10
「西ノ宮……あ、いえ、『宮家』のほうは?」
さっき辰巳が言っていたことが気になっていた。『西ノ宮』が辰巳の影響を受けているのだとすれば、今、『西ノ宮』が何をしているのかを知らなければいけない。
その瑠樺の意図を、すぐに八千流は汲み取った。
「それなら大丈夫です。向こうのことは火輪がうまく動いてくれているはずです。あの人……いや、あなたのお父様が京を離れてくれたので、朱雀家として玄武と協力して青龍の説得に動くことが出来ました。頭領も馬鹿ではありません。任せておけばきっと大丈夫です」
「ご迷惑をおかけしてしまったようですね」
「とんでもない。これは私にとっても使命です。それにあなたのお父様は、間違ったことをしようとしたわけではありません。少し間違った方法をとったかもしれない……ということです。決して、それを責めてはいけません」
背は小さいが、大人の言葉だった。
「おい、八千流と言ったな」
と背後から立花が声をかける。「そろそろそちらの雑談は終わったか?」
「ええ、その姿は『立花の婆さま』ですね」
八千流は立花のほうを振り返った。
「そうだ。よく知っているな」
「栢野から報告を受けていましたから」
そう言って八千流は胸を張る。さすがの八千流も、10才である立花に比べると少しだけ大人びて見える……が、それでも奇妙な光景だ。
「瑠樺さん、今、何考えてます?」
横目で八千流が瑠樺を睨む。
「え? いえ、何も。まさか『八鶴』って心を読む力があるんですか?」
「まさか、そんなものはありません。ただ、なんとなく変な視線を感じたような気がしただけです」
「はあ……」
「おい、娘」
と立花が再び八千流に声をかける。「今の話、私も聞かせてもらった。おまえたち一条が八鶴だったとはな。私も驚いた」
「そういえば、立花の一族は『八鶴』が一条家であることを知らなかったのですか?」
「知らなかった」
瑠樺の問いかけに、当たり前のように立花は答えた。「知っていれば一条との付き合い方も変わったろうな。前にも言ったが、八鶴は人間に近い。そして、遥か昔、この世に生まれて間もなく陸奥を離れた。その後のことなど私は知らない。私が知らなくても何もおかしいことなどない。そんなことよりおまえには聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「まずは春影のところへ来い」
そう言って立花は立ち上がった。そしてーー「おい、和彩の娘。結界を移動しろ」
* * *
一条春影はまだ当然、自由に身動き出来る身体ではなかったが、九頭竜の術者や医者の働きもあって、起き上がっても大丈夫な程度には回復していた。
それでも今はまだ全身を包む包帯が痛々しい。
春影は八千流の帰りを喜び、少しの間、親子二人で話し込んだ。
もちろん立花は瑠樺たちを急かしたが、瑠樺たちはわざと春影親子の時間を作ってから、立花のための結界を張った。
立花が結界の中に座るのを待って、春影が口を開いた。
「立花様、私たち親子に何か?」
「さっき、娘から聞いた。おまえたちは『八鶴の一族』なのだそうだな」
「そのようですね。私も今聞いたばかりで驚きました」
穏やかな口調で春影は答えた。まだ声は弱々しいが、それでも普通に会話出来るくらいには回復しているようだ。
「つまり、おまえも知らなかったということか」
「そうです。まさか私が『妖かしの一族』とは思いませんでした。おそらくは私だけではなく、代々の一条家の当主の多くはそれを知らなかったと思います」
「なぜそう思う?」
「私たちに残されたものの中にそれを示すものなど『隠し名』以外には何もありませんでした。今回、八千流が見つけたものも、『西ノ宮』に残されていた最も古く極僅かな書物のみだったそうです。『八鶴』は昔から妖かしの力が薄いものだったと聞いています。その中で、八千流だけはわずかに妖かしの力が強く出たために、今回のことに気づくことになりました」
