その後のくだらないお話。あるいは遠い昔の前日譚。
『めでたしめでたし。あるいはめでたくはなかった話。』の後日談。もしくは何かの前日譚。
我が国、グロウメイズ王国には、人知を超えた存在がいる。
その名はコーラル・カルブンクルス。
剣を振るえば天を裂き、大地を割り、山をも砕く。
魔術を振るえば時を止め、空間を曲げ、法則を塗り替える。
一度彼女に、どれくらい強いのかと聞いたことがあった。
『そうですね。大きさで言うのであれば……私以外で強い人を思い浮かべて見てください』
剣であれば騎士団長か、剣聖と名高い彼女だろうか。
魔術であれば魔術管理局長あたりか。一応彼も100年に1人くらいには強いはずだ。
そんなことを考えていると彼女は地面に指を当て、ほんの僅かに砂粒のついた指を見せてきた。
『その人達を足した分が……そうですね、この砂粒としましょう』
彼ら、彼女らを足したらそれだけでほぼ世界最強なのだが、それは置いておこう。
そもそも戦力の話をするのであれば目の前の彼女に敵う存在はいないのだから。
あくまで最強なのも、通常の人類の枠組みでしかない。
『―――――で、私は世界全てくらいですね』
なるほど、と思った。通りで桁が違い過ぎて話にならないわけだ、と。
彼女からすれば人類全体ですら吹けば飛ぶような存在なのだ。
ただ私はそんな彼女が、いや、彼女達の一族が最大に弱体化してしまう時期を知っている。
それは子を成した後。
出産し、3年程経つと彼女達は急速にその力を落とす。
無敵で不死身であった彼女達は、刃物で指を傷付け、疲労を顔に見せるようになる。
……だからと言っても例えるならば『ドラゴンの爪が欠けた』程度の話であって、決して弱くはない。
騎士団長が全力で振るった剣を指で止めたらちょっと血が出たとか、一ヶ月不眠不休絶食で働いたらちょっと疲れたとか、そういう話だ。
現に、私の前では出産後にも関わらず、魔封じの枷と腕の拘束、顔に厚手の布を巻いて視界の制限を受けながら足と指の動作のみで兵達を蹴散らしているのが見えている。
正面からの攻撃は蹴り飛ばし、背後からの攻撃は指を鳴らして凄まじい音と衝撃波を発生させて弾いている。
「指の衝撃波で気絶させるくらいなら身体強化すれば私にもできるけれど、あの距離では無理ね」
「できないのが普通ですよ」
「私も随分と鈍ったものだわ。あと20……いや、10歳若かったら私が彼らを叩き潰しているのに」
「無理をなさらないでくださいね」
戦いながら私と喋っている余裕すらある。
訓練の予定を組んで正解だった。
連携もなっていなければ個々の技量も低い。
これで有事に何の役に立つというのだろうか。
『コラー!貴様らそんなものかーッ!王妃殿下の前で醜態を晒すつもりかァーッ!』
騎士団長が大声で怒鳴っている姿も、もはや滑稽ですらある。
それなりに研鑽を積んでいるはずの騎士達は足を震わせ、涙をこぼし、自棄になっていた。
戦っていれば絶望的な戦いもある。
その時の彼らの姿がこれであるのなら、騎士に憧れるものはいなくなるだろう。
ましてや、命の危険のない『準備運動』で。
疲労こそ溜まっているものの、怪我をした者、剣を折られた者はいない。
これが準備運動でなければなんだというのだろうか。
まったくもって、彼女をみすみす逃した第三王子……いや、元第三王子に腹が立った。
これ程の実力者と縁付かせるのにどれ程の労力を払ったか。
「魔術の使用を許可します。一撃も入らないようでは今後は期待できませんね」
『魔術の使用を許可する!詠唱始め!』
魔術の使用が許可されると共に一部が下がり、詠唱を始めた。
カルブンクルス公爵といえば、足先で的確に小石を蹴り飛ばし詠唱を妨げている。
それなりに速度があるとはいえ、小石ごときで集中が途切れるとは。
短縮詠唱で防壁を張りながら詠唱を補佐することもしようとはしない。
ましてや、顔を狙わずに耳元や鎧の隙間を狙ってくれているというのに。
万が一、本当に万が一でも戦争になればと思うとゾッとする。
これではいい的でしかない。
カルブンクルス公爵がいなければ何もできないようでは意味がないのだ。
「……話になりませんね。公爵、お茶にしましょう」
「かしこまりました」
返事と同時に、騎士達それぞれに攻撃が叩き込まれた。
骨が折られる音からして無事で済んだ者はいないだろう。
無事で済ませるつもりもない。
テーブルに置いてあった紙に今後の訓練内容を書き込み、騎士団長に渡すよう命じる。
ついでに、騎士団の採用担当者と訓練担当者の呼び出しも命じておく。
「公爵無しでは滅びるような国にするつもりかしら。今後が思いやられるわ」
私は常に国の為に備えなければいけない。
カルブンクルス公爵が国を見限らないように。
彼女が、彼女達の一族が絶えてしまった時の為に。
「眉間。皺が残りますよ」
「もうちょっと言い方があるでしょう?」
「失礼いたしました。なにせ皺と無縁だったもので……」
「羨ましいわ、その体質……」
訓練施設に隣接した、小さな庭園のテーブル。
カルブンクルス公爵とここでささやかにお茶を楽しむのがここ最近の楽しみだった。
……先程の醜態で少し気分が悪いのは仕方ない。
「……ごめんなさいね。あんなのに付き合わせてしまって。まさかあそこまでとは思っていなかったのよ」
「そうですね。随分と質が下がりました。私の領の新兵でももうちょっとマシです」
