プロローグ
「おばちゃん、煮豆二袋と飴十袋ちょうだい」
「はいよ」
店主は頷いてから、ふっと目を細めた。
「もう行っちまうのかい、セシルちゃん」
「ええ」
店主が紙袋に飴玉を入れるたび、ガサ、ガサ、と音がした。けれどもそれらは街の喧騒に吸い込まれ、消えていく。
「もうしばらく帰ってないのよ。まあ、どうせまた飛び出したくなるんだろうけど、あんな家」
セシルの言葉に店主は笑った。
「そうやってたまに帰ってくるだけで親は満足なんだよ。はいよ」
金の髪を邪魔そうに払いのけながら、セシルは差し出された袋を受け取った。
「ありがとね、おばちゃん」
セシルは店主に背を向け、歩き始めた。その後姿をいつまでも目に焼き付けておきたいと店主はひそかに願った。それでも、セシルの鮮血の双眸が店主の姿を写すことはなかった。
* * *
いぶかしげにテイル王城の外壁をにらむ青年。その後ろで品定めでもするような目つきをしている初老の女性。2人は城に最も近い――といっても五百メートルは離れている――塀に身を隠していた。道行く人々はだれも彼らを気にとめず、それぞれ買い物や雑談に勤しんでいる。
青年ははあ、とため息をつき、その碧眼を女性に向けた。
「カーラ、特に変わったところはないと思うんだけど」
カーラ、と呼ばれた女性はやんわりと笑い、
「そりゃあ外から見て何かあったらもう手遅れでしょう」
と返した。青年は軽く頭を掻いたあと、再び城へと目をやった。
青年とカーラが出会ったのはつい三十分ほど前のことだ。青年がこの街へ食料の買出しに来ていたところ、突如黒いローブをまとった女が現れた。フードで隠してはいたが、長い髪が日光を金色にはね返している。珍しい色だなと思いただぼうっと女の髪を見ていると、ふいに青年の首にわずかな痛みが走った。女が彼のペンダントを引っ張ったのだ。
彼女はにぶい輝きを放つ丸いそれをまじまじと見た。テイル王家の刻印付きの、特別な金でできている。本物であれば、の話だが。
『ちょっ、おばちゃん、痛いってば』
青年の言葉が聞こえていないのか、女はペンダントに手をかざした。一瞬、青年は視界が真っ赤に染まった気がしたが、まばたきをするとそれは消えてしまった。
『一応照合しました。やはりあなたですね、シルバ=ブレーン』
『え、おばちゃん誰だった』
『こんなに大きくなって……』
女はフードをとり、いとおしむように青年の髪をすいた。
『私はテイル王国女王、カーラ=テイルです』
シルバと呼ばれた青年はポン、と手を打った。カーラとは五年前、シュヴァリエ試験のときに顔を合わせていたのだ。
シュヴァリエとは、王家にその強さ、人間性を認められた者に与えられる称号だ。シルバが胸に下げていたのはシュヴァリエに送られる公認の証。五年前、十三歳にして試験をパスした彼のことはカーラはおろかテイル国民のほとんどが知っている。
『久しぶりだな!』
『本当に。あなたがあのかわいらいかったシルバだなんて、まだ少し信じられません』
少し間を置いてカーラは、
『実はお願いがあるのです』
とその話を切り出した。
その内容をひとつひとつ思い出しながら、シルバはつぶやいた。
「いくらカーラの言葉でもさ、やっぱそう簡単には信じらんないよ」
「なら」
カーラはにやりと口の端を持ち上げた。
「自分の目で確かめてはどうです? シュヴァリエ」
笑顔の女王を前に、シルバは幾度かまばたきを繰り返した。セールスの声もおしゃべりも、この沈黙を埋めることができなかった。