(5) 風さん
すみません。設定を少し変えました。
“風さん”しゃべりません。
おばば様に“力持ち魔法”と“洗濯の魔法”のことを話したら、「聞いたことも無い魔法だ」と首をひねっていた。
そして、カリンが洗濯の仕事が好きだと言うと、洗濯や掃除をしてお給金をもらえる仕事も有ると教えてくれた。
「小間使いだね。侍女と違って、ご主人様の身の回りの世話よりも、洗濯や掃除なんかの下働きをする仕事だよ。お城の小間使いなんかになったら、きっと洗濯物も掃除する場所も山ほど有って、毎日洗濯と掃除に明け暮れるんだろうね」
おばば様はそう言って、うんざりしたような顔をした。
(小間使い……良いかもしれない。けど……)
「王都のお城……か」
少なくとも、今のカリンにとってはあまり近づきたくない場所だ。
水をお湯にする魔法については、その後も試行錯誤を続けていたが、なかなか良い考えが浮かばない。
少しめまいを感じて、魔力を使い過ぎたことに気づいたカリンは、井戸の脇に椅子代わりに置いてある大きな石に腰かけた。
(あきらめて、魔法学院で教えてもらうまで我慢するしか無いのかしら?)
でもここまでが上手くいっていただけに、あきらめるのも悔しい。
うーんと唸っていると、近くで魔力が動く気配がした。
「風さん?」
思わず口に出してつぶやいてしまってから、カリンはそっと周りを見回した。
すぐそばに、まるで小さな光る風のような、普通の目には見えない魔力の塊がいた。
いつも、まるで野生の動物のように、少し離れた所からカリンの様子をうかがっていて、カリンがそちらを見ると、すぐに逃げて行ってしまう。でも気がつくといつのまにかそばにいるのだ。
この不思議な存在のことを、カリンは“風さん”と呼んでいた。
カリンがじっと観察していると、風さんはしばらくふわふわとただよい、溶けるように消えていった。
◇◆◇◆◇
カリンの魔力感知のレベルが7になった時、カリンの世界は変わった。
それまで見えなかった、感じなかった様々なものを感じとることができるようになったのだ。
人の魔力は、その人の感情の動きや健康状態まで伝えてくる。
物に残った残留魔力まで読み取れる。小さな動物や鳥や虫、草や木まで、個体ごとの魔力の違いがわかる。
感知できる範囲も一気に広がった。突然襲ってきた情報の氾濫に、カリンの頭と体が悲鳴を上げた。大量の情報を受けとめられない。
激しい頭痛とめまいに倒れそうになった時、助けてくれたのが風さんだった。
急に音が聞こえなくなったような気がした。
静かになった自分と自分の周りを確認して、音ではなく周囲からの魔力の情報が遮られたのだと気づいた。
酷かった頭痛とめまいがかなり楽になっていた。
(何が起きたんだろう?)
周りを確認してみると、自分の周囲が薄い魔力の壁のような物で完全に囲まれている。そして、その壁には感情というか、意識のようなものがあるように感じられる。
(この壁、生きてるの?)
最初は魔物なのかと思った。
おばば様の話に出てきた、風の中を漂う魔物は、たしかゴーストと言うのだったか。
(あの時はおばば様の怖い話に引き込まれて泣き出す子供たちがたくさんいて大変だった。ニールも涙目になっていたわね)
しかし、ゴーストという魔物は出現する場所がかなり限定されていて、こんな昼間の村の中には出てこない魔物だったはずだ。それにこの壁の持つ魔力は魔物のものだとは思えなかった。
自分に対する敵意も感じられない。
壁から温かい魔力を感じる。おばば様や村長さんやヘレンから感じるものによく似ている。でも、1番似ているのは……。
カリンはペンダントを握りしめていた。このペンダントにどこか似た温かさをこの壁から感じるのだ。
(私の敵ではない。というより助けてくれたのよね)
今はまず、あの頭痛とめまいを自分でどうにかすることを考えなくてはならない。
それが出来なければ、ずっとこの壁の中にいなければならない。いや、この壁もいつまでここにいてくれるかわからない。
スキルボードを見てみると、魔力感知のレベルが7。魔力操作のレベルは3だった。
(今回、初めて魔力感知と魔力操作のレベル差が4つになったということね。魔力操作のレベルを上げれば良いのかしら)
でも、それは今すぐに出来ることではない。それなら、今出来ることは?
(この壁と同じような物を、自分で作ることが出来れば良いんじゃないかしら)
魔力の壁――――は無理でも、膜なら……。
カリンは自分の体全体を薄く魔力の膜で覆ってみた。
「よし。心の準備も出来たわ。少し離れてもらっても良い?」
壁(?)は返事をするように1度フワッと光ると溶けるようにすうっと消えた。そのとたんにまた一気に押し寄せる情報の波にカリンは打ちのめされる。
(1度にたくさん入って来ないでっ。さっきの壁みたいになれっ!)
頭痛と戦いながら魔力の膜に念じていると、無意識に握りしめたペンダントが温かくなった。
(あなたも私を助けてくれるの?)
必死に念じていると、ものすごく大きな音が少しずつ小さくなっていくように、入ってくる情報の量が少しずつ減っていった。
(もう大丈夫……かしら?)
頭痛もめまいも感じないところまで情報量を減らすことに成功すると、カリンはほっとため息をついた。
スキルボードを確認すると、いつのまにか魔力操作のレベルが4になっている。
周囲を見回すと、少し離れたところに、さっきの壁と同じ魔力の塊が心配そうにふわふわと漂っていた。
「助けてくれてありがとう」
カリンがお礼を言うと、フワッと光って、すうっと消えていった。
(壁……というより風みたいね)
カリンが“風さん”と呼ぶようになった、その不思議な存在は、それ以降、気がつくとカリンの近くにいるようになったが、すぐそばまで寄ってくることはなかった。
◇◆◇◆◇
その後、カリンの魔力の膜はまだ不安定で、カリンは今まで以上に人がたくさんいるところを避けて、村はずれのおばば様の家に入り浸るようになった。
そして、風さんの正体は謎のままだが、なんだか最近は人に懐くようになった森の動物のようで、かわいいと感じるようになっていた。
さて、苦労していた“水をお湯にする魔法”だが、その後、じつにあっさり解決してしまった。
「このお水をお湯にしてください」と念じてみたのだ。
すると、苦労したのが嘘のように、水の温度はどんどん上がっていって――――。
「あちっ」
あっという間に手を入れていられないぐらいの熱湯になってしまった。
魔力がカリンのお願いを聞いてくれた。
そういえば、単純に“お湯にして”とは願ってなかったような気がする。
(お願いを聞いてくれる。……私の中の魔力って、もしかしたら私とは別の“生き物”なの?)
この時、カリンは初めて、魔力というものについて深く考え始めたのだった。