距離感
想像通りと言うか。
意表を突かれたというか。
ドレットと呼ばれた少年は暴れもせず、速やかにクリストフが与えたスリーピースの服に着替え、
子供とは思えないほど堂々と馬車に乗り込み、足組んでどかっと座った。
クリストフは会議を欠席する旨を評議会に伝え、ドレットと共に自宅へ向かう事にした。
「ここは良い街だね」
声色こそ少年はだが、幾つもの街を見てきたかのような重みが確かにある。
生まれながらに戦争奴隷なのかも知れない。
想像以上に過酷な人生を歩んできたに違いない。
「ところで・・・あー、オッサン」
怒りを通り越してクリストフは笑ってしまった。
この辺りでクリストフをオッサンと呼べる人間は多分1人もいない。
その物怖じしない態度が新鮮でもあった。
「クリストフ卿と呼び給え。建前とはいえ、私は君の主人となったのだから。」
「そうだね。ムダな軋轢を生みかねない。言葉には気をつけるよクリストフ卿」
「まだ少し荒いが、まぁ、おいおい覚えていくと良い」
ドレットは咳払いをした。
「申し訳ありませんでした、クリストフ卿。これより貴殿の館でお世話になるにあたって、幾つか質問があるのですが宜しいでしょうか?」
クリストフは驚きを表にださず、ゆっくり頷いた。
これは主導権争いだと、クリストフの経験が警告する。
「いい給え」
「友達って何?」
全くこの少年はーーーー。
屋敷までの2時間はこの偏った知識を埋める事になりそうだ。
クリストフは久しぶりに楽しそうに笑った。
シェリルは玄関口でいまかいまかと、うろうろしていた。
もう着いてもいい頃だ。
すると、一息もなく、うまの嘶きと蹄の音が聞こえてくる。
両開きの扉をあけ放つと馬車から降りてきたカイゼルヒゲの紳士、クリストフにシェリルは飛びついた。
「お帰りなさい!お父様!!」
こんなに元気なシェリルをみるのはいつ振りだろうか。
クリストフは潤んだ瞳をさっと拭い、後から降りてきた少年を呼び寄せた。
「シェリル。今日から家で生活するドレットだ。ドレット、娘のシェリルだ。」
シェリルは産まれて初めて自分と同世代の人間を見て、湧き上がる興奮とは裏腹にサッとクリストフの影に隠れてしまった。
みたこともない幾つものグレーの髪束、透き通るような白い肌。遠目にも分かるほどくっきりとした赤い眼。
まるで白兎だ。
なにより幼いのに堂々とした振る舞いに物怖じしてしまったのだ。
クリストフが口を開くより先に、ドレットが距離を詰めた。
「こんにちは。僕はドレット。君に会うために来たんだ。いつまでいるかは分からないけど、よろしくね」
いつまでいるかは分からない、か。
全くだな。
クリストフは思う。
今は、彼を引き止める術がない。
そして彼の意に反して追い出すすべもだ。
「ねぇ、シェリル。良かったら屋敷を案内してくれないかな?」
シェリルは少しもじもじした後、意を決してドレットの手を取った。
そして聴き取れないほどの声で、多分、いいよ、的な事を言ったのだろうが、そう返事をするとグイグイとドレットを引っ張って屋敷へと入っていった。
父としては複雑な心境だが、死んだ妻の面影をみて、クリストフは思わず声を出して笑った。
クリストフの妻も口下手で行動が先にでる人だったからである。
「ねぇ ドレットは何歳?」
「えーとーーー12歳かな、シェリルは?」
「やったー!!弟が出来たみたいで嬉しい!!
私13。ドレットくん、て呼んだほうが良いのかなー?」
「ドレットでいいよ。僕の方こそシェリル様って呼んだほうが良いんじゃない?」
「絶対イヤーー!なんか距離置かれてるみたいで寂しくなるんだもん。
・・・・ドレット?どうしたの?」
「ーーーーんーん。言われてみたらそうだね。じゃ、シェリルって呼ぶよ。」
ちょっとした違和感。
でもそれ以上に話をしてくれる相手の出現に浮かれて、シェリルは違和感をすぐ放り投げた。
「こっちは中庭、あっちは書斎、そっちは武器庫だけど、鍵がかかって入った事ない。あっちは調理場で、こっちは食堂」
ふーんとうなづくドレットの違和感にこの時シェリルは気がついた。
驚きがないのだ。
そう、かれはこの規模の家に見慣れている。
ドレットって何者?
