困惑
火鋼岩と呼ばれる巨大な一枚岩に、炎の洞窟はある。
ーーその日、火鋼岩は砕け散った。
迦具土が祭られているであろう、岩の中心部から、垂直に、黒い竜が登るのを人々は見た。
一度見れば忘れられぬ、全ての光を拒絶するかのような、吸い込まれそうな黒。
細長い黒い竜は雲の上まで登っていき、その後姿を表すことは無かった。
轟々と砂埃をあげ、炎の洞窟の入り口は目視できない。
やがて砂埃が収まると、入り口から社にむけて一直線に一枚岩が裂けていることがわかる。
洞窟の天井部が全て吹き飛んだのである。
「・・・どうなってるんだ」
まだ目覚めぬシェリルと、体調すぐれぬカグヤを背に、アギトは誰にともなく呟いた。
「・・・・ウロボロスは去ったようだね。ドレットがどうなったかは分からないけど、依頼の通り、加護を受けに行こうじゃないか」
「・・・そうだな。」
そう言うとアギトはシェリルを抱き上げ、すっかりと姿を変えた、元、炎の洞窟をまた戻っていった。
社までは何の気配も無かった。
全ての生き物が逃げ出した様だった。
毒蛙やオオコウモリ、デザートスコーピオン、砂漠特有の魔物すら、姿形を現さない。
だが、迦具土の社を背に、見覚えのある白髪が見えるや否や、カグヤが駆け出した。
呆然と空を見上げ、立ち尽くすドレットに飛び付き、首に両手を回す。
「ドレット!!まさか生きてるなんて!!なんて男だい!もう一生ついてくよ!!」
感激の余り、泣きながらドレットにすがりつく。
アギトも流石に驚いた。呆れる程に驚いた。
生きていて、こんな一喜一憂したことは無いと、アギトも涙を流して驚いた。
ただ一人、アギトの腕の中でようやく目を覚ましたシェリルは、ドレットに縋り付くカグヤを見て怪訝な顔をする。
アギトはそれに気付くとシェリルを立たせ、涙を拭った。
「嬢ちゃん、青筋が出てるぞ。」
「へっ!?」
自分が不愉快である事に、シェリルは言われて初めて気づいた。
カグヤがドレットに抱きついてるから?
ドレットがそれを受け入れてるから?
カグヤを取られたから?
ドレットが取られちゃうから?
安心して、喜びたいのに、笑顔が出ない。
何も出来ないまま、シェリルは立ち尽くしていた。
「はあああ??ウロボロスを倒すぅぅぅ??」
シェリル、アギト、カグヤの声がぴったりと重なった。
伝承と魔術に詳しいカグヤはさらに言及する。
「火之神様が封印するのがやっとの相手だよ!?」
「ウロボロスにも同じこと言われた。」
「六柱神の中で、1番の攻撃力を持ってる神様でも倒せなかったんだよ!?」
「それも言われた。」
「何百年と生きてて、この辺一帯を死の大地に変えた様な化け物だよ!?」
「それも言われた。」
「・・・・よく納得させたね」
つくづくドレットの考えは常人には思いもつかない。
「ただし、奴が大人しくしてるのは1年だけだ。
何百年と生きてんだから10年位待っててくれても良さそうなもんだけどな。
1年の間だけ魔大陸で待ってくれるそうだ。」
「1年の間に倒せなかったら?」
「ウロボロスの破壊活動が始まる」
一筋の光が閉ざされた気がした。
たった1年であんな化け物を倒せるようになるー?
