二話.訪問者は嫁?
フルキャストイーブンに続いて、こちらも少し更新です。
暇つぶしに書いていたので、こちらは量は少ないです。
「ひゃぁ〜。やっぱ濡れたなぁ」
アパートの玄関を潜り、傘を傘立てに放る。乱雑にコンビニ傘から高級そうな傘、カラフルな傘。明らかにこのアパートの住人の数より多い。買ってきてはここに入れて、帰りに雨が降ったら傘を買い、結局その悪循環に傘が増える。それでも同時に、誰の傘であろうと置いてある傘はいつしか共同という暗黙が生まれ、俺の傘だった傘も、すっかりどこかへ行った。
「ああ。また着替えるのも面倒だな」
洗濯機はベランダに設置してあるが、この雨だ。洗濯なんて無理だ。部屋においておくと匂いは出るから嫌なんだけど、仕方がない。たまにあることだし。
「んじゃ、また明日な、まこと」
「おう。いい夢見ろよ」
いつの時代の言葉だか、まことの言うことはたまにおかしい。でもまぁ気にしたところで仕方が無い。軋む階段を上がって自分の部屋に向かう。明かりのついていない部屋。悠さんの部屋だ。相変わらずまだ帰ってきてないみたいだ。ほんと、どこに行ってるんだろうな? 毎月月末辺りにはいなくなるんだよな。今回もこれで三日目。もうそろそろ帰ってくる頃かもしれないな。
「ま、俺が気にすることじゃないか」
そして隣の俺の部屋のそのまた隣。俺たちより後から風呂に来たのに、俺たちより先に帰宅してる柚木夫婦の談笑が漏れてる。相変わらず仲がいいみたいで、邪魔しないよう静かに部屋に戻ろうと鍵を取り出して気づいた。
「あれ? 電気、消し忘れたっけ?」
玄関隣の窓から明かりが漏れてた。電気代がもったいないからいつもちゃんと消してたと思うんだけどな。俺としたことが、めずらしくうっかりしてたみたいだ。電気代だって馬鹿にならないから、いつも注意してたんだけど、まぁつけっ放しにした以上はどうしようもない。夜分の灯火時間を減らすしかないな。
「ただいま……っと?」
―――いつもなら、俺の時間は静かに返答のない空虚な独り言で終わるはずだったんだ。
「お帰りなさいませ。お待ち申しておりました」
―――俺の時間が止まった。
「お体もお冷えになられましたことでしょう。すぐにお着替えをご用意いたします」
正座からスッと立ち上がり、ついでに着物? の裾を正しつつ、足音を立てることなく摺り足で俺の部屋にあるたった一つの部屋に入っていく。
「やべ。間違えた」
姿が引き戸の向こうに消えた時、瞬間的に俺は部屋を出た。
「こっちか」
ガチャっと、簡単に回るドアノブを開ける。
「ねぇ、私のこと、好き?」
「あぁ、もちろんだよ。昨日の自分に嫉妬しそうなくらいに」
「もぉ、やだぁ」
首に腕を廻し、かすかに首を傾げるひろみさん。それから、かなり恥ずかしいことを平然と言いながらひろみさんの腰に腕を回す健悟さん。
「私がおばちゃんになっても愛してくれる?」
「そんな先のことよりも、僕は今の君を愛することに命を掛けてるよ」
おう。場を間違えた。なんちゅうバカップル。いや、新婚夫婦だ。これまた部屋を間違えて、見てはいけないものを見てしまった。
「……失礼しましたぁ」
幸い気づいていなかった。完全に二人の世界か。とりあえず、静かに戸を閉めた。何か色気を感じるより、ショックなものを見てしまった気分だ。音は良く聞かされてるけど、ビジョンが明確なのはきついな。まぁ、二人に祝福あれって感じだ。
「あれ? 俺の部屋、家賃滞納でなくなったのか?」
この部屋が柚木家夫妻の部屋なら、隣は確実に俺の部屋、だったんだけどな。
「とりあえず、もう一度確認しとくか」
