清掃対象:聖ノミトール学園
「<用務眼>――発動」
私は<清掃能力強化>を発動させ、<用務眼>で"汚れ"を分析しながら学園の校舎内へと入っていく。
そしてその分析結果から、一つこれまでと違う点を発見した。
「……"汚れ"の成分は、"弱アルカリ性"ですか」
そう。今回の"汚れ"はこれまでのものと質が違う。
ココラルお嬢様達に染みついていた"弱酸性"や"強酸性"とは違い、"弱アルカリ性"だ。
そうなってくると、こちらも以前と手法を変える必要がある。
「<収納下衣>オープン。とりあえず、洗剤を準備しましょう」
私が<収納下衣>からまず取り出したのは、バケツと台車だ。
バケツを台車に乗せ、近くの水道から水を汲んで入れる。
「私にとっては色々思うところのある洗剤ですが、ここは頼りにしましょう」
そしてバケツの水に、酸性洗剤を混ぜ込む。
"汚れ"が"アルカリ性"ならば、使う洗剤は"酸性"のものがいい。
前世の私はこの酸性洗剤に塩素系漂白剤が混ざることで命を落としたが、用法用量さえ間違えなければ、その清掃力は頼りになる。
"汚れ"はその成分に対して中和させる成分をぶつけることで、浮き上がらせて落とすことができる。
<清掃用務員>として、これは当然の知識だ。
「準備はできました。さあ、私のターンです」
そうして用意したバケツの中身にモップの毛を浸し、私は早速お掃除を始める。
幸い、"汚れ"は敷地的には広く広がっているものの、ほとんどが床に広がっている。
これなら<立体清掃>を使わずとも、他の清掃三種の神器の切り替えのみでお掃除できる。
「移動量は多いですが、特に問題は―― ッ!? し、しまった……!?」
だが、私はあることに気付く――
「なんだか、今日寒くないか?」
「急に肌寒くなってきたような……」
「奇妙ね……。それに、なんだか黒い影のようなものも見えるし……」
「人が……多い!」
そう。この聖ノミトール学園はファインズ公爵邸と違い、とにかく人が多いのだ。
お屋敷の時の使用人よりも、はるかに多い生徒や教師達がいたるところにいらっしゃる。
先程ファブリ様を追っていた時と違い、人の往来も増えている。
そして様子を見る限り、今回の"汚れ"はそこまで強く蝕んでいない。それは人々の様子から伺える。
おそらく、"汚れ"の成分が"弱アルカリ性"だからだろう。
"弱アルカリ性"は人体と同じ成分だ。
そのため、人体への悪影響が少ないと見受けられる。
私の<清掃用務員>としての本能が、それを自然と理解させた。
だがそれでも、"汚れ"は"汚れ"。このまま放置していては、いずれ甚大な被害が発生する。
お酒だって飲み過ぎると体を壊す。アルコール除菌もやりすぎると手が荒れる。
だから早急な清掃業務完了が求められることは変わらない。
「……落ち着きましょう。人が多いところでのお掃除など、前世でも何万回と行ってきました」
人の多さと未知の"汚れ"に思わず動揺しましたが、よく考えれば焦る話でもない。
私は前世で"超一流"だった<清掃用務員>。この程度の困難はいくらでも乗り越えてきた。
「フー……」
私は一呼吸おいて、気持ちを整える。
人が多い以上、何よりも求められるのは"安全性"だ。
人々の生活を守るのが、<清掃用務員>の務め。
生徒や教師達に、危険が及ばないようにすることが何よりも重要だ。
この戦場において、私は人の流れに乗りながら、自然とお掃除する必要がある。
今必要なのはファインズ公爵邸の時のような、激しく猛る"動"の清掃魂ではない。
洗い終わった排水溝を流れる水のように穏やかな、"静"の清掃魂――
「……談話中、失礼いたします。少々お掃除をさせていただきます」
「え? メイドさん? あ、はい……。いいですけど……」
私は生徒達に声をかけながら、安全をしっかり確認した上でお掃除を始める。
<用務眼>で確認した"汚れ"を、周囲に飛ばさないよう緩やかにお掃除する。