火山をコップの水で消し止めようとするようなものだ。
途方も無い。
検討も付かない。
ーーーー後は神々が導いてくれるでしょうーー
シェリルの脳裏に、師、ジハルドの言葉が浮かんだ。
「私、火の加護を受けてみます。迦具土様が、導いてくださるかも知れません。」
「・・・今はそれ位しか、出来る事はねぇ、か。」
シェリルが社に入ると、木造の扉は閉められた。
神との対話。
それが火の加護を受ける唯一の方法である。
「迦具土様ーー。どうか道を示してください。」
青い花を鉄の皿の上で焚き、シェリルは精神を集中させる。
目を閉じ、手を胸の前で握りしめ、ひたすらに祈る。
一筋の光明を。
ガクンと、床が落ちる感覚があった。
だがシェリルは浮遊感に包まれ、精神は安らぎに包まれた。
ああ、クエース様の時と一緒だ。
私は、護られてる。
瞼の裏に光が広がる。
目を閉じている筈なのに、鮮明に姿が浮かぶ。
炎の獅子だった。
「迦具土様ーー?」
「よく来た。白の血統よ。我が声が届いたようだな。」
「いえ、私は師に言われ、ここまでやってきたに過ぎません。」
「ジハルドであろう。数少ない信心深い男よ。
そなたがここに来たのは偶然ではない。
我ら六柱神が、力を合わせ導いたのだ。
聖女足るものを。
そして唯一、そなたがここ迄来た。」
「迦具土様。黒き炎の竜が目覚めました。
私達では、触れる事も叶いません。どうか、進むべき道を示してください。」
「黒き竜の目覚めは避けられぬ定め。彼の者は、魔の王と雌雄を決する為に目覚めたのだ。
黒き竜が完全に目覚めるには、同等の黒き魂をこの世から弾き出さねばならぬ。
雌雄決するとき、この世界の避けられぬ試練が訪れる。」
「黒き竜か、魔王、いずれかが牙を剥く時がくる、と・・・?」
「如何にも。
西のグランツ山脈の10合目。雲の頂きに六柱神とは別の神、武神がいる。
武神の試練に耐えれし者を探せ。
北にはすべての道理を知るもの、イシュヴァエルがいる。
此の賢者に出会い、聖剣に選ばれし者を探せ。
そして、白の血統の巫女よ。
そなたは南に座す、海の神ミッドガルズの加護を受け、更に東の果てにて風の加護を受けよ。
そなた、この時より、巫女と名乗る事を許す。
全ての加護を受けしそのとき、翼竜聖女と名乗られよ。」
「わたしにそんな大役が務まるでしょうか・・」
「できねば滅ぶ。それが道理。」
「海の神、ミッドガルズ様・・・。」
「全ての加護を受ければ、如何に我とて、そなたを傷つけることは困難。
そなたの道を照らす光となろう。
・・・では、炎の加護を受けし者にだけ伝える焔術を伝受する。
その名は「華焔」
全てを焼き尽くす焔の華よ。
進め、巫女よ。
我らはそなたと共にある。」
炎の獅子、迦具土はシェリルに背を向ける。
途端、辺りは暗闇に包まれたーー。
啓示を受けたシェリルはフラフラした足つきで社を後にした。
支えようとするカグヤを手で制し、
たった今受けたばかりの啓示を
一字一句間違えることなく諳んじた。
誰もが微動だにしなかった。
神の言葉を伝えるシェリルの姿は、啓示を受ける前とはまるで別人だった。
啓示を伝えきると、シェリルは膝から崩れ落ちた。
すかさずカグヤが支えようとする。
シェリルは遠慮がちに肩を借りる形となった。
「俺は、その武神て奴に会う事にしよう。まだこれ以上強くなれるなんて願っても無い話だ。」
アギトである。
「オレは北へ向かう。イシュヴァエルとは面識がある。」
朧げな意識で、シェリルはドレットの言葉を聞いていた。
イシュヴァエル・シューバッハ・・・ドレットに魔法無効化の術式を施術した、北の賢者。
聞いたことがあるわけだ。
魔法に携わるものなら誰もが知ってる。
「私はシェリルと一緒に南に向かう。全ての加護を集めて、シェリルを聖女にする手伝いをするよ」
「まずは、イグニスの宿に戻って、休もう。もうヘトヘトだ。」
ドレットが仰向けに倒れた。
「全くだな」
皆が同意し、うずくまる。
少し動いては休み、少し動いては休み、イグニスの宿に着いたのはそれから半日経った頃だった。
その夜、皆が泥の様に眠る中、シェリルだけは、いつまで経っても寝付けなかった。