ひょっとして、滅びた国の王子様とかだったのかな?
飽きるほど呼んだお伽話の一節を思い出す。
滅びた国の王子が囚われの姫を救う話し。
1人赤面しながら、シェリルはドレットの手を取り2階へと引っ張っていった。
「ここはお母様の部屋。もう随分前に、病気で死んじゃったの。」
「・・・・病気?」
「うん。原因はわからないけど、私を産んでからどんどん衰弱しちゃって、物心つく頃には。」
白い布を被せたテーブル。
埃一つない床や窓。
中央に置かれたベッドからは入り口のテーブル一式が見え、ベッドの奥には三面鏡と暖炉。
その上にはシェリル一家の肖像画が掛けられていた。
鋭い目付きとピンとたったヒゲ。その細身な体はピシッとした燕尾服と相まってレイピアのようだ。
若きクリストフ卿。30歳位だろうか。
その横で赤子を抱く、柔らかい金の長髪の持ち主が、おそらくシェリルの母なのだろう。
愛しそうな眼は、はしゃぐ赤子を眺めているようで、張り詰めたクリストフ卿とは対照的だが、妙にしっくり収まっていた。
「・・・この大陸の北にはね、シェリルみたいに金の髪と碧い眼、雪の様に白い肌を持つ一族がいたんだって。」
ドレットの突然の話しにきょとんとしながら、シェリルは素直に疑問をぶつけた。
「北ってどれ位北?」
「そうだね。馬で一年くらいかな。」
「わぁ・・・世界の果てみたい。」
「そこは食物が育たないから、家畜と共に草があるところを転々とするんだ。でも不毛の大地だから、早々良い所があるとは限らない。
だから、その一族は、自分のエネルギーを分け与える事で、大地や植物を活性化させるんだって聴いたことがある。」
「じゃあ、お母様も?」
「わからないけどね。もしそうだとしたら、ここの土地の豊かさにシェリルのお母さんが無関係とはおもえないけど。」
「でもそんな力があるなら何で自分に使わなかったのかな。そしたら私、お母様と一緒に入れたのに。」
「うん。その癒しの力は自分にはかけれないんだよ。だから一族はお互いに助け合って、生きていたんだって。」
「それじゃお母様は・・最後の1人?」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。特別な力を持つ人は、悪用を恐れて人に喋りたがらないからね。でも、もしそうなら、最後の1人はシェリル、君だ」
「あら、もし私がそうなら、色んな人を救えるってこと?
自信ないなぁ・・・・・」
「今は無理でも将来はわからないよ。それに、どう生きるかは君自身がきめなきゃ。」
「そうね・・・。きっとお母様も同じことを言う気がするわ。ドレットって不思議。二つしか離れてないのに、先生みたい。」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ。それで、肝心の僕の部屋なんだけど・・・」
「あ!ごめんなさい!」
シェリルは顔を真っ赤にしてそそくさと母の部屋をでて行こうとする。
「白の血統か。まさかこんなところでお目にかかるとはな。」
肖像画を見上げたドレットの言葉は誰の耳にも届くことは無かった。
「ここがドレットの部屋だって。客間の一つを空けてくれたんだよ。って、不満そー」
屋敷内から中庭、裏庭、倉庫、森の奥の湖に至るまで、一日中一緒にいた2人の距離感は、気持ちを表情で伝えれるほどに縮まっていた。
「屋根裏にさ。古い書物がいっぱいあったじゃん。オレ、あっちの方がいいな。」
喋り方もお互い大分砕け、友人と言うには十分な距離感だろう。
「へー、ドレット、本好きなんだ。私も良く読むのよ。お父様は褒めてくださるけど、他の大人は良い顔しないわ。」
「他の大人に良い顔させる為に、本を読んでるわけじゃないんだから、気にすることないよ。何か面白い本があったら教えて。オレ、屋根裏にいるからさ・・・明日から。」
「埃っぽいし、今から掃除は無理だもんね〜。」
シェリルが楽しそうに笑う。
「それじゃシェリル、お休み」
「うん!お休み、ドレット!!また明日ね!」
扉が閉まり、ドレットはベッドに腰掛けた。
元々大した荷物もないし、寝場所には拘らない。
でも、こんなに心が弾んだのはいつ振りだろう。
「こりゃ、クリストフ卿の一人勝ちだなー。」
ドレットは欠伸を一つすると灯りも消さず何年かぶりに熟睡した。