清掃対象:クーリア・ジェニスター
そう。最後の清掃対象は自分自身――
「……思い出してみれば、ここが全ての始まりでしたね」
あの後私は旦那様やココラルお嬢様と共に、慣れ親しんだファインズ公爵邸へと帰って来た。
そして自室で休むように言われたのだが、私は夜中に一人でこの部屋にいる。
――用務室。
私が現世において、前世の記憶を取り戻した場所だ。
「……準備も覚悟もできました。それでは、始めましょう」
これまで目を閉じて気持ちを整えていた私だったが、目を開けて目の前にある二つの溶剤を見る。
――塩素系漂白剤と酸性洗剤。
前世の私の命を奪った二つの溶剤を、私は再びその眼前へと置いた。
私自身は床に座し、その二つの溶剤を真剣に見つめている。
その光景は傍から見れば、さながら切腹のようだろう。
――いや、実際に私が今からやることは、切腹と変わりない。
「旦那様……ココラルお嬢様……マリアック……!」
私は敬愛する家族や友人の名を口にしながら、二つの溶剤を手に取る。
これから自分がやることに自分自身で恐怖しつつも、私の覚悟は揺らがない。
私のお掃除によって、"汚れ"の元を絶つことはできた。
だがそのお掃除によって、"汚れ"そのものとなっていたシケアル殿下は命を落としてしまった。
――私はお掃除で、人を殺してしまった。
たとえシケアル殿下の行為が許されざるものであったとしても、私の行為が許されるわけではない。
<清掃用務員>としての最大の禁忌。お掃除で人を殺めるという大罪。
――私自身が私の罪を許すことができない。
よって、私はここに最後のお掃除を決行する――
――この私、クーリア・ジェニスター自身の排除だ。
「もし、前世と同じ死に方をしたら、また私は現世のような恵まれた世界に転生できるのでしょうか……?」
私はそんな愚かな願望を抱きながら、塩素系漂白剤と酸性洗剤を混ぜ合わせようとする。
これからやることも愚かなら、抱く願望も実に愚か。
それでも私は、私自身を許せない。
もとより私はシケアル殿下と同じく、この世界のイレギュラーだ。
私が生きていることで、敬愛する方々にまで危害を加えたくない。
それらの考えを胸に、私は自らの意志で毒ガスを発生させようとした――
バタンッ!
「クーリア……!? 何をしているのですわ……!?」
「コ、ココラルお嬢様……!? ど、どうしてこちらに……!?」
「帰って来た時から、クーリアの様子は明らかにおかしかったのですわ。気になって部屋に行くといませんし、まさかとは思いましたが、ここにいたのですね……」
――その時、ココラルお嬢様が扉を開けて用務室へと入って来られた。
どうにもお嬢様には、私の行動が読まれていたようだ。
お嬢様は私が持った二つの溶剤を見ながら、さらに状況を理解される。
「……その二つの溶剤。クーリアが前世の記憶を取り戻した時に教えてくれた、『混ぜるな危険』というものではなくて? まさかクーリア、シケアル殿下の件を悔やんで――」
「ッ!? こ、来ないでください!!」
ココラルお嬢様は手を伸ばしながら私の方へと近づいてこられる。
そんなお嬢様に対し、私は思わず箒天戟を取り出して構えてしまう。
槍に近い最初の形態のまま、その切っ先を主であるはずのお嬢様へと向ける。
愛しき我が子でもある箒天戟を完全に凶器として使うなど、私は本当に墜ちるところまで堕ちてしまったようだ――
「ク、クーリア……落ち着くのですわ。シケアル殿下が亡くなったことについて、クーリアに非はありませんのよ?」
「たとえココラルお嬢様達がそう思ってくださっても、私は私自身を許せないのです……! それ以上近づくおつもりなら、私はお嬢様が相手であろうとも、牙を剥かせていただきます……!」
「クーリア……」
ココラルお嬢様は私をなだめるようにおっしゃってくださるが、私はもう退けないところまで来てしまっている。
もう相手がお嬢様だろうと関係ない。
私は何としても、私自身の排除をしないことには気が済まない。
「私は! お掃除で! シケアル殿下を! 人を! 殺してしまったのです! もう! 私が皆様の傍にいる資格は! ないのです!」
「そんなことありませんわ! わたくし達は今でもクーリアを――」
「それ以上! 詭弁は聞きたくありません! お願いです! 早々にこの部屋から……出て行ってください!!」
気が付けば私は涙を流し、必死に叫びながらココラルお嬢様を拒んでいた。
どうしようもないほど動転してしまった心。それを制御できない程の罪を私は犯してしまった。
私は箒天戟をお嬢様へと向けながら、ただ睨み合い続ける――
「そこをどけ。ココラルの嬢ちゃん」
――そんな時、用務室の中にさらに誰かが入って来た。
そのお方はココラルお嬢様を押しのけ、私の方へと向かってくる。
私は追い払おうと思ったが、そのお方の姿を見て硬直してしまった。
黒いレインコートに、鮮やかで長い銀髪。
私が一番よく知る表情はほがらかな笑顔だが、私に向かってきたそのお方の表情にはハッキリと怒りが籠っていた。
そして私の傍まで来ると――
パシィン!