「そのおまえたちが一条としてこの地に戻ってくるとは皮肉な偶然だな」
「いいえ、これは必然というべきでしょう」と八千流が答える。
「必然だと?」
「ええ、私たちは運命によってこの地に再び招き寄せられたのです。この地が私達を必要としていると考えるべきでしょう」
そんな八千流を立花は冷たく見つめーー
「偶然でも必然でも、どちらでも私には同じことだ。つまり、おまえたちは『終わりの民』ということだな」
「終わり?」
瑠樺と八千流は声を合わせて聞き返した。
「和彩は『はじまりの民』、そして、八鶴は『終わりの民』。昔からそう言われている」
「どうしてそんな呼び名に?」
「和彩については聞く必要はないだろう。八鶴の場合は……これはなぜそう呼ばれるようになったのかは私もよくは知らない」
「知らない?」
再び、瑠樺と八千流が同時に声を出す。
「そう驚くな。私は記憶と力を引き継いでいるが、全知全能というわけではない。知らないものは知らないのだ。『八神家』の最後に生まれた一族という意味かもしれないな」
「でも、『最後』と『終わり』は少しニュアンスが違うような気もします」
「だとしたら……ほとんど妖かしとしての力がない人間に近いものという意味かもしれない。ひょっとしたらもっと重大な意味を持っているのかもしれない」
「それは何ですか?」
「それこそおまえたちの一族のなかで語り継いではいないのか?」
「いえ、別段」
と八千流が即答する。「本当の隠し名でさえ知らなかったのですから」
それに同意するように春影も頷く。
「見るところ、おまえたちはやはり妖かしの気が弱い。確かに八千流のほうは、代々の一条家の中では珍しく強い気を持っているが、それでも他の一族に比べるほどではない。そのおまえたちに特別な力があるようにも見えないのだがな」
立花は、春影と八千流を見比べた。
それについては瑠樺も同じ印象を持っていた。八千流の力は、妖かしの一族の持つ妖力よりも陰陽師としての霊力のほうが強く感じる。
「でも、『終わりの民』と呼ばれているには何かしらの理由があるのではないのですか?」
瑠樺は立花に問いかけた。八千流もその答えを欲するように立花に視線を向ける。
「なぜ私を見る?」
「だって、こういう昔話をするのが立花様のお役目ですよね?」
「昔話? 私は別に昔語りをする老人ではないぞ」
「確かに立花様は老人ではありませんけど……いや、そんな話をしてるわけじゃありませんよ。古い記憶を持っているのは立花様だけなんですから」
「そう言われてもな。八鶴に関する情報は少ない。記憶として残されているものは、ほとんど妖かしとしての力がないということ。八鶴が生まれて間もなくこの地を去ったということくらいだ」
「どうして離れたのでしょうか?」と瑠樺が問いかける。
「知らない」
「知らない?」
「ある日、突然、出ていった」
「何かあったのですか?」
「さあな。何も聞いていない」
「じゃあ、誰かにそそのかされたということはないのですね?」
「なぜそう思う?」
「以前、呉明凛憧さんから聞いたことがあります。この地を離れた呉明林正さんは、矢塚の一族からそそのかされてこの地を離れたそうです。同じようなことが八鶴の一族に対してもあったのでしょうか?」
「八鶴が離れたのは、矢塚がこの地に来る前だ。それに八鶴のことは『西ノ宮』でも知らなかったのだろう?」
「では、あくまでも自分の意思で離れたということでしょうか」
「だから、明確な理由などは知らないと言っているだろう。理由を知っていたとすれば八鶴本人と……和彩くらいか」
「え? 和彩は知っていたのですか?」
「たぶんな。八鶴が姿を消したと聞いても驚かなかったからな」
「立花様はそれを聞かなかったのですか?」
「興味がない」
何の悪気もなく立花は答えた。
「やはり、人間に近い存在だったからではありませんか?」