所々埃が溜まって気になった場所も、ハタキや雑巾で綺麗に落とす。
そして床に落とした全ての"汚れ"を、モップで綺麗に磨きとる。
「突然のお掃除、大変失礼いたしました。私はこれで失礼します」
「い、いえ……お疲れ様です……。――あれ? 寒気が収まった?」
「本当! さっきのメイドさんが掃除したこの空間……。さっきまで見えてた黒い影のようなものもないし、なんだか心が洗われるような感覚もするし……」
お掃除が終わったら、私は台車を押しながら、その場を離れて行った。
去り際に聞いた生徒達の話から、お掃除の効果があったことが伺える。
――今のは完璧な流れだった。
人々の邪魔をすることなく、颯爽とお掃除を終える。
場の空気と一体化し、私自身が人々の空気を遮らないようにお掃除を終わらせる。
ファブリ様のお掃除をした時にした失敗。
"報連相"不足もあったが、私が落ち着いて行動できなかったのが最大の要因だ。
シスター・マリアックにも言われた通り、『失敗を次に活かし、同じ失敗をしない』こと。
これを忘れてしまっては、私は<清掃用務員>たりえない。
「あら? あなたは確か、ココラル・ファインズさんの従者さんだったわね? 学園内のお掃除をしてくださっているのですか?」
私がお掃除を続けていると、前方から眼鏡をかけた大人の女性がやって来た。
この方は確か、ココラルお嬢様の通っている、勇者科の担任だ。
大きな書類の山を抱えており、そのせいで前も良く見えていないのだろうか。
周囲の"汚れ"に気付いている様子がない。
「お疲れ様です。お仕事、大変そうですね」
「いえいえ。進んで学園内のお掃除をしてくださっているメイドさんの方が、大変そうでしょうし―― あら~!?」
私も<清掃用務員>の嗜みとして挨拶を返していると、突如としてアクシデント発生。
担任の先生は足元にある"汚れ"に気付かず、足を滑らせてしまった。
――ここで私の"静"の清掃魂が活きる。
モップを一度台車に立てかけ、担任の先生がばら撒いてしまった書類を素早く空中で拾い集める。
集めた書類を右手に乗せたら、バランスを崩した担任の先生を左手で優しく抱え込む。
「担任の先生様。お仕事を頑張るのもよろしいですが、安全こそが第一です。一度に多くの書類を運ぶのは視界的にも大変危険ですので、おやめになった方がよろしいかと」
「あぁ……は、はいぃ……。あ、ありがとうございますぅ……」
そして抱え込んだ担任の先生の顔を覗き込みながら、私はできる限り優しく言葉をかける。
私は笑顔が苦手だが、それでもできうる限り柔らかく声を発する。
私の中でのお手本たる、シスター・マリアックをイメージしながらやってみたのだが、やはり難しい。
担任の先生は顔を赤らめながら恥ずかしがっている。
――私は安心してほしかったのに、彼女の動悸は激しい。
<アサシン>スキルの『命の流れを視る』能力で、そのことがよく分かる。
――どうやら、私もこの世界では<清掃用務員>としてまだまだのようだ。
それでも今はお掃除が優先。
私は担任の先生の態勢を安全に戻すと、持っていたプリントを彼女に返した。
「それでは、私はこれで失礼します。次のお掃除がありますので」
「は……はいぃ……」
プリントを受け取って呆然と私を見る担任の先生だったが、私にはまだ役目がある。
彼女もひとまずは大丈夫そうなので、私は台車を押しながら次の戦場へと向かった。
「な……何かしら……この胸の高鳴りは……!?」
――ただ去り際に聞こえた担任の先生の言葉から、私は安心を覚えた。
きっと彼女の動悸の原因は、お掃除で辺りの"汚れ"が落ちたことによる、感動に近いのだろう。
そう。彼女も共感したであろう、これこそが清掃魂。
人々の生活を守る、<清掃用務員>の魂というものだ。
ついでに"汚れ"以外のものも堕としました。




