清掃対象:聖ノミトール学園Ⅱ
担任の先生を助けた後も、私の清掃業務は続く。
清掃道具一式を乗せた台車を押して、次々と戦場をまわっていく。
この聖ノミトール学園は本当に広い。
"静"の清掃魂を意識し、人々の安全を確認してお掃除してきたが、いささか時間がかかってしまって仕方ない。
それでもここは落ち着こう。
"汚れ"は確実に落とせている。
トイレ、シャワールーム、更衣室――
男性用女性用に分かれている、そういった場所のお掃除はほとんど終わった。
"静"の清掃魂を宿す今の私なら、羞恥心にも耐えられる。
たとえ男子トイレで驚かれようと、男性用シャワールームで声を上げられようと、男子更衣室でドン引きされようと、私の清掃魂は動じない。
この不動たる信念――"静"の清掃魂。
最初の頃は<清掃用務員>としての力を取り戻して浮かれていたが、これもまた必要な嗜み。
己の力量に溺れては、また前世のようにうっかりミスで命を落とす。
今の私は成長している。
常に向上心を持ち続けること。
<清掃用務員>の清掃魂は、こうして日々磨かれるのだ。
「おおぉ? この学園のメイドさんじゃないのぉ。それなのにお掃除してくださるとは、わひも感謝じゃのぉ……フガフガ」
そんな清掃業務中の私の前に現れたのは、ここ聖ノミトール学園の学園長だ。
かなり高齢のおじいさまで、歯も全入れ歯になられている。
だが王国の最高機関とも言えるこの学園を取り仕切るだけのことはあり、様々なスキルをマスターしたお方だ。
「それにしても……今日はなんだか口周りがムズムズしますのぉ……フガフガ」
そんな尊敬すべき学園長だが、私はあることに気付いてしまう――
――学園長の入れ歯に、"汚れ"が見える。
先程から入れ歯の調子が悪いのか、フガフガ言っているのも"汚れ"が原因かもしれない。
――これはいけない。
このままでは学園長が"汚れ"に汚染されるどころか、うまくはまっていない入れ歯のせいで、喋るたびに唾液と一緒に"汚れ"まで飛び散ってしまう。
「メイドさんや。わひの顔を見てどうかされまし――ハ……ハフヒョン!?」
私がそんな学園長の入れ歯を<用務眼>で観察していると、突如学園長がくしゃみをされた。
そして同時に、口にあった入れ歯も宙を舞う――
――これはチャンスだ。
「学園長。少々入れ歯をお借りします」
「ほ……ほひぇえ?」
私は宙を舞っていた入れ歯をハンカチで掴み取る。
そして<収納下衣>の中から、漂白活性化剤や界面活性剤などを取り出し、瞬時にそれらをコップの中でバランスよく混ぜ合わせる。
<用務眼>で確認したところ、入れ歯の"汚れ"は前世で記憶している成分と同じだ。
だったら、"汚れ"の落とし方も同じで行ける。
――即席の入れ歯洗浄剤。
コップに作ったその液体に学園長の入れ歯を浸し、入れ歯をお掃除する。
ある程度浸したら歯ブラシで磨き上げ、お水でよくすすぐ。
最後に綺麗なハンカチをもう一枚用意し、それで入れ歯を掴みながら学園長の口へと戻す。
「学園長。これで入れ歯も合うはずです。もし合わないのでしたら、新しい入れ歯をオススメします」
「ほ……ほひぃ……!」
入れ歯を戻す時も、できうる限りの笑顔で接する。
コミュニケーションに大事なのは笑顔。<清掃用務員>としての嗜みではある。
――ただ、相変わらず私は笑顔が苦手だ。
それでもやれるだけの努力はする。
こういった向上心なくして、<清掃用務員>は名乗れない。
ただそれでも私の表情は硬かったのか、私と顔が近づいた時の学園長の頬は、どこか赤くなっていた。
――やはり、私の表情の変化が薄いせいだ。
いくら苦手だからといっても、これは改善の余地がある。
「それでは私は失礼します。次のお掃除がありますので」
だが、今は優先するべきことがある。
笑顔の練習は今後の課題として、私は再び台車を押しながら、次の戦場へと向かった。
「な……なんじゃ……? この胸の高鳴りは……?」
――ただそうやって去る間際、後ろから学園長の恍惚とした声が聞こえた。
きっと入れ歯から"汚れ"が消え去ったことで、その身に爽快感を感じているのだろう。
それだけでも私にとっては、何よりも得難い勲章だ。
■
「――フゥ。あらかたのお掃除は終わりましたね」
学園の校舎のお掃除は終わった。
それでもまだ油断はできない。
この聖ノミトール学園の敷地は広大だ。校舎以外の建物もある。
私は校舎の屋根の上に上がり、周囲を見渡して"汚れ"が見当たらないか確認してみる。
「見たところ、他の建物に"汚れ"は―― ッ!? あ、あれは……!?」
遠くを見ながら確認して安心しようとしたところに、私は"汚れ"を見つけてしまう。
しかもその場所は、先程まで私のことを親身に心配してくださった人がいる場所――
「シスター・マリアックの……教会!?」
その事実を確認した時、私はその身に言いようのない不安を感じ取る。
もしもあの教会が"汚れ"で汚染されてしまったら――
もしもシスター・マリアックが"汚れ"に襲われていたら――
もしもシスター・マリアックが心を蝕まれてしまったら――
「……そのような事態、私が許しません」
