第一話
人の身長の五倍はあるクリーム色の外壁。彼が目指すのはそれに囲まれている純白の城なのだが、どうにもすんなり足を踏み入れることはできないらしい。王城というだけあって、トラップが多く、何より城への入り口がひとつしかないのである。
「本当なら私と共に中へ入ることができるんですけどねえ」
カーラが言った。彼女は自嘲的な笑みを浮かべその赤い瞳をシルバに向けた。”試してご覧なさい?”とでも言いたげな瞳を、だ。
「はいよ」
シルバは再び頭を掻いた。彼も正直、この目が苦手だ。
必要最低限の事柄だけを相手に伝え、しかしその真意は決して語らない。常に余裕と揶揄を内に秘めた血の色のそれ。これが威厳というやつなのだろうか。そう思わせる不思議な威圧感があった。
シルバはことさらゆっくりと息を吸った。
「おーい、門番さーん。通してくんないかな?」
先ほどからちらちらとこちらの様子をうかがっていた門番は、急に仏頂面になると
「だめだ」
と言った。わざと唸るような声を出しているのが分る。少なくとも役者向きではなさそうだ。
カーラがくすりと笑った。瞬間、門番がそれに反応する。
「何がおかしい」
カーラは口端を持ち上げると、
「あなたがここにいることが、ですよ」
そう言い放った。
軽く反り返り、片手を腰に付け、嘲るような笑みを浮かべる女王。見下されていることが分るのだろう、門番は彼女をにらみつけた。
「おいババア」
「どうですシルバ」
けれどもカーラはそれを無視。くるりとシルバを振り返ってそう言った。
カーラの背後で肩をいからせている門番に目をやってから、シルバは苦笑した。
「うん。こいつ門番じゃねえな」
見れば門番、目を丸くして固まっている。決定のようだ。
「この人さ、この城の女王様なんだよね。それをババア呼ばわりするってことは、少なくとも城の人間じゃねえよな?」
言い終わるか終わらないかのうちに、偽の門番がシルバに踊りかかってきた。
「素手でいける」
シルバはぼそっとつぶやくと、拳を天高く突き上げた。
その先にあったのは門番の腹で。
「ぐえっ」
門番、否モンスターはその場に倒れた。
そいつを見下ろしながら、
「本当にテイル城が乗っ取られたってか」
と冷たく言った。
その後ろで、カーラが不敵にほほ笑んでいたことを知る者はいない。
* * *
セシル様
今、テイル城が乗っ取られています。
ある2人組と、たくさんのモンスターがいます。
姫様は人質として捕らわれています。
幸い、カーラ様は外出中でした。
今のところ動きは見られません。
彼らの目的は知りませんが、とにかくよい事ではありません。
どうか、どうかお早くいらっしゃってください。
メイド・兵一同
「くそっ」
セシルは手紙を握りつぶした。先ほど紙飛行機の形で飛んできたそれは、何らかの魔法がかけられているようだった。彼女は箒に乗り、空中に浮いている。
「あんのクソババアっ」
セシルは箒の柄をぎゅっと握り締めた。
* * *
一段一段、ゆったりとしたペースでシルバとカーラは階段を上っている。テイル城中央部にあるらせん階段だ。無駄な装飾はなく、暮らしやすさに重点を置いた設計のテイル城は、階段も人間が最も歩きやすい角度や段の高さを計算して作られている。
「それにしてもさ」
シルバがため息混じりに声を上げた。
「あの門番以外、全くモンスターが出てこないってなんなんだよ」
「正確に言えば人間もですよ、シルバ」
言ってから、ふふふ、とカーラは笑った。
2人はかれこれ15分、足を持ち上げては落とし、持ち上げては落とし、時折口を開く、という動作を繰り返している。その間一度もモンスター、あるいは人間と接触していないのだ。
人間は捕らわれているとしても、見張りが門番一匹、というのはあまりに手薄すぎる。
「ほかに、目的がある気がするんだよ」
数々の修羅場を乗り越えてきた、シュヴァリエとしての、シルバの勘だった。
「ふふふ、そうですね」
抑えきれなかった笑みがこぼれてしまったようなカーラの笑い。この状況を楽しんでいるようだ。
一通り笑うと、彼女は急に足を止めた。つられてシルバも歩みを止める。
「切っ先がこすれる音がしました」
それだけ言うとカーラは右手にある廊下へ進んで行った。白い床に彼女の黒いヒールがよく映える。カツンカツンと軽い音が響いた。
錆び付いた扉の前で彼女は立ち止まった。窓の部分に鉄格子が付いているそれは、まるで牢屋に取り付けられているもののように見える。
「クリムゾン、いますか」
ワン、と彼女の澄んだ声が反響する。
「カーラ様、カーラ様ですねっ?」
扉の向こうから男の声が返ってきた。
「今開けますから」
ガシインッ!
言うが早いが、カーラは鍵を開けた、否、拳で破壊した。部屋の中で数人が息を呑んだ気がしなくもないが、数瞬のち、30人ほどの兵士がぞろぞろと出てきた。
「近衛隊隊長・クリムゾン=ブラックですね」
クリムゾンと呼ばれた男はこくこくと何度もうなずいた。青紫色の髪を高い位置でひとつに結っているクリムゾンは、左胸にある勲章をカーラに見せるように引っ張った。黒地に白の十字模様が印刷されている勲章だ。
後方であっけにとられているシルバを見るなりクリムゾンはぴしっと背筋を伸ばした。
「お前がセカンドシュヴァリエか」
「え、はあ」
クリムゾンは口端を持ち上げると静かに言った。
「お前なら助けられるかもな、人質の姫様を」
「え」
シルバがたじろぐのも無理はない。一国の姫君が白昼堂々、ろくでもない輩に捕らわれているとは。城の近衛兵がまんまと捕まっていることにも問題がある気がするが。
「ふふふ」
カーラが爆笑を必死でこらえていたのは言うまでもない。