――私の頬をひっぱたいてきた。
「いい加減にしろよ、クーリア。お前、今自分がどれだけ勝手なことをしてるか、理解してんのか?」
「マ、マリアック……」
私の頬をはたいてきたのはマリアックだった。
怒りに満ちた表情をして、私の方を睨んでくる。
「さ、下がってください! マリアック! 私はもう死ぬことでしか、この罪を償える気が――」
「お前は本当にどこまで馬鹿なんだ? お前が『シケアルの兄貴を殺したこと』を罪とするのは勝手だが、俺にとってはそれ以上の罪がお前にある」
私は友人であるマリアックさえも拒もうとするが、マリアック自身はそんな私の言葉も聞かずに怒りの表情のまま自身の意見を通してくる――
「あの燃え盛る教会で死ぬはずだった俺を、お前は生かした。俺にとってはそれがお前の最大の罪だ」
――そして語られる内容は、私がマリアックを助けたことについてだった。
「あの時死ぬはずだった俺を生かしておいて、自分は勝手に死ぬだって? ふざけんのも大概にしろ」
「で、ですが、私は<清掃用務員>としての大罪を犯しました。そもそも、私が殺してしまったのはマリアックの兄上であるシケアル殿下で――」
「ハァ……本当に馬鹿で強情な女だ。だったら、この俺が『ウォッシュール王国第二皇太子』であるフェイキッド・スクリームとして、お前の罪に対する罰を与えてやるよ――」
マリアックにとっては私に生かされたことが許せないらしいが、私はそれでも自分が許せない。
そんな私の弁明も途中で遮り、マリアックはさらに『ウォッシュール王国第二皇太子』として言葉を紡いできた――
「生きろ。これからも俺と一緒に生き続けろ。それがお前への罰だ」
――そう言うとマリアックは、私の体を優しく抱き寄せてくれた。
私は持っていた箒天戟も床へと落とし、ただ茫然と立ちつくしてしまう。
「お前が<清掃用務員>であることに、ありえねえほど誇りを持っていることは知ってる。その上で俺はお前に『生き続ける』ことを罰として与える。勝手に死ぬことなんて、絶対に許さねえ」
マリアックは私を抱き寄せたまま、『罰』と称した願いのような言葉を語り掛けてくる。
その声はとても優しく、私の心をまるで包み込むように癒してくれる。
「私は……生きていても良いのですか?」
「むしろ、生きていてくれないと困る。お前を慕う人間が大勢いることを、忘れたんじゃねえだろうな?」
「……そもそも、マリアックは今の今まで死んだことになっていました。そんなに早く『ウォッシュール王国第二皇太子』としての権限を、復活させることができるのですか?」
「いや、できねえな。さっきのは俺の嘘だ」
「……マリアックは本当に嘘つきですね」
「嘘で塗り固められた"フェイキッドの亡霊"だからな。だが、以前にお前も童話の『フェイキッドの亡霊』を読んだ時に言ってただろ? 『教訓のようにためになるなら、それは嘘でも構わない』ってなことをよ?」
私はマリアックと話す中で、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
マリアックにこうして抱きかかえられながら話しかけられると、なんとも言えない暖かい気持ちになってくる。
「クーリア。わたくしもあなたに生きてほしいのですわ。家族に死なれるなんて、これ以上悲しいことはありませんのよ?」
「俺からも頼む。生きてくれ、クーリア。友人として、これからも俺の傍にいてくれ」
そして私はココラルお嬢様とマリアックの二人から、改めてお願いされた。
落ち着きを取り戻した私は、ようやくその言葉を受け入れることができた。
私は――クーリア・ジェニスターは生きても構わないのだ。
私が『転生者』というこの世界のイレギュラーであっても、生きる意味がある。