私は屋根から飛び降り、全速力で教会へと駆けだす。
シスター・マリアックの優しくてほがらかなお心が"汚れ"に犯されるなど、私にとっては我慢できない事態だ。
<アサシン>スキルで強化した脚力をフル活用し、私は教会へと無心で急ぐ――
■
「シスター・マリアック!!」
教会についた私は、大声でその名を呼んだ。
必死にならずにはいられない。
最悪の事態が想定できてしまった以上、私に"静"の清掃魂を維持することなどできない。
私は<清掃用務員>だが、それ以前にクーリア・ジェニスターという一人の人間だ。
敬愛するお方の危機を前に、動揺を抑えられるほど器用ではない。
「くぅ!? それにしても、ひどい"汚れ"です……!」
何より私を動揺させるのは、教会内部の"汚れ"だ。
学園の校舎にあったものとは違う。
成分こそ"弱アルカリ性"のままだが、その規模はファインズ公爵邸と同じ規模。
"汚れ"は壁や天井にも染みこみ、教会全体に広がっている。
それに、シスター・マリアックの返事も聞こえない。
教会にいないわけではない。
彼女がまだ教会にいることは、<アサシン>スキルで確認済みだ。
とにかく、目に見える"汚れ"を徹底的にお掃除するしかない。
「ぐっ……!? <清掃能力強化>――<除菌疾走>!!」
今の私はとにかく必死だ。
私の心を支えて下さった、シスター・マリアックの危機――
その事態が、私の"動"の清掃魂を無意識に湧きあがらせる。
モップに酸性洗剤入りの溶液を染みこませた私は、<清掃能力強化>のさらに上の段階――<除菌疾走>を発動させて、腰を落とす――
「――ハアァッ!!」
――そして、全速力でモップを走らせる。
これまでの経験から得た力で発動させた、<除菌疾走>。
ただでさえ強力な私の清掃力を、これでもかと引き上げてくれる。
ファインズ公爵邸の時と同じく、天井や壁を駆け抜けて、猛スピードで汚れを落としていく。
そのスピードは過去最速といってもいい。
だが私の体もまた、悲鳴を上げている。
やはりいきなりの<除菌疾走>は体への負担が大きすぎる。
全身を走る激痛に耐え、歯を食いしばりながら私はひたすらモップを掛ける。
「ハァ! ハァ! シ、シスター・マリアック!!」
私はお掃除を続けながら、必死にその名を呼んだ。
『お掃除の基本』たる本来の手順、『奥から手前へ』という順番も忘れ、私は手前から奥へと手当たり次第に"汚れ"を落とす。
そうしながら同時に、私はシスター・マリアックを探す。
だがいくら私が呼び掛けても、彼女の声は聞こえない――
「あれ~? もしかして~、クーリアさんですか~? ちょっと待ってくださいね~。今~、お着替え中なんです~」
――だが教会の一番奥、シスター・マリアックの私室と思われる部屋の前まで来て、ようやくその声を聞くことができた。
ここに至るまでの全ての"汚れ"は落とした。
後確認できていないのは、この部屋だけ。
話を聞く限り、シスター・マリアックは着替え中だ。
そんな部屋にいきなり入り込むことは、<清掃用務員>として失格だ。
だがそれでも、私は彼女の身が心配で仕方ない。
必死に"静"の清掃魂で気持ちを落ち着かせようとするも、私の心は重曹水を煮沸するように、その滾りを押さえられない。
ここで勝手に部屋へ押し入ることが、あまりに非常識な行為であることは百も承知――
――バタンッ!
――それでも私は部屋に入り、中の様子の確認を優先した。
これは<清掃用務員>としての嗜みなど、最早関係ない行動――
――クーリア・ジェニスターという人間の本能だ。
「きゃ、きゃ~!? クーリアさん~!? 入ってきたら~、ダメですよ~!?」
そして部屋に入った私の目に入ってきたのは、下着を着替え中のシスター・マリアックの姿だった。
いきなり入って来た私に驚き、両腕で必死に胸を隠している。
とにかく慌てふためくその姿。当然だ。
今私は自分でも非常識なことをしていると、重々自覚している。
――それでも同時に、私は安心した。
部屋のどこを見ても、シスター・マリアック自身を見ても、どこにも"汚れ"は見当たらない。
考えてみれば、シスター・マリアックのそのお心は実に清潔そのもの。
そのあまりの清潔さに、"汚れ"さえも跳ねのけてしまったのか。
――流石はシスター・マリアック。器が違う。
「勝手に部屋に押し入って、申し訳ございません。ですが、あなたが無事でよかった――」
――カチャン
シスター・マリアックに謝罪しようとすると、突如私の手に持っていたモップが床へと滑り落ちた。
落としたモップを拾おうと腰を下げるも、体に力が入らない。
私の体は逆に、床へと吸い込まれる――
「え? え? ク、クーリアさん~? クーリアさん~~!?」
シスター・マリアックが私を呼ぶ声がするが、とにかく体が重くて意識も遠のく。
どうやら<除菌疾走>の反動と、彼女の無事を確認できて緊張の糸が切れたことで、ついに体が限界に来てしまったようだ。
「クーリアさん~~!?」
シスター・マリアックの悲痛な叫びを聞きながら、私は目を閉じ、意識を手放した――
色々オチました。