「そうでしょうね」
「半分以上が縁故と賄賂では実力のある人材はいなくなりますよ」
縁故に関しては悪いことばかりではない。
実力のある者を引き抜いたりするのもまた、縁故だからだ。
「……そう。そこまで駄目になっていたとはね。早くなんとかしないと」
「そう思いまして、こちらに用意したのが"使えない”騎士の一覧と、それらの入隊に関わった者達の一覧と証拠の書類になります」
仕事が早すぎる。
けれど、これは本来彼女の仕事ではない。
彼女の本来の仕事はあくまで、彼女の領地の管理でしかないのだ。
国の為の防諜活動も、諜報活動も、隣国の戦争阻止も、彼女の役目ではない。
「ありがとう。……でもねコーラル。これらの証拠集めは本来私が指示してやらせなきゃいけないのよ」
「ですが王妃殿下」
「駄目。いつまでも貴女達の優しさに甘えてちゃいけないのよ」
「……かしこまりました」
「それに……コーラル。前に言ったじゃない。私のことはレジーナと呼んで頂戴。貴女と、友達でいる為にもね」
「……はい?」
普段は超然とした公爵――――コーラルのキョトンとした顔に、思わず笑みが溢れる。
彼女は普通の人への理解が足りないところがあるが、周りの人間もまた、彼女への理解が足りていなかった。
思い切って関わってみれば、コーラル・カルブンクルスという存在は、他者や自分への関心がないだけで内面は普通の少女だった。
共感性に乏しいが、他者が置かれた環境からどういう行動をするかを知っている。
冷酷ではあるが、残酷ではない。
他人に愛情は感じないが、愛情が何かを理解はしている。
理解者がいれば、彼女達はきっと問題無いのだろう。
何せまだ18歳だ。理解者が増えるまでは私のような人間が彼女の余計な仕事を持っていくしかない。
紅茶を飲みながら、彼女の長い将来を思い描く。
少しして、侍女が1人こちらへやってきた。
私達は、お茶会をするようになってから交互にお茶菓子を用意することにしていた。
今日はコーラルがお茶菓子を用意する番だ。
カルブンクルス領は全てにおいて高品質な物が揃っており、独特な料理も多いので楽しみにしていた。
「王妃殿下、お嬢様。ご歓談中申し訳ございません。お茶菓子の用意ができました」
「あら。今日はいつもの子じゃないのね」
確かいつもはアルカエアという若い侍女だったはずだ。
幼くも見える見た目からは想像できない程有能だったのと、美しい黒髪黒目だったのでよく覚えている。
紅茶の淹れ方、料理の腕前、知識、所作。
並の貴族では太刀打ちできないその姿に筆頭侍女と言われても流石はカルブンクルス家だと納得した程だ。
「ええ、アルカエアは今回はお休みです。代わりに友人と新しい侍女長候補を連れてきました」
「あら、私で試そうってことかしら?責任重大ね。……貴女、名前は?」
「カルブンクルス家筆頭侍女補佐、ウィータと申します。この度はレジーナ・レガリア・グロウメイズ王妃殿下へのお茶菓子の制作を担当させていただきました」
交友に乏しい彼女の友人も気になるが、新しい侍女長候補も気になる。
カルブンクルス家では侍女長という役職に4名置いて交代で担っていると聞いたことがある。
それだけ責任重大で激務であり、まだ若い侍女が来るのは意外だった。
どこかふてぶてしさすらあった筆頭侍女のアルカエアと違って、緊張しているのか少し手が震えていた。
このくらいなら可愛いものだ。私が彼女の立場であったなら相応に緊張したことだろう。
姓が無いところを見ると平民のようだが、平民をここまで教育する時点で素晴らしい。
やはり彼女の行っている『学校教育』を早く取り入れるべきだろうか。
「よろしくお願いするわね。……それでコーラル。御友人はどちらに?」
「呼んでもよろしいでしょうか?」
「勿論。貴女が友人を連れ歩くなんて珍しいもの」
「確かにそうであろうな。我も見た事がない」
唐突に混じった男性の声に、思わずカップを取り落しそうになった。
いつの間にか空いていた席に見た事の無い男性が座っていた。
頭部には黒く先端の赤い、やや金属質な異形の角が生えており、やや浅黒い肌には魔術紋のような入墨。
黒く艶やかな髪と美しく澄んだ青い目とは裏腹に、言いしれぬ恐怖を感じる存在。
カルブンクルス家の"友人"を人間だと想定してしまったのは、理解が足りていなかったようだ。
「……初めまして。私はグロウメイズ王国王妃、レジーナ・レガリア・グロウメイズと申します」
「ふむ。我こそは『偉大なる竜』の眷属にして恐怖の象徴、絶望たる存在にして終焉たる"死"を司る偉大なる『冥府の王』。レクス・フィエリドラコ・グランフォレス・ネテルウォールドだ」
普通なら冗談だと笑うようなこの男の発言だったが、信じる他無いだろう。
この自らの魂から湧き上がるような恐怖心は明らかに異常だった。
『冥府の王』。
かつて、カルブンクルス家の祖である『緋色の王』と共に『原初の神』を殺した神話の存在。
生命を司るのが『偉大なる竜』ならば、彼は死を司る。
世界の果てにあるという死者の住まう地の支配者、文字通りの『冥府の王』。
彼がその気になればこの王都の、いや、この国の住人が永遠の眠りにつくだろう。
……カルブンクルス家が規格外なのは知っていたが、神話の存在を連れてくるのであれば事前に説明して欲しかったと思うのは贅沢だっただろうか?
