(31)研究所の開かずの部屋
王宮魔術研究所の一番奥の廊下の突き当たり。そこには何も無かった。置物も絵画も飾られていない、ただ壁が有るだけの殺風景な場所。
ここがハーレイ・マーキスの研究室の入り口であるという。
夜が明けて翌日の午後。昨夜のメンバー、学院長とパットとジャックとカリンは王宮魔術研究所を訪ねていた。全員昨夜とほとんど変わらない服装だ。パットは黒いシンプルなドレスに黒いローブ。まるで魔術師見習いのようだ。
研究所の長い廊下を歩いている間、誰にも出会わなかった。研究員はそれぞれの研究室に籠りがちであまり外には出てこないそうだ。
ハーレイの研究室は、行方不明事件以降は誰も使っていない。開かずの部屋と呼ばれている。
「始めてくれ」
学院長の声を合図に、男たちが突き当たりの壁をはがし始めた。どうやら部屋のドアを分厚い板の壁で隠していたようだ。
(意外ね。魔法の研究所だから、指輪みたいに魔法で扉を見えなくする――とか、結界で入れなくする――とかの方法で隠していると思っていたわ)――――チッカ
学院長がカリンの顔を見て、苦笑いをしていた。
「ここには魔術師がたくさんいるので、魔法で封鎖していると、何かの間違いで突破されてしまう可能性が有るのですよ。案外、この方が安全なのです」
壁が撤去されると、廊下の途中にいくつもあったのと同じ扉が現れた。
作業員たちは、壁をばらして、手分けして持って行った。
部屋の中には何も無かった。学院長とジャックの魔法の灯りに照らされた部屋の中は、何らかの魔法で状態保存されていたのか、塵1つ無く綺麗なままだった。家具も何も無いガランとした部屋だ。
「これじゃあ、『じつは、机の下に隠し階段が!』とか、『本棚をずらしたら隠し部屋が!』なんてことも無さそうだね……」
パットの少し残念そうな様子に、学院長が穏やかに笑う。
「そうですね。なにしろ、人が1人行方不明になっていますからね。当時も徹底的にこの部屋を調査したようです。少なくとも、ここには隠し階段も隠し部屋も無いようですよ」
「だったらやっぱり、普通に外に出ていったのかな?」
あの廊下を誰にも会わずに外に出るのは、そんなに難しいことでも無さそうだ。
「建物全体に結界が張られているのですよ。出入り口からでも、窓からでも、出入りする者は全て記録されます。ここでは、重要な研究もされていますからね。もちろん、他の部屋にも秘密の抜け穴などは無かったそうですよ」
パットはうーんと唸った。
「だったらあとは、空間魔法がらみとしか考えられないよね。ジャック――――どう?」
ジャックは部屋の中をあちこち眺め、部屋の中心で目を閉じてしばらくたたずみ、やがて首を横に振った。
「わからない。転移魔法の痕跡は無い。もっとも、100年後の今、残っているとは思えない」
ジャックの声は初めて聞いた。まだ若い、少し高めの少年の声だった。
カリンは部屋の中に入らず出入り口のところで様子を見ていた。研究所に入ってから指輪が妙におとなしいのが気になる。
行方不明になって100年。それは、この指輪がご主人様の帰りを待ち続けた年月だ。
人の寿命を考えると、多分もう再会することはできないと、指輪はちゃんと理解できているだろうか?
カリンは指輪を右手の指でそっとなでた。
――――チリーン……リーン……
風鈴のような澄んだ音が聞こえたような気がした。
――――ピコッ!――――ピコッ!
指輪が反応しているということは、(気のせいでは無いということよね)――――チカッ!
他の3人の様子を見ると、何の反応も無い。
(どうやら物の魔力の音は、聞こえ易い人と聞こえ難い人がいるみたいね)――――チカッ
(指輪さん、私はどうすれば良いのかしら。部屋に入れと言われた気がするのだけど)――――ピコッ!
どうやら合っているようだ。
「……あの。入っても、良いですか?」
「指輪が何か言ってるの?」
パットはカリンと指輪のやり取りにとても興味が有るようだ。
「指輪では無く……、部屋の中から音が聞こえたの……です」
「音?」
3人がカリンを見る。3人とも魔力の量が多いので、視線を向けられると怖い。これが威圧感というものなのだろうか。
「大丈夫ですか?」
パットはカリンに何やら期待するような目を向けてくるが、学院長は少し心配そうだ。カリンも怖いが、指輪が1人で行けないならカリンが一緒に行くしかないだろう。
カリンはおそるおそる足を部屋の中に1歩踏み込んだが何も起きない。
(音が聞こえたのは部屋の真ん中あたりかしら?)――――ピコッ!――――チカッ
――ピコッ!――ピコッ!――ピコッ!――ピコッ!
部屋の真ん中はこのあたりか――と思った時、いきなり指輪が激しく反応した。
何の飾りも無い、ただの銀色の指輪に金色の光の線が走り、複雑な模様を形作る。
――――リーン……チリーン……
光はどんどん強くなる。(指輪だけの光じゃないわ)カリンが上を見上げると、天井に光の模様が丸く輝いていた。
「魔法陣?」
「何も感じなかったのに……」
「カリンッ!」
部屋は眩しい光に包まれた。
◇◆◇◆◇
どうやら自分はよくよく甘い人間であるらしい。
――――出来損ない。はずれ。恥さらし。
家にいた頃は、さんざんに罵られていたが、本当のことだと我慢するしかなかった。
15歳で跡取りから外された時は、嬉しかった。
弟は勝ち誇ったような顔で私を馬鹿にしていたが、すがすがしい開放感で弟の嫌味も気にならなかった。
魔法学院の学費も生活費も自力でなんとかしているので、もう家に戻る必要も無い。跡取りは弟がいるので問題無い。
もう自分が実家に関わることは無いだろう。
そう思っていたのだが…………。
会いたいという弟からの伝言で久しぶりに実家を訪れた。
たいした用事でもなかったのですぐに帰ったが、――――お茶に毒が入っていたらしい。遅効性の毒だ。
私は弟にここまで恨まれていたのだろうか。そういえば弟は王弟派だったな。
転移魔法の魔法陣の試作のことが漏れたのか。助手の1人が急に辞めたが、顔色が悪かったな。もっと話を聞いてやれば良かった。
弟が何を考えているのかなどには興味は無いが……。
――――残念ね。とっっても残念だわ。せめて完成した魔法の鞄を見たかったのに!
あれは殿下の嫁入りが決まった時だな。
――――今はまだ無理ね。でも、いつか2つの国がもっと平和になったら、あちらの国でも空間魔法を使った魔道具が普通に手に入るようになるわ。
――――その時は、完成した鞄を送ってちょうだい。いいこと、ハーレイ。他の女の子にあげたりしたら、私、許しませんからね!
うっすらと笑みが漏れる。
(そうですね、殿下。魔法の鞄も転移魔法の魔法陣も、奴等にこのまま渡したくはありませんね)
発明品が戦争の道具になるのは仕方がないことだ。それは納得している。だが、戦争を始めようとする人間に利用されるのは不本意だ。
このまま全てを持って隠れても良いが……。殿下がこの国に戻られることはまず無いだろうが、手がかりだけは残しておくか…………。指輪を覆う結界は100年もてば良い。その頃には王弟も弟ももういない。さて、ここはその頃どんな国になっていることか――――頼みましたよ、陛下。
姫が「お父様は今日も胃が痛いのですって」と心配していた国王の青白い顔を思い浮かべ、ハーレイは少しばかり申し訳なく思った。




