3.アーシャの雨姫
ディーンが姿を消すと、広場に集っていた人々も、徐々に数を減らし始めた。
門へ向かう人の流れに逆らいながらもイェリンは、ディーンが去った露台に見入っていた。
ふと、イェリンの頭に、すれ違う男の腕が当った。イェリンの髪をすっぽり覆っていたえんじ色の頭巾が、はらりと地面に落ちた。
急いで、イェリンは拾おうとした。だが、頭巾は人びとに踏みつけられ、蹴り上げられ、なかなかつかめない。
やっと頭巾を手にしたが、ひとたび頭巾を飛び出した髪は長く、なかなか隠しきれなかった。ルビーと金が混ざり合ったような炎のように煌く髪は、ロスタニア王国では珍しく、とても目立った。
焦るイェリンに追い討ちをかけるように「アーシャの雨姫様だ! 雨姫様が、ここにいらっしゃるぞ!」
男の大きな声が上がった。
今まで門へと向かっていた人々の足が男の声に反転し、イェリンの回りへと集い始めた。
「おお! 燃えるような緋色の髪は、まさしく雨姫様じゃ!」
「アーシャの雨姫に『聖剣の舞』を舞ってもらえば、雨が降るって本当か!?」
「ごめんなさい。私には、雨を降らす力などありません」
イェリンは懸命に語りかけようとするが、恐ろしさで呟きほどの声を出すのがやっとだった。
「雨姫様! おらが村で、雨乞いの舞いを舞ってくだしぇ!!」
あっという間に、イェリンの回りは人で溢れかえった。
雨乞いのきっかけは、イェリンの小さな正義感からだ。
困っている人を、ただ助けたかった。日照りにより水が無くなり、困窮した人々のために、祈り、聖剣の舞を舞った。少年と交わした約束も忘れ、ただ雨を降らせたい一心で舞い、雨を降らせた。
それ以来イェリンは、女神アーシャの使い『アーシャの雨姫』と呼ばれるようになった。
イェリンが雨を降らす力は、いつしか国中に知れ渡っていた。
大陸の内陸にあって、雨の少ないロスタニア王国では、金や、どのような高価な宝石よりも、水は貴重だった。雨を降らす力は、誰もが手に入れたい能力だ。
やがて、少年が危惧したように、イェリンの力をめぐり、