―――ドアノブに手を掛けようとした。
「あがっ」
ガツン。突然目の前が真っ黒に染まり、痛みが額と鼻先に走る。
「あら? 今何か……あぁっ!?」
いてて。いきなりの痛みに回避は出来ないって。
「だ、大丈夫ですかっ!? 駿さんっ」
自分のせいでって認識はないのか。というよりも、やっぱり俺の部屋だったんだな。俺のことを知ってるってことは。額よりも鼻血が出ていないか、痛みに鼻を押さえながら顔を上げる。
「あ、ああ。何とか……あっ」
「あわわわわっ。わ、私ったら何てことをしてしまったんでしょうっ。ごめんなさいごめんなさい。悪気があったわけじゃないんですっ。本当なんですっ。急に駿さんが出て行かれて、誤解されたようなのでお探しに出ようとしたら、こんなことにっ。あぁ、最初の印象が大事だと教わったのに、私は、何てことをしてしまったのでしょうっ。え、えっと、この場合は、まずは、えっと、警察? 救急? あっ、しょ、消防っ!」
いや、間違ってはいないけど、救急だ、そこは。ついでにそんな大事じゃないから。
「だ、大丈夫だから、落ち着いて」
「は、はいっ」
幸い鼻血は出なかった。痛みも引いてきて、目の前の子を見る。やっぱりさっきの子。ちなみにやっぱり俺の部屋から出てきた。
「あ、あのさ」
「は、はいっ?」
まだ慌ててるのか、呼んだだけで体が小さく跳ねてた。髪の毛がやたらと長い。臀部辺りまで黒髪が垂れてる。初めて見た。この世にこんなにも長い髪の女の子が居るなんて。
「ここ、俺の部屋、だよね?」
「はいっ、そうですよ。ここは桜木駿さんのお宅として、登記されています」
ああ、やっぱり俺の部屋だった。俺が聞きたいこととは少し違うんだが、どうしてこの子は俺の部屋に居た?
「まさか、沙奈姉の知り合いかな?」
見た目としては、同年か年下くらいだと思う。でも俺の知り合いにこんな子はいない。
「姫宮沙奈さんは、このひまわりのアパートの管理人のご息女様ですよね? 知り合いと私から言ってしまうのは、いささか不躾でもありますが、私は存じております」
何かよく分からないな。知り合いじゃないにしろ、どうやらこの子は沙奈姉を知っている。でも、沙奈姉が知っているかとは別のようだ。悪戯好きな沙奈姉のことだから、また何か仕込んでいるのかと思ってしまうが、何か違うっぽい。
「じゃあ、あの、何で俺の部屋に?」
目的が不明。急に頭が痒くなってきた。不審者なんだろうけど、正直、可愛い。だから、その認識が湧かない。
「貴方にお仕えするために、生まれてきました」
―――え? 返答を聞き違えたか? 俺にお仕えする為に生まれてきた? 何の冗談だ? これはやっぱり沙奈姉の悪戯か? それとも悠さんの悪戯か? いや、悠さんは戻ってきてないから、その路線はないだろう。いやいや、悠さんのことだ。自分が戻るまでの間にも俺をおちょくることを忘れない為にも、仕込んできた?
「……ごめん、よく聞こえなかった」
白い着物姿で、首を傾げてこっちをまっすぐに見てくる。何故か笑顔で。分からない。誰だ? 何が目的だ? 泥棒か? 何も盗むものがないのに?
「はい。貴方は私の―――運命の人なんです」
あれ? さっきと違わないか? いつの間にか使用人候補から妻候補? いや、そういうことじゃない。誰だ、こんな純真無垢そうな女の子を俺に差し向けてきた首謀者は? 悪戯にしてはたちが悪い。まことがこんなことをするはずがないし、柚木夫妻がラブラブ中。他の住民だっていたずらをしそうな人は居ない。目星が立たない。誰だ? ―――こんなことをする奴と、目の前に居る君は?
