……、こんな村のど真ん中でじゃなくて、俺と二人きりの時にっ、」
「お腹がすくの!!!!」
遮るように声をあらげた。あまり、感情は出さない子なのに。
「……あの時は……、隣の山の村を襲った直後だった。だから、お腹はいっぱいだったの。けど、君と出会ってから……、何も食べてない。」
「そんな……サルナシは、」
「人狼は……人肉しか、食べられないのよ。他の物を食べたら、吐いてしまう。」
それじゃあ、嘘をついてたってことなのか?俺の目の前でサルナシを食べた後、彼女はずっと__
俺のために。
「最近は、貴方を食べたくて食べたくて仕方がないの……本能には逆らえない。抗えない。……あぁ、オナカガ、スイテクル。」
すると、彼女は途端に人相が変わったように、大量の涎を滴し始める。綺麗な黄金の瞳は、鮮血のような赤い瞳に変わっている。
それを見た村長さんは、引き金に手を掛ける。
「止めてください!彼女は……美月は、人狼だとしても、優しい子なんです!俺が保証します!だから……!」
俺は、彼女の前に立ちふさがろうとした。しかし、彼女はいつにもまして、俺を強い力で押し退ける。
「貴方は私を殺せナい……優しすぎるか、ラ……けど、お別れ、しなキャ……」
「やめろ、美月!!!!」
「貴方の、そんナとこロが……好きだっタ」
そう言うと、美月は村長さんに襲いかかる。
「美月ーーーーーーーっ!!!!!!!!」
「撃てーーー!!!!」
バンッ!バンッ!バンッ!
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硝煙の香りが、辺りに充満した。彼女の側には、血溜まりができている。俺は、震える足で彼女に近づき、優しく抱き抱えた。生気を失った乾いた唇で、目を閉じたまま、彼女は息を吐くようにこう囁く。
「ご、め、んね」
その後、ピクリとも動かなくなった。……あふれでた涙は、止まらなかった。そして、虚無感に襲われる。これは夢だ。夢であってくれ。
そっと、彼女の頬を撫でた。美月との様々な記憶が、鮮明に甦ってくる。
彼女の声が。
彼女の瞳が。
彼女の口が。
彼女の笑顔が。
……彼女の、手が。
普通の人間より長く、鋭く伸びた爪。そんな彼女の手を、ギュッと握る。
「……君を愛せて、幸せだったよ」
ポツリと呟く。そして、いつも腰に掛けていたあるものを取り出した。
「よせ!止めるんだ優夜くん!!!」
神妙な面持ちでこちらを見ていた村長が、一足早くこちらへ走り出してくる。他の周りの人たちも気付き、それを止めようとしているようだ。
けど、俺には全てスローモーションのように見えた。走馬灯のように、様々な記憶が脳裏を駆け巡る。
ごめんなさい。村長さん。父さん。母さん。姉さん。こんな迷惑をかける俺を、許してください。
カチャリ、とこめかみにあてた。そして、現世の置き土産に呟く。
「来世でも、君に恋がしたい。」
激しい痛みと、大きな音。最後に見た景色は、君の美しい寝顔だった。