<清掃用務員>としての掟よりも前に、私を必要としてくださる方がいる。
「ココラルお嬢様ぁ……! マリアックゥ……! 本当に……本当に申し訳ございませんでしたぁ……!」
それらの事実をようやく認識できた私は、その場に崩れ落ちて泣き叫び、己の本当の愚かさを嘆いた。
私は本当に馬鹿だ。どうしようもないほど馬鹿だ。
一時の激情に動かされて自ら命を絶とうとするなど、愚かの極みだ。
――それでも私は、同時に心の底から溢れる嬉しさを止められなかった。
「へへっ。本当に手間を掛けさせてくれるぜ……」
「本当に困った従者なのですわ。……それにしても、フェイキッド様はよくここに駆け付けてくださったのですわ」
「まあ、俺もこいつのことが心配だったからな」
「本当にそれだけですの? 何やら、それ以外の何かも感じますの。もしや、フェイキッド様はクーリアのことを――」
「う、うるせえ! それ以上余計なことを言うな!」
私が泣き崩れる傍で、マリアックとココラルお嬢様が何やら言い争っておられる。
そういえば私もマリアックに対して『何かを教えてもらう約束』をしていたはずだが、これまでの混乱の中で忘れてしまったようだ。
ただ、今はそれよりもお二方に言いたいことがある――
「ココラルお嬢様、マリアック。こんな馬鹿な私ですが、どうかこれからもよろしくお願いします」
――私はその言葉を、泣きながらだが自分でもよく分かる笑顔で伝えることができた。
――こうして、私の最後の清掃業務は無事失敗に終わった。
そして私はこれからも、この世界で生き続けることとなる。
この世界はシケアル殿下が言うには、『魔王のデスティニー』というゲームの物語の世界だ。
だがそれでも、私にとってはかけがえのない現実だ。
クーリア・ジェニスターはゲームの中ではただのモブキャラだったらしいが、今の私にそんなことは関係ない。
ファインズ公爵家という家族がいる。
マリアックという友人がいる。
他にも大勢の敬愛する方々がいる。
私に必要なのはその事実であり、それこそが真実だ。
私はその思いを胸に、これからもお掃除やお仕事に精を出し、多くの人々と出会っていく。
私の日常は、これからもこの愛すべき世界で続いていく。
かつて<アサシン>だった者にして、今は<メイド>にして、誇り高き<清掃用務員>。
それがこの私、クーリア・ジェニスターという人間だ。
まず最初に、これだけは述べさせていただきます――
全国の清掃業に従事する方々、並びに用務員の方々、本当に申し訳ございませんでした。
――とりあえずこれを言っておいた方がいい気がするので、まずは謝罪を先に失礼します。
だって、とんでも清掃知識ばっかりですもの。
流石に怒られそうで怖い……。
以上でこの物語も終わりになるはずだったのですが、もう少しだけ続かせていただきます。
書いている内に「あるキャラの視点でもう一度物語を振り返る」というネタが出てきたので、それを次章として書かせていただきます。
ただこの「超一流清掃用務員異世界転生譚。元暗殺者兼公爵令嬢側近従者転生後、前世記憶復活、清掃魂覚醒。周辺汚染物徹底清掃開始。異世界清掃黙示録。 ~咆哮、清掃魂~」(本当に長いな)の物語自体はここで終わりになります。
次章との兼ね合いも含め、ここまでの物語は「Episode of Cleaning Janitor」と題して本編完結とさせていただきます。
ここまで読んでくださった方々、応援してくださった方々には、心よりの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
そして、よろしければこの続きもお願いします。
次章より、「Episode of Absolute Actor」を開始いたします。(気分次第で)