と八千流が言う。「妖かしの一族としては力のなかった八鶴が、疎外感を持ってこの地を離れたとしても不思議ではない気がしますけど」
「疎外感? そんな感情の話は私にするな。八鶴の気持ちなど私にはわからない」
事実関係だけをメモリーしている立花にとって、当時、八鶴がどのような気持ちでいたかは興味がなさそうだ。
「それ以外に八鶴がこの地を離れる理由など何があるでしょう?」
「でも、私はそうは思えないんです」
瑠樺の言葉に八千流はわずかに驚きの表情を見せた。
「どうしてですか?」
「春影さまや八千流さまを見ているからです」
「私?」
「お二人はもともと陰陽師として、積極的に『妖かしの一族』に関わろうとされています。もしも妖かしの一族から離れたかったとすれば、ここに戻っては来ないでしょう?」
「私たちはずっとそれを知らなかったから」
「じゃあ、今は?」
「今?」
「疎外感がありますか?」
八千流は一度、春影と顔を見合わせてから首を振った。
「いえ、そんなものはありませんよ。そもそもあなたたちはそれぞれがまるで違っているじゃありませんか」
「なら、もともと八鶴が疎外感なんて持つ理由はないじゃありませんか。八鶴が人間に近い……とは言っても、それは一つの特性です。『妖かしの一族』はそれぞれが大きく違っているんですから」
「あ……でも、それは私の話であって、当時の八鶴がどう思ったかわからないじゃありませんか」
「いや、八鶴も今のおまえと同じようなものだ。何かにつけよく出しゃばることが多かったな。何をもって疎外感などというのかはわからないが、八鶴が他の一族に気遣いするようなことはなかったと思うぞ。やはりよく似ている」
立花にそう言われ、八千流は少し複雑な表情をした。祖と似ていると言われるのは、やはり嬉しい気持ちもあるのだろう。
「じゃあ、やっぱり違う線から考えないといけませんね」
「違う線? 何か他に考えられる理由があるんですか?」
八千流は瑠樺に問いかけた。
瑠樺は春影へと視線を向けた。
「春影さま、いまさらですが、なぜ矢塚さんはあなたを襲ったのですか?」
それは以前から気になっていたことだった。これまでは春影の身体の状態を考えて、あのときのことは必要最低限のことだけでほとんど聞いてはこなかった。だが、やはり、矢塚とのことはちゃんと聞いておきたかった。
予想通り、春影は表情を暗くした。春影にとっても、それは決して気分の良い話ではないだろう。
「それは……わかりません。私に頼まれた仕事をしていた結果、ああいうことになったのです。きっと私を恨んでいたのでしょう」
「春影さまが頼んでいたというのは何ですか?」
「それは……あなたも既に聞いていると思いますが、音無雅緋さんと『魔化』との融合です」
そう言ってから、春影は瑠樺に申し訳なさそうに目を伏せた。その春影を八千流が心配そうな顔で見つめている。
「でも、矢塚さんはそれをやっていなかったはずですよね」
「彼はそれでもまだ大丈夫だと言っていました」
「まだ大丈夫?」
「ええ、私はそれを、いずれ雅緋さんとの融合をするものと理解していたのです」
「でも、矢塚さんは最後までそれをしなかった」
「そう……ですね。でも、その結果、あんなことに」
「それならば、矢塚さんが春影さまを恨む理由はないのではないでしょうか?」
「それでも彼の仕事は私が指示したからです」
「矢塚さんはもともと陰陽師として、『魔化』の対抗策を検討していたはずです。春影さまが『西ノ宮』の指示を受けていたことと、矢塚さんの行動は別だったはずです。矢塚さんだってそんなことはわかっていたはずです」
「瑠樺さん、あなたは優しいですね」
春影は瑠樺の言葉を、自分への気遣いと受け止めたようだった。だが、瑠樺には、矢塚がそんなことで春影を恨むとは思えなかった。だとしたら、矢塚が春影を襲った理由は何なのだろう?
