9.椅子はひとつ
ひょっとしたら出てくるかな、と思った幽霊は、午後十一時半を回っても現れなかった。
そして夜、ベッドに横たわっていた優菜は、再びあの謎が気になっていた。
その答えは、意外なところからもたらされた。
優菜の手の中にあったスマートフォンが、ほとんど回答といってもいい、ヒントを与えてくれた。
優菜が打ち込んだのは、たった二つのワードだった。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』『椅子』
なにか出てくるかな、と思って検索した検索結果のトップには、こう表示されていた。
『英語のことわざ。fall between two stools.』
その検索結果を見つめながら、優菜はつぶやいた。
「フォールビ。……フォール・ビトウィーン・トゥー・ストゥウルス」
その意味も、同じページに書いてあった。
『直訳:椅子と椅子の間に落ちる』
『意味としては、二兎を追うのは一兎も得ず、と同じ』
スマートフォンの画面を消してから、優菜はベッドから這い出してきた。
そしてあの、アンティークの椅子の前に立ち、見下ろす。
そういえば、幽霊の恋人は、ハーフだったといっていた。
だったら、英語のことわざを知っていても不思議じゃない。
二つの椅子の間に落ちる。
二つの椅子を追っていては、一つの椅子にも座れない。
ことわざの意味はそういうことだ。
そして男は、恋人を亡くしたときは、一途だった。
かつては浮名を流していたが、そのときはもう、たった一人を選んでいた。
『椅子はひとつ。そう、俺は、お前にだけ夢中だったんだ』
男の声がよみがえる。
たった一つだけの椅子。
それはつまり、座ろうと思えば座れる、ということだ。
もう一つの椅子を追わない限り。
そして、男はもう一つの椅子など、望んでいなかった。
「つまり、イエスってことだよな」
あのとき聞いた幽霊の口調の真似をしながら、優菜はそうつぶやいた。
それから、優菜は椅子に腰を下ろした。
「そう、きっと、そうだよ」
そう口に出し、椅子の背もたれに体重をあずける。
この椅子の謎を解いたあの人はきっと、天国で、愛する人と結ばれたんだろうな。
そんなことを考えながら、深夜の自室で一人、優菜は微笑んでいた。




