12
落ちていく。
飛び込んですぐに、狭い井戸の中が、突然、大きく広がって空洞となった。
すでに地上の光は届かない闇の世界だ。その中で瑠樺はまっすぐにさらにその奥へと視線を向ける。
まだ底は見えてこない。
いったいどこまで落下していくのだろう。
少しだけ不安が過った時――
やがて、その瑠樺の動きに逆らう気の流れが現れた。
『魔化』だ。
その禍々しい気が下のほうからせり上がってくる。
闇の気が、その奥から湧き上がってきて、瑠樺の落下の力を止める。いや、まるで瑠樺を押し返そうとしているかのような力だ。
全身に力をためこみ、そして、一気にその流れに逆らう。
(この向こうにーー)
『魔化』がいる。そして、同時にそこには雅緋がいるはずだ。
ハッキリとそれを感じ取れる。
(今行くから)
瑠樺は力をこめて手を伸ばす。
黒い闇が、強い邪気が瑠樺を包み込んでいく。
瑠樺が気づいた時、そこは薄暗い穴の中だった。
周囲の壁から青白い光が発光しているのが見える。
瑠樺はゆっくりと身体を起こした。
「やあ、瑠樺さん。お気づきになりましたか?」
その声は双葉伽音のものだった。
「ここは?」
「『魔化』の体内ですよ。単身突っ込んでくるなんて、まったく無茶をなさいますねえ。高密集度の『魔化』が放つ邪気に当たって、あなたは気を失っていたのですよ」
「あなたが助けてくれたの?」
「助ける? まさか、私はただ見ていただけです。あなたが目覚めたのはあなた自身の力ですよ。たいしたものです。普通なら、そのまま死んでいてもおかしくないのに。さすが『和彩』の一族と言ったところでしょうか」
「殺そうとはしなかったんですね」
「そうして欲しかったですか?」
「雅緋さんはどこ?」
瑠樺はそう言って周囲を見回した。自分と伽音、それ以外の気を感じない。だが、この中に間違いなく雅緋はいるはずだ。
「おやおや、いきなりお友達の心配ですか? まずはご自分の心配をしたらいかがですか? ここは『魔化』の中なのですよ。つまり、あなたの存在は『魔化』に溶けたということですよ」
「脅かしているつもり? そんな心配いりません」
「どうして?」
「私は私の意思でここに来ました。そして、今も私の意思で話しています。それは私がまだ『魔化』に溶けていないということです」
「皆、そう思うのですよ。しかし、その判断はどうなのでしょう? あなたという存在が『魔化』に溶けたうえでそんなふうに思い込んでいるのではありませんか?」
「もし、私が溶けているなら、あなたもただでは済まないわ」
「なんですって?」
瑠樺はその手の中に羽を作ってみせた。
「これが何かわかりますか? 『終わりの民』と呼ばれる『八鶴の一族』の血です」
「……」
「理解出来たみたいですね。私の体には今、これと同じものが無数に用意されています。私があなたに溶けることがあれば、あなたにも影響があります」
「なるほど、どうやって『魔化』の外壁を突破したのかと思ったら、そういうことでしたか。それならば『八鶴』に任せれば良かったものを」
「いえ、これは『和彩』がやらなければいけないことです。私の務めです」
「おやおや、格好良いですねぇ。私を殺す手段を見つけたということですね。覚悟はできているということですね。あなたもやはり一族を選んだのですね。では、やりましょうか? この世界の全てが燃えて消えるような戦いを。1400年前の戦いの続きを」
その真っ黒な瞳で伽音が瑠樺を見つめる。
「いいえ、これはただの一族の縛りです」
「縛り?」
「一族の中の縛り。でも、これって紳士協定のようなものですよね。確かにこの血はあなたに影響を与える。でも、あなたを殺すほどの力はない」
「あなた、何が言いたいのですか? 私と戦うのではないのですか?」
「いいえ、私はそんなことをしたくてここに来たわけじゃありません」
「じゃあ、何をしに来られたんです? 他に何か手があるとでも? 私を説得するなんてバカなことを言うんじゃないでしょうね。私……いえ、『魔化』はそんな存在ではありませんよ」
「伽音さん、あなたは何をするつもりですか?」
「おやおや、あなたらしくない。バカな質問ですね。私は私であるだけですよ。そして、『魔化』は『魔化』として動き出す。それだけのことです」
「それ……だけ?」
「おや? 何を考えているのですか?」
「雅緋さんはどこにいるんですか?」
「ああ、そうでしたね。あなたは音無雅緋に会いに来られたんですね。それがそれなら目の間にいるじゃありませんか」
そう言って伽音は手を広げてみせた。
「あなたは双葉伽音さんでしょう」
「同じことですよ。私は双葉伽音であり、音無雅緋であり、魔化である。これらはもともと全て同じ一つから生まれたのです。おっと、呉明沙羅のことも忘れてはいけませんね」
「いいえ、どんなに元が一つであったとしても、一度、新しい命として生まれたからは別の存在です。あなたと雅緋さんは違います。そして、あなただって『魔化』とは違う」
「そうですか。こんな私に対しても、人格なんてものを見出していただけるのですね。あなたはやはりお優しい。けれど、その気持が何だというのです? 結局は『魔化』という危険な存在を消し去りたいだけなのでしょう。それはつまり私や音無雅緋を消し去るのと同等なのですよ」
「雅緋さんはどこなの?」
改めて瑠樺は訊いた。
「会いたいですか? 音無雅緋に。あなたのお友達に」
まるで試すかのように伽音は言った。
「ええ、会いたいです」
「いいでしょう。お会いなさい。会って言いなさい。『今からあなたを殺します』と」
「そんなことを言う必要はありません」
「では、何を話すのですか?」
「早く雅緋さんを出して」
「わかりました。ちょっとの間だけ変わってあげますよ」
「変わる?」
伽音であった者の輪郭がボヤけていく。そして、伽音であったそこに雅緋が姿を現した。




