13
雅緋の姿に変わった途端、彼女は憔悴したような顔で、ガクリとその場に膝をついた。
その表情から、彼女がかなり疲労していることが感じられた。
「雅緋さん!」
近寄ろうとする雅緋が手で制する。
「来ないで。瑠樺さん」
「どうして?」
「帰りなさい。もうこれ以上、あなたは私に関わるべきじゃない」
「どうしてそんなことを?」
「この女に関わって……ここに閉じ込められて私も自分が何なのかわかったわ。どうして私が沙羅を受け入れることが出来たのかも」
悔しそうな口調で雅緋は言った。
「沙羅ちゃんは?」
「まだ、ここにいるわ」
雅緋は胸を押さえながら言った。「かろうじてだけど、まだあの子の気を感じる。このまま吸収されてたまるものですか」
「一緒にここを出ましょう」
「いいえ、出るのはあなた一人だけよ。双葉に関わる人間は死ぬことになる。あなたのお父さんも、美月の一族のふみのさんも、矢塚さんも。私に関わり、私を助けようとして死んでいった。もうこれ以上、誰も犠牲になんてさせない」
ゆっくりと立ち上がるが、その体は力が入らないようで足元がふらついている。雅緋はまだ父のことを信じていてくれる。それが辛かった。
「お父さんなら生きていました」
「生きていた?」
「正確には、沙羅ちゃんのような霊体になって。そして、今回のことを企んだのがお父さんです。ふみのさんが死んだのはお父さんのせいなんです。私は雅緋さんに謝らないといけないんです」
雅緋は一瞬だけ驚いたような顔をした。だがーー
「その必要はないわ。あなたのお父さんは間違ってなんていない。私がこいつらと一緒に消えれば、全てが綺麗に終わるのよ。大丈夫よ。どんなことがあっても、私の全てをかけてもこいつらの思い通りになんてなってやらない。それで終わりにしてみせる」
「そんな終わらせ方、良くありません」
雅緋が投げやりになっているのが感じられる。なんとかして雅緋を助けたかった。
「じゃあ、あなたはどう決着をつけるおつもりなのですか?」
いつの間にか、再び伽音が背後に現れていた。「『魔化』は既に動き出しました。あなたが頼りにしていた音無雅緋もここにいる。あなた、この状況から何が出来ると言うのですか?」
「あなたは黙りなさい!」
雅緋が伽音に向かって飛びかかろうとする。だが、その瞬間、壁から伸びた無数の蔓のようなものが雅緋の手足にからまって自由を奪う。
「乱暴な人ですねぇ。同じ一族なのだから、もう少し穏やかに話しましょう。ここは『魔化』の中なのですよ。そして、今ではあなたとのつながりよりも、私とのつながりのほうが強い。ここで私に勝てると思っているのですか?」
「おまえを殺してやる」
そう言って雅緋が伽音を睨む。
「おっかないですねぇ。あなた、今の自分の立場、わかっていますか? あなたの力なんてもうほとんど残っていないでしょう。それなのにまだ沙羅を守るつもりですか? もう時間の問題です。あなたも沙羅も、この私に、『魔化』に吸収されるだけなのですから」
再び雅緋の身体が周りの壁に飲み込まれはじめる。雅緋はガクリと膝をついて、その場に崩れ落ちた。
「伽音さん、止めてください!」
「あなたまでそんなことを言うのですか? 『魔化』が、そして、『双葉の一族』がなぜ生まれたのか、あなたもそのくらいは聞いているでしょう」
「聞いています。『和彩の一族』が自らのなかの悪しきものを捨てようとした。そのために『双葉の一族』は生まれた」
「そう、『和彩の一族』は自分の中の悪しきものを捨てようとして『双葉の一族』を生んだのです。しかし、本当にそれは成功したと言えるのでしょうか? そもそも『双葉の一族』は悪しき部分ではないのですよ。切り捨てようとしたその心こそが『悪しきもの』なのです」
「和彩の心が……悪しきもの」
「私たちはね、中途半端な一族なのですよ。神になることも出来ず、人に溶けることも出来ず、神の力を持ったままで人になろうとした。強欲な一族なのですよ。私はね、『魔化』はね、そこから生まれた悪しき者なのですよ」
淡々とした口調だった。それでも、その口調の中に伽音の一族への歪んだ想いが伝わってくる気がする。
「伽音さん、ごめんなさい」
「私に謝って何が変わるというのですか? それで罪が消えると思っているのですか?」
「いえ、そういう意味じゃないんです。あなたが言うことはわかります。でも……だから何なのですか?」
「え?」
伽音は狐につままれたような表情をした。
「立花様にもその話は聞きました。驚きました。驚いたけれど、でも、一方で……すごく小さなことのようにも思えるんです
「小さい?」
「そもそも妖かしの一族そのものが小さいじゃありませんか。妖かしとか、人とか、魔化とか。良いとか悪いとか……それぞれがそんなに違いがあるものでもないでしょう」
「同じだとでも?」
「そりゃあ全てが同じだというつもりはありません。でも人から妖かしに変わった人も見てきました。皆、ほんのちっちゃな思いから妖かしに変わってしまうことがあるんです。人を好きになったり、裏切られたり、人を愛したり、守りたいと思ったり。そんなことで妖かしになってしまうものなんです。それは皆に気持ちが、感情があるからでしょ。それなら、妖かしも人も同じじゃありませんか。あなたが『魔化』だというのなら、『魔化』にも感情がある。それなら『魔化』だって同じじゃありませんか」
「極論も大概にしてほしいですね」
「確かに極論かもしれません。でも、それが私にとって正直な気持ちです。そして、私の願いは一つだけ。伽音さん、お願いです。雅緋さんを返して。草薙君をしてください」
