清掃対象:王城下水道
※悲劇注意。
「予想はしていましたが、かなり汚れてますね……」
私は防水ブーツを履きながら、一人でジャブジャブと下水道の中へと入っていく。
"汚れ"のこびりつき方は深刻だ。
陛下が危惧していた通り、虫も群がっている。
<用務眼>で確認してみても、下水道全体にこびりついた"汚れ"が水質まで汚染しているのは明らかだ。
この"汚れ"は単純に下水によるものではない。
用水路へ流れ出る前段階には、魔法による浄水施設があることも調査済みだ。
やはりこの"汚れ"もこれまでと同じく、私が知らない何かで汚染されたものだろう。
「……ともかく、やることは変わりません。ここは清掃三種の神器ではなく、別の道具の出番でしょう」
私は<収納下衣>に手を入れて、新しい道具を取り出す。
――デッキブラシ。
こういう水場のしつこい汚れには、やはりデッキブラシが一番だ。
"汚れ"の成分を分析したところ、成分は"酸性"。
そうなってくると、次亜塩素酸ナトリウムを始めとした"アルカリ性"の洗剤の出番だ。
「さてさて。それでは早速お掃除を―― ッ!?」
私が霧吹きとデッキブラシを用意して、お掃除を始めようとしたその時だった――
ズバンッ!!
「あっ!? デ、デッキブラシが……!?」
――突如下水道の奥から、斬撃が飛んできた。
思わずガードしようとするも、持っていたのはデッキブラシ。
その斬撃によって、デッキブラシは無残にも真っ二つにされてしまった。
「い、一体誰がこんなひどいことを……!?」
幸い私にケガはない。
デッキブラシが私を守ってくれたおかげだ。
だが、私の命より大切な清掃道具を切断されたことに、私は言いようのない怒りを覚えずにはいられない。
『斬撃を飛ばす』技術は、この世界でもかなり高度な技。
私のデッキブラシを殺した犯人が、相当な手練れであることは間違いない。
怒りに体を震わせながらも、私は斬撃が飛んできた下水道の奥へと目を凝らす――
「くっ? あんたは確か……ファインズ公爵のところの<メイド>だったか? ここは立ち入り禁止の場所だ」
「クッコルセ・ウォンナキッシュ団長……!?」
――そして私の目の前に現れたのは、王国防衛騎士団現団長――クッコルセ・ウォンナキッシュその人であった。
その手に大剣を持ち、私の方へとにじり寄ってくる。
「なぜ、このようなひどい真似を?」
「『ひどい真似』? 何の話だ? アタイには分からんな」
「とぼけないでください。私のデッキブラシを殺しました」
「……余計に意味が分からないな」
クッコルセ団長は私の言葉も押しのけて、その大剣を強く握りしめながら睨みつけてくる。
いくら彼女が頭の固い人間だからと言っても、どうにも様子がおかしい。
私は密かに<用務眼>で彼女を分析してみた――
「……やはり、"汚れ"ですか」
――狙い的中。予想通り。
クッコルセ団長は今、"汚れ"に蝕まれている。
しかも、その"汚れ"の濃度は尋常ではない。
"汚れ"はクッコルセ団長の鎧にこびりつき、しかも油汚れ以上に頑固だ。
――これは強敵だ。
下水道のお掃除だけなら大した手間ではないと思っていたが、"汚れ"に飲み込まれたクッコルセ団長が相手となると、私の手に負えるかも分からない――
「……<収納下衣>。モップ装備……!」
「ほう? アタイとやりあうつもりかい? まあアタイも、ここに入ってきた人間を見逃すつもりはないが……!」
――それでも私は立ち向かわなければいけない。
<収納下衣>から取り出したモップを、体の横に添えて構える。
デッキブラシの仇もあるが、クッコルセ団長がこのまま見逃してくれるとは到底思えない。
それほどまでに彼女にこびりついた"汚れ"は深刻。
<アサシン>としての直感で、その瞳に殺気と狂気が宿っているのが感じられる。
これは早急にお掃除しないと、命の危険さえある。
「……上等だ。アタイがそのただの棒きれごと、あんたをぶった切ってやるよぉおお!!」
モップを侮辱しながらいきり立ったクッコルセ団長が、その大剣を両手で握りしめて襲い掛かる。
流石に鋭い。噂に違わぬ太刀筋。
私は<アサシン>のスキルを総動員して、ひたすら回避に徹する。
<アサシン>は『鋭く、素早く、正確に刺す』ことを念頭に置いたスキル。
回避能力だけなら、<騎士>であるクッコルセ団長より上だ。
「くっ! どうしたぁ!? さっきから避けてばかりだぞぉ!? そんなことでアタイに勝てると思ってるのかぁあ!?」
――だが、同時に今の私にできるのは『回避のみ』だ。
隙を伺ってクッコルセ団長の鎧についた"汚れ"を落とそうと試みるも、あと一歩踏み出せない。
『ある理由』が、私を踏みとどまらせる――
「それでも……やるしかありませんね」
私も覚悟を決める。
これからやることは私にとっての禁忌だが、それでもやらなければ"汚れ"は落とせない。
クッコルセ団長が大剣を大きく薙ぎ払ったのを見て――
――シュン!
