敵は強大なようです。
ううぅ……モップゥ……。
「ヒィ! ヒィ! も、もう大丈夫だな!? 下水道は出たよな!? 虫はいないよな!?」
「ご安心ください。もう虫はいません。そろそろ降ろしてください」
フクシマンに抱えられながら、私は下水道の外まで逃げ出せた。
クッコルセ団長も諦めたのだろうか。追ってきていないようだ。
「え、え~!? クーリアさんと~……え~っと~……どなたか分かりませんが~、何があったのですか~!?」
ようやくフクシマンから降りた私の元に、シスター・マリアックが駆け寄って来た。
そういえば、彼女はこの近くで<シスター>の務めをしていたのだった。
丁度いい。彼女の<シスター>としての力が必要だ。
「シスター・マリアック。申し訳ございませんが、この陛下――いえ、フクシマンの背中の傷を、回復魔法で治してもらえませんか?」
「わ、わわ~!? かなり深い傷ですね~!? よく分かりませんが~、ケガしている人を~、放っておけませんね~」
私の話を聞くと、すぐにシスター・マリアックは回復魔法でフクシマンの傷の手当てをしてくれた。
回復魔法は<シスター>の本分。
ここに彼女がいて助かった。
「ぐうぅ……す、すまない。恩に着るぞ。シスター・マリアック」
「いえいえ~。当然の務めですから~」
回復魔法のおかげで、フクシマンの傷はどんどん回復していく。
本当によかった。
私を庇って死なれては、ただ心苦しいだけだ。
「それにしても、どうしてフクシマンはあの場所に来られたのですか?」
「ああ……そのことか。シスター・マリアックよ。もう回復魔法は十分だ。下がっていてくれ」
「は、はい~……。とりあえずこれで~、大丈夫ですし~……」
ある程度フクシマンの傷が回復したところで、私は気になっていたことを聞いてみた。
それを聞くとフクシマンはシスター・マリアックに、一度場所を離れてもらうように願う。
ドテンッ
その際にシスター・マリアックがまた転んだようだが、そんなことは関係ないとばかりに、フクシマンは私と一緒に人の少ない路地裏へと移る。
「……さて。ここならば、吾輩の身分を隠す必要もないだろう」
「陛下のことをご存じの人間からすれば、簡単にバレそうですからね」
「……それは言わぬ約束だ」
周囲に人がいなくなったことを確認すると、その口調がフクシマンから陛下のものに変わった。
そして私に対して、あの場にいた事情を説明してくださった。
「お主が下水道に向かった後、流石に吾輩もどうしても気になったものでな。かなり迷った挙句だが、下水道へと入ってみたのだ」
「虫が嫌いなのに、よくそんな虫の巣窟に足を踏み入れようと思いましたね……」
陛下も奇特なお方だ。
下水道から逃げ出す時は半泣きしていたほど虫が嫌いなのに、それでもわざわざ下水道に入ったのか。
そこまで嫌ならご自身が入らずとも、王城に戻って別の人間を呼べばよかったのに――
「いや、吾輩も直感的にではあるが、下水道の奥が危険であることは分かっていた。そんな場所に吾輩の命令により、守るべきウォッシュールの民が一人で足を踏み入れたのだ。国王として、放っておくことなどできまい」
「へ、陛下……! あ、ありがとうございます……!」
――またしても感動。
私も誠心誠意お辞儀をする。
見た目こそヤクザな陛下だが、そのお心はまさに王たる器にある者に相応しき寛大さ。
フクシマンとして人々の食糧事情を改善していたのもそうだが、陛下は陰ながらも民のことを思ってくださっている。
そのお心は一般的な洗面台とは違う。スロップシンクよりも深くて広い。
見た目で判断してはいけない。
陛下のお心もまた、私の清掃魂より壮大だ。
「しかし……何故あの場所に、クッコルセ団長がいたのだ? クーリア。お主は何か知らぬか?」
私が陛下を尊敬の眼差しで見ていると、突如陛下が疑問を述べられた。
「それについては私も分かりません。ただ、彼女は強大な"汚れ"に支配されていました」
「なんと!? では、今のクッコルセ団長は正気を失っていると!?」
「そういうことになります」
そんな疑問に対して、私は分かることをそのままお伝えする。
それを聞いた陛下は頭を抱え込み、口元を歪ませている。
「クッコルセは王国一の<騎士>だ……。そんな者が正気を失ったとなれば、これほど強大な敵はいない……!」
陛下は歯ぎしりしながら、現状のマズさを考えておられる。
――陛下の言う通りだ。
これはお掃除に関することだけでなく、ウォッシュール王国の勢力にも関わってくる話だ。
"汚れ"は洗い落とせばそれで済む。
だが人そのものの力が加わってくると、状況は厳しさを増す。
この国一番の<騎士>であるクッコルセ団長が敵に回ったとなれば、尚更の話だ。
「……クーリア・ジェニスターよ。お主はあのクッコルセを正気に――こびりついた"汚れ"を落とすことはできるか?」
「……申し訳ございません。今の私では無理な話です」
陛下の問い掛けに対し、私は切断されたモップを手に取りながら答えた。
無残にもその命を散らされたこのモップを見るたびに、今も私は心が痛くて仕方ない。
今回の敗因は、クッコルセ団長が大剣を持った"超一流"の<騎士>だったこと。
私にはお掃除のための清掃道具しか武器がない。
その清掃道具を『人に向けること』も、私の誇りが許さない。
私は<清掃用務員>。
人に危害を加える暴力はしない。
やることはあくまで"汚れ"を落とすことのみ。
それがたとえ、全力で私を殺しに来る相手であってもだ。
「……では、クーリア・ジェニスターよ。そのモップに代わる――いや、『そのモップよりも強大な武器』があれば、お主はクッコルセを元に戻すことができるか?」
「……え? た、確かに可能性は上がりますが……」
今後のことに苦悩する私に、陛下が提案をなされた。
私の持っているモップより強力な――せめて、大剣にも耐えられる強度のモップがあれば、クッコルセ団長の攻撃を止めることはできる。
だが、それでもモップを始めとする清掃道具を、私は人に向けるようなことはしたくない。
「クーリアよ。お主のその表情を見る限り、吾輩にも分からぬほどの葛藤を抱えているのだろう」
そんな私の心を読むように、陛下が言葉を紡いでくる。
「その葛藤の正体まで言う必要はない。だが、吾輩にはお主の力になれる人間に心当たりがある」
「心当たり……ですか?」
「うむ。詳しい話は王城で行う。吾輩は先に城へ戻っている。クッコルセ団長がああなってしまった以上、城の警備を固める手はずをする必要もある。城の者に話は通しておく故、後でお主は吾輩の私室に来い」
陛下はそれだけ言い残されると、フクシマンの衣装のまま立ち去られた。
――モップに代わる、『新しい武器』。
私は人を傷つけることは嫌だ。
今の私は<アサシン>じゃない。<清掃用務員>だ。
それでも、クッコルセ団長のような強大な敵を前にして、お掃除の必要があるならば――
陛下が私の気持ちを理解した上で、手を差し伸べて下さったのなら――
――私は一度、陛下のお言葉を信じてみよう。
モップゥウウウ!!