「あ、あの……」
「え? 何?」
チカチカしてる裸電球に、女の子が視線を向けたり逸らせたり。落ち着きがないと言うか、何か気になることでもあるのか、視線で訴えてきてるみたいだけど、そのアイコンタクトを俺に理解することは無理だ。
「お部屋に、入りませんか? ここに居ると、他の方にご迷惑がかかりますし……」
他の方といわれて、周りを見る。誰も居ない。それどころか煩いこともないし、迷惑になるようなこともない。なのに、この子は不思議と何かに見られていることを恥ずかしがるみたいに、そう言う。
「いやいや。俺はともかく、君は何なんだ?」
俺の部屋に居たかと思えば、さも当然のように俺を誘って部屋に入ろうとする。俺は一人暮らしだ。家族は誰もいない。生き別れの姉妹とかあり得ない。
「へ? あぁっ!? す、すみませんっ」
と、不意に女の子が赤面しながら頭を下げた。いや、いきなりそんなことをされても分からない。俺も混乱してしまう。
「い、いや、別に良いんだけど……」
良くはないけど、女の子に頭を下げられるのは、どうも気持ち的に嫌だ。いつも俺の回りに居る女子が姉的存在で比較的強いからかもしれないけど。
「も、申し送れましたっ。私、此乃芽と申します。桜木駿さんにお仕えする為に、此乃谷観世音菩薩様より顕現いたしました。ふつつか者ですが、全身全霊を以って駿さんへお尽くしさせていただきます所存ですので、どうぞ、幾久しくお願い申し上げます」
薄暗くて、足音軋むオンボロの廊下で、俺はプロポーズをされた? いや、違うか。違うよな。うん、違う。気のせいだ。
「え、えっと、此乃芽さん、でしたっけ?」
「そんなっ。さんなど必要ありませんっ。どうぞお呼び捨てになってください」
いきなり呼び捨てで呼んで下さいと言われても、無理です。まことじゃないんだから。
「それでなんだけど、此乃芽さん、何かの間違いじゃないですか?」
何だかさっき此乃谷観音がどうとか言っていたけど、俺には身に覚えが無い。此乃谷観音なんて、ここ何日も行ってないし、お参りしたのも、去年の元旦。だから十ヶ月は昔だ。そもそも、お仕えするとか訳が分からない。
「いいえ。私は貴方に会う為に生まれてきました。駿さんは、私の運命のお人なんです」
また出た。運命の人って何だ?
「いや、だから、それが間違いなんだって」
「桜木駿さんとは、貴方のことですよね?」
「そうだけど……」
「では、間違いではありません。私の運命の方です」
あぁ、なんか話が一向に進まない。どうするべきか。いや、答えは一つだろう。
「そのさ、運命とか悪いけど俺は信じていないんだ」
運命とか使命とか、そう言うものは信じない。それで否定されるものをなくすつもりは無いから。それでも才能や努力はある。俺には才能は無い。だから、日々を努力で生きる。貧乏生活も知恵次第で何とかなる。
「はい。それも存じております。お父上様、お母上様の件についてのお悲しみはご承知の上にて、私はここに在ります」
言葉が出なかった。―――ただ、どうして? それがせめてもと浮かんだ疑問。
「誰から、聞いた?」
「誰からでもありません。私はこの町に在る此乃谷観音菩薩様の顕現です。この町の全てを目の当たりにしてきました」
またそんなわけの分からないことを。誰かに口止めされているのか? やっぱり沙奈姉の差し金か何かだろうか?
「まぁ、とにかく詳しく話そうか。夜も遅いし、回りにもここはうるさい」
家に入れるつもりは無いんだけど、いい加減廊下は冷える。事情が分かれば酌むし、無ければないで、出る所に出れば良いだろう。……出る所にいる人がちゃんと働いているかどうかは、別の話にしておくか。
「はいっ」
後ろからついてくる。三歩ほどの間をあけて。何か違和感があった。
次にsaiを更新しますが、恐らくそれに合わせて、もう一つ、何かを更新するかもしれません。何を更新するかは分かりませんが、お待ちくださいませ。
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