「それって願いが二つになっているじゃありませんか」
「あ、沙羅ちゃんも」
「三つになりましたね。そもそもその三人を助けてどうするんですか? 『魔化』が目覚めれば、この世がどうなるかわからないのですよ」
「それはまたその後で考えます」
「行き当たりばったりですか、あなた」
「悪いけど、私はそんなに頭が良くないの。器用でもないの。いろんなことを考えて、いろんなことに対応することなんて出来ないの。だから、今は雅緋さんと草薙君を助けることが最優先なの」
「本気で言っているのですか?」
「もちろんです」
伽音は少し間をあけて、小さく笑った。
「ハハ、驚きですねぇ。あなた、今、地上で何が起きているかわかっていないのですか? 『魔化』がここにいるからといって安心しているのですか? 『魔化』が振りまく邪気は、地上へ流れ出ているのですよ。そして、邪気はそのまま妖かしとなる。きっと、多くの人が死ぬことになる。それなのに、あなたはお友達を助けると? 素晴らしいですねぇ、結局、人は私怨、私欲でしか動けない」
「そうです。それこそ私がやらなければいけない最初の一つです」
すぐに瑠樺は答えた。すでに迷いはなかった。
「ではお聞きしましょう。『魔化』のことは? 私のことはどう決着をつけるのですか?」
「それは……浄化します」
「なるほど、やっぱりあなたも私たちを消し去るつもりですか? そんなことが出来ると思っているのですか?」
瑠樺は首を振った。
「いいえ、浄化するのは『魔化』の中に集まった『負の感情』です」
「負の感情? だから、それこそが『魔化』であり、私なのですよ」
「本当にそう思っているんですか? 伽音さん、あなたは不思議だと思いませんか?」
「何をですか?」
「さっき、あなたは『和彩』が『双葉』を切り離そうとしたことが悪しきことだったと言いました。でも、それって本当でしょうか?」
「あなたはそれが正しいことだと言うのですか?」
「わからないです」
「はぁ? あなたは何を言っているのです?」
「私もそれを最初に聞いた時、和彩は大きな罪を犯したのだと感じました。でも、本当にそんな悪いことをしたんでしょうか? そもそも『和彩』は本当に悪しきものとして『双葉』を切り離そうとしたんでしょうか? もっとちゃんと意味のある行動だったんじゃないでしょうか?」
「意味がある?」
「私たちは皆、誤解していたんじゃありませんか? 『大いなる力』から『和彩』となった初代の意思はそんなものじゃなかったのかもしれない」
「じゃあ、何のために?」
「もともとこの世の『妖かし』も、『魔化』という存在も、全てはこの人の世の『負の感情』を浄化させるためのシステムだったとは思えませんか?」
「システム?」
「人間にはどうしても恨みや妬み、呪いのような『負の感情』があります。その『負の感情』を妖かしが存在することで受け止める。妖かしに受け止められない感情を『魔化』が受け入れる。そして、それがいっぱいになって受け入れられなくなった時には浄化させる。はじめからそういうシステムとして存在しているんじゃないでしょうか。だから、『魔化』は決して不要なものなんかじゃありません」
伽音は少し驚いたような顔をした。彼女がこんな表情を見せるのは初めてのことだ。
「全てを正当化するのですか。この私たちでさえも。でも、どうやって? あなたにその力があるというのですか? 言っておきますが、私に出来ることは呪いをふりまくことだけです」
「伽音さんは本当にそう思っているんですか? 本当に呪いをふりまいていると思っているんですか?」
「他に何があるというのですか? 和彩、双葉、魔化、久遠……すべての呪いのもとではありませんか」
今、伽音の顔には作られたような笑みはなかった。伽音の真剣な眼差しが瑠樺を見つめる。その瞳の向こうに何かが見えた気がした。
「ああ……そうか」
「どうしました?」
「あなたが誰なのか……やっとわかった気がします」
「え?」
「あなたが憎んでいるもの。あなたが恨んでいるもの。そして、あなたがその身に奪い返したいもの。あなたは実は『魔化』のことをよくわかっていない。あなたが望んでいるものはとても大きく、とても小さい」
「いい加減にしませんか。あなた、何か勘違いしているんじゃありませんか?」
それは初めて見せる焦りの感情だった。
「ねえ、感じませんか?」
瑠樺はそっと話しかけた。
「何を?」
「神巫女の儀式ですよ。我々にとって、『不死鳥』である茉莉の神巫女の存在を忘れてはいけません。彼女に身を任せるんです」
「身をって」
「伽音さん、怖がらないでください」
「私が何を怖がっていると言うのです?」
「あなたはあなたの存在を怖がっているんでしょう」
「……」
瑠樺は倒れている雅緋へ向かって声をかけた。
「雅緋さん、思い出してください。以前、あなたが『妖夢』を相手にやったことを。あれこそが『双葉の一族』の力。あなたは『不死鳥』の力を扱うことが出来るはずです」
その声に雅緋は顔をあげた。
「瑠樺さん……あなた、この私に『魔化』がこれまで溜め込んだものを浄化しろというの? 私、こんなにボロボロなのよ」
「でも、それが雅緋さんの仕事です」
「あなたって見かけによらず人使いが荒いのね」
弱々しいが、それでも雅緋は笑ってみせた。
「でも、やってくれるでしょ?」
「……仕方ないわね」
雅緋が右手を高く差し出す。
その瞬間――
光が全てを包み込んだ。




