(18)面倒な落とし物(その2)
動物か魔物の子供が親とはぐれて鳴いているのかと思った。
腕輪の魔力の瞬きは、迷子の泣き声を思い出させた。――――迷子?
小さな村に迷子なんて…………。
いや、もしかしたら、それは自分自身の記憶だろうか。
1人で森をさ迷った時のことは、はっきり覚えていないのだ。ぼんやりと思い出すあの時の自分は、恐かったのだろうか、悲しかったのだろうか?
思わず近寄り、泣いている腕輪を拾い上げた。
(もう泣かなくても良いわ。私があなたをお家に帰してあげる)
古い腕輪のようだ。良く手入れされて、隅々まで磨かれ、銀色に輝いている。
素材は銀ではない。おそらく稀少な魔法金属。細かい飾りが施され、白い石が1つはめられている。女性の腕を飾る華奢で繊細な作りの美しい腕輪だった。
代々の持ち主の魔力なのだろう。たくさんの魔力の痕跡を微かに感じる。最近の残留魔力は大きいものが3人。小さいものが2人。
大きい方が持ち主の側だろう。まず、高齢の女性。次に若い男性。3人目が若い女性だ。この3人のうちの誰かが腕輪の持ち主なのだろう。
残りの2人は腕輪を捨てた人たちだろうか。若い女性への悪意が感じられる。
そういえば、ライラの噂話の中に腕輪の話があったような気がする。学院の教師が小間使いに結婚を申し込んだという話だった。たしか、その時小間使いに贈られたのが腕輪だったとライラが言っていたと思う。
そんな大切な物なら、きっと無くなって困っているだろう。
カリンはすぐに腕輪をマシューさんのところに持って行った。
◇◆◇◆◇
従僕頭執務室に届けられた“落とし物”のうち、学生や教師の物は学舎の事務室に送られる。事務官は、ここのところ落とし物の返却に大わらわだった。
例年ならば、“落とし物”はまず見つからないので、落とし主は泣き寝入りするしか無いのだが、今年に限って、異常なぐらいに返ってくる物が多い。事務室の事務官全員が仕事に追われながらも首をかしげていた。
事務官は貧乏な下位貴族の次男や三男という苦労人が多いが、なかでも魔法学院の事務官は他の職場を勤めあげたベテランが任命される。
魔法学院には国中から様々な階層の子供たちが集まるため、なかなかに気苦労の多い職場なのである。
今回は、一冊の教科書の落とし物に、持ち主が2人も名乗り出てくるという面倒な事態になっている。
1人は王都の孤児院から来た少女。もう1人は侯爵領の大商会の1人娘だ。しかも、商会の娘は孤児院の少女に教科書を盗まれたと主張している。
2人の話を聞いたラルク事務官としては、感情的な商会の娘の主張よりも、事実のみをたんたんと伝えようとする孤児院の少女の説明の方が納得がいくのだが……。
証拠も無しに、どちらが嘘とも決めつけられない。
こんなことなら、教科書に通し番号でもふって管理しておけば良かったと後悔しても、今の事態の解決には繋がらない。
しかしここで孤児院の少女が、その教科書が自分の物であることを自力で証明してしまった。
その教科書には、じつは、過去の学生たちによる30ページにおよぶ書き込みがされていた。少女は何も見ずに、これを全て暗唱してしまったのだ。それも、誤字にいたるまで一言一句間違いなく。
ラルク事務官は少女の記憶力に驚きを隠せなかった。少女が学院に入学して1か月であるが、この教科書は月終わり頃に配布されたばかりのはず。捨てられるまで2~3日も無かっただろう。それをもう全て覚えてしまったのだと言う。
だが、商会の娘は認めなかった。盗んでから捨てるまでの間に覚えたに違いないと言い出したのだ。
ラルク自身が(この少女ならそんなことも出来るかもしれない)と思ってしまう。少女の非凡な記憶力のためにその可能性を否定できない。
勝ち誇った様子の商会の娘。自分の運命を諦めた様子の孤児院の少女。
王都の孤児院出身の場合、後ろだてとなる貴族がいないのだ。
孤児院には充分な補助金が出ており、生活に不自由はしていないはず。だが、魔法学院に孤児院から通わず、無料の寮に入ることを選ぶ程度には倹約が必要な場所だ。
教科書の弁償をするとなったら、自分が借金を背負うしかないと考えているのだろう。
一方の商会の娘の方は侯爵家の支援で有料の貴族寮に入寮しているという。
ラルクはため息をついた。(あまり気は進まないのだがな)
「やむを得ない。真偽官を呼ぶが、それで良いな?」
ラルクがそう言うと、孤児院の少女は驚いて目を見開き、商会の娘は愕然とした顔になった。
真偽官とはこの国が持つ“真偽の魔道具”を使用することを許された官職である。“真偽の魔道具”は嘘を見抜くことができる魔道具だ。
真偽官の前で嘘をつく事は重罪である。場合によっては、たとえ子供であっても投獄だけでは済まない。
商会の娘は真っ青な顔になり、ついには泣き出した。孤児院の少女に試験で負けて、悔しくてやってしまったと……。
ラルクはもう1度、今度は安堵のため息をついた。本当はこんな些細なことのために、真偽官などを呼べるわけがない。
商会の娘が、ラルクの“はったり”に引っかかる純真な子供で助かった。
孤児院の少女の方は気づいているようだが……。
最後まで取り乱すことの無かった少女を見て、ラルクは妻の顔を思い浮かべる。ラルクは子爵家の三男だったが、長年の事務官としての忠勤により男爵位を許されていた。だが、子供に恵まれず、妻が友人の母娘を羨ましそうに眺める顔をよく目にしていたのだ。
親戚の子を養子にしようかと考えていたが、孤児院の子供を引き取るというのも悪くないかもしれない。この少女なら、妻も気に入るのではないだろうか。
男爵家の養女、そして、この国では初となる女性事務官への道が自分の前に開けたことに、この時、少女はまだ気づくことはできなかった。
少女の記憶力を示すエピソードが微妙だったため、訂正しました。