「くっ!? 速い!?」
――屈んで射程圏内に入る。
そして手に持ったモップを彼女目がけて――
――ピタ
「ううぅ……!?」
「くっ? 何をしている? その棒きれでアタイに攻撃しないのか?」
――できなかった。
私はモップがクッコルセ団長の鎧に当たる直前で、その動きを止めてしまった。
私の本能がそうした。<清掃用務員>としての誇りがそうした。
私には――
――『人にモップを当てる』ことができなかった。
モップはお掃除の道具だ。
そもそも、人に向けていいものではない。
そんなものを人に押し当てるような真似は、もはやお掃除ではなく暴力――
――本当に<清掃用務員>失格になる。
「……分からん奴だ。この機会を逃すとはなぁあ!!」
ズバァン!!
そんな葛藤に迷う私を他所に、クッコルセ団長は大剣でモップさえも切断してきた。
「あ……ああぁ……!?」
クッコルセ団長によって無残にもその命を奪われたモップを私は手に取り、絶望に打ちひしがられる。
このモップは私が<清掃用務員>として覚醒したころから付き添ってきた、まさに相棒。もう一つの私自身。
あまりのショックに私はその身を震わせながら、動きを完全に止めてしまう。
ゲシィ!
「うぐうぅ!?」
そんな私の腹部へ、クッコルセ団長の蹴りが入る。
私の体は大きく吹き飛ばされ、下水道の壁際へと尻もちをついてしまった。
尻もちをついたせいで、メイド服は下水でドロドロだ。
早く洗わないと、汚れが落ちなくなる。
それよりも、次のモップを用意するべきか?
いや、モップではまた切断されるだけだ。
それならハタキと雑巾は?
いや、リーチがない以上、今の私に対抗できる武器はない。
――そもそも、私は清掃道具しか持っていない。
「少しは楽しませてくれると思ったが、見込み違いだったようだな」
クッコルセ団長は私の眼前に立ち、その大剣を振りかざしてくる。
よく見ると、大剣にも"汚れ"が纏わりついているのが見える。
おそらくこれは、最初に私にはなった『飛ぶ斬撃』だ。
"汚れ"だけなら私でも対処できる。
だが、物理的な殺傷力を伴っているとなると、私では手の打ちようがない。
完全に腰が抜けて立ち上がることさえできない。
私の<アサシン>としての本能が、最大音量で警鐘を鳴らしている――
――私は……死ぬ。
「終わりだぁああ!!」
ついにクッコルセ団長が大剣を振り下ろし、私目がけて斬撃を飛ばしてきた――
ザシュンッ!
「いでぇえええ!?」
「え……? あ、あなたは……?」
「くっ!? 邪魔者か!?」
――だが、斬撃は私に当たらなかった。
私に覆いかぶさるように割って入った誰かが、背中でその斬撃を受け止めてくれた。
ムキムキの筋肉。
ツルツルの頭。
ダサダサの衣装。
そう、この人は――
「と、とりあえず、早くここから逃げるぞ!」
「陛下!?」
「陛下ではない! ワッシはフクシマンだ!」
私の言葉に少し訂正を加えながら、陛下ことフクシマンは私を片腕で担いで、下水道の外へと走り出した。
「くっ!? 小癪な! 待てぇえ!!」
それを見たクッコルセ団長も必死に追いかけてくる。
だが、フクシマンの方が圧倒的に足が速い。
このムキムキな筋肉も伊達ではないようだ。
どんどんとクッコルセ団長との距離を開けていき、すごいスピードで下水道の外へと向かう。
――ともかく、私は助かったようだ。
これはお礼を言わないといけない。
「陛下――いえ、フクシマン。本当にありがとうございま――」
「いやぁああ!? 虫が多いぃい!! 吾輩無理! 早く出たいぃいい!!」
抱えられたままお礼を言おうとしたのだが、フクシマンはそれどころではなかった。
どうやら本当に虫がダメなようだ。
下水道にはびこる虫にビビるフクシマンに抱えられながら、私は外へと逃げだすことができた――
モ、モップゥウウウ!!??