「他に矢塚さんに変わった様子はなかったのですか?」
瑠樺はなおも春影に訊いた。
「変わった様子……ですか」
春影は思案するように俯いた。それからおもむろに顔をあげた。「そういえば……」
「なんだ?」
「血を求められましたことがありました」
「血だと?」
さすがに立花もそれには驚いたようだった。
「試してみたいことがあると。そのために私の血が必要なのだと。ほんのわずか」
「矢塚さんは何に春影さまの血を使われたんでしょうか?」
瑠樺は立花に訊いた。
「まさか……一族の縛りかもしれないな」
「縛り?」
「我々はそれぞれが縛りあっている。我々の一族の中に突出した存在はいない。同じように双葉の一族を八鶴が縛る力があったとすればーー」
「それが血? あ……そうか」
瑠樺は思わず口から溢れた。
「なんだ?」
「矢塚さんの一族が定期的に書物に残した数字ですよ」
「数字?」
瑠樺はポケットから日奈子に書いてもらったメモを取り出した。
一六二八三一四五六二七三八四
「これって、一族の縛りなんじゃありませんか? 和彩は立花によって縛られ、双葉は八鶴によって縛られ、美月は和彩に、詩季は呉明に、立花は双葉に、七尾は美月に、そして、八鶴は詩季によって縛られる」
「ほお」
それを聞き、立花はもう一度そのメモを覗き込んだ。
「なぜ立花様がこれを知らないのですか?」
「だから何度も言わせるな。私は全知全能ではない。私たちの一族が生まれた時、すでに双葉はこの地から去っていた。八鶴も生まれて間もなく去った。聞いていないものについて、私は知らない」
「それって要するに、立花も教えてもらえなかったということですね」
「除け者にされたかのような言い方をするな」
「いえ、ただ……結構、知らないことが多いなと思って」
「私の存在意義を問うような言い方をするな」
あまり感情を表に出すことのない立花が、少しだけ不満そうな口調で言う。「しかしな、我らの縛りというものは、それほど強いものではないぞ」
「強くない?」
「たとえば立花が和彩を縛るといっても、最終的に一族が従うかどうかはそれぞれが決めることだ。それに従わなかったからといって、罰則があるという掟があるわけではない。双葉にだけ生命に関わる縛りがあるとも思えない」
「でも、八鶴がこの地を去ったのは、双葉を追ったためじゃないでしょうか?」
「なぜ、そう思う?」
「いえ……なぜってこともないのですが……なんとなく」
瑠樺にとってもハッキリとした答えがあるわけではなかった。ただ、なんとなくそんな気がしたまでだ。
だがーー
「なるほど」
と声をあげたのは八千流だった。「「双葉は和彩に匹敵するほどの力を持っていた。さらに『魔化』の心臓でもあった。それならば『魔化』を消したいと考える時、双葉を追うのは当然じゃありませんか? そういうことですね?」
「え? いえ、それは……」
瑠樺はどう答えていいか戸惑った。八千流の言っていることは、少し瑠樺の思っていることとは違っていた。だが、どこがどう違っているのか明確に説明することは出来なかった。
「しかし、八鶴が去った時、まだ一族は『魔化』については深刻に考えてはいなかったはずだがな」
立花が不思議そうにつぶやく。だが、八千流はさらに言った。
「つまり八鶴の血は『魔化』を倒す力を持っているということですよね? 私の身を犠牲にすれば、倒せるんじゃありませんか?」
それに立花が頷く。
「そうだな。『魔化』を倒せるかどうかまではわからない。だが、一族の縛りから考えると、『八鶴の一族』こそが『双葉の一族』を縛ることが出来ると考えていいだろう。『魔化』が『双葉の一族』から生まれたものと考えれば、八鶴は『魔化』を縛ることが出来ることになる」
「その縛りが私たち八鶴の血ということですね。矢塚さんは……いえ、矢塚さんの一族は昔からそう考えていたのではないでしょうか」
「しかし、『魔化』を倒すために必要なものが『八鶴の一族』の血とはな。いったい、どれほどの量を必要とするものか。人間一人で足りるものかどうか」
そう言いながら、立花は八千流の顔を伺った。それにはさすがの八千流も表情を固くした。それでもーー
「私の生命で『魔化』を倒せるのなら、ぜひ使ってください」と気丈に答える。
だが、すぐに春影が口を挟む。
「あなたに流れている血は私と同じ。その役は私に」
「いいえ、八鶴の当主は既に私。その役目は私のものです」
二人共がお互いを想い、自らの命を捨てる覚悟をしているように見えた。
その二人の様子を眺め、立花が瑠樺のほうを振り返る。
「どうする? 和彩? おまえが決めろ」
その言葉に、春影と八千流の真剣な目が瑠樺を見つめる。少し考えてから瑠樺は答えた。
「あの……八千流様、その血を一滴、私に預けてもらえませんか?」
「一滴? なぜ一滴なのですか?」
「私にはその血を増殖させ、操る力があります。命を捨てる必要なんてありませんよ」
「そう……なんですか」
少し気が抜けたように八千流が言った。
「しかし、どうすれば『魔化』に? 確か地中深くに眠っているというお話でしたよね? 掘り進むなんてこと出来るんですか?」
「その必要はない」
立花がキッパリと言った。「魔化への道はここにある……が、この続きはまた明日だ。もう私は眠い」
既に外は真っ暗になっていた。