国の危機などより先に人類の危機を考える羽目になるとは思わなかった。
「この女が必要だと言うので来てやったが……成程な」
「……何か御用でしたか?」
「ああ、気にするな定命の者よ。我の目的の為に貴様には長生きして貰わねば困るというだけだ」
「はい?」
つまりそれは禁忌である寿命の操作をするということだろうか。
いや、そもそも寿命の操作が禁忌なのは『冥府の王』の領分であるからなのだから、何もおかしくはないのか?
私の疑問を他所に、冥府の王が私を見つめながら『何か』を弄る。
「うむ、これで良し。運命寿命と肉体寿命を90歳に設定しておいたぞ」
「ありがとうございます。作業自体は私が出来てもその権限が無いので」
「そもそも弄るな。我の領分だぞ」
「……私の寿命を伸ばした、ということでしょうか?」
「まあ、そうだな。運命上、貴様が長生きすれば後世に影響が出るのだ」
運命。一体私の何が何を変えるというのだろうか。
「詳しく、お聞きしても?」
「駄目だ。貴様がより良き死を迎える為にはな」
「より良き死……?」
「人は、成し遂げてこそ、満足してこそより良き死を迎えられる。成し遂げられない者は冥府で怨嗟を撒き散らし、怨嗟は現世で時に人を蝕み、大地を呪い魔物を生む。良き死とは後悔しないことであり、満足することであり、安らかに眠ることだ」
「私が、後悔すると?」
「……然程遠くない未来、貴様は後悔し、涙を流し、かつてない程の怒りに震えるだろう。だが成し遂げろ。絶望と悲しみを乗り越えろ。忘れるな。最初に決意したお前の想いが正解だ」
「それは……予言でしょうか?」
「忠告だ。全く、我も随分甘くなったものだ……美人にはどうにも口が軽くなる」
「……お褒めいただきありがとうございます」
「皆様、お茶菓子の用意が出来ました」
見ればいつの間にかテーブルにはまだ温かそうな焼き菓子が並べられていた。
全く気付かなかったのはきっと、『冥府の王』を前にして死を覚悟したからだろう。
尋常ではなく乾いた喉に、自分が緊張していたのだということを理解する。
ここまで緊張したのはいつぶりだろうか。
「おお、ウィータか。相変わらず良い尻をしているな。どうだ今晩痛ぁぁぁっ!?」
「お久しゅうございます。偉大なる『冥府の王』、まさかこの手は私の臀部を撫で回そうとしたのではありませんよね?」
「我の手首が変な方向にぃぃぃぃ!」
緊張したのは……。
「貴様といいアルカエアといい随分と我をこう、なんというか軽んじ過ぎではないか!我は『冥府の王』だぞ!?」
「『冥府の王』はこんな低俗な真似をしないと思うのですが……」
「そもそも私の侍女に手を出さないで貰えますか?」
緊張……。
「カルブンクルスと違って繊細なのだぞこの依代は!全く油断も隙も涙が出る程痛いッッッ!」
「胸を鷲掴みにしたら怒られるという自覚はお有りでしょうか」
「全く、油断も隙もないですね。いいですよウィータ、そのまま極めてください」
「角は!角を持つのはやめてくれぇっ!首が折れる!首が!折れるっ!」
「『セクハラ』というのだそうですよ、その手の言動は。ほら、金貨をあげますから後で王都のお店で遊んで来てください」
「ぜぇ……ぜぇ……これっぽっちの金では二ヶ月しか遊べないではないか!」
「そんなに長居していいんですか?『冥府の王』ですよね?」
「仕方あるまい、足りない分はウィータにその身体で支払って貰うとし」
私は珍しく、本当に珍しく、というより人生で初めて大きな音を立ててテーブルを叩いた。
というか殴りつけた。
「皆様、お茶にしましょう」
「……うむ、そうだな」
「そうしましょう」
「焼きたてのうちにどうぞ」
私は、まだ見ぬ未来の絶望より目の前で起きているくだらない騒ぎを収めることを優先することにした。
……私の緊張、返して欲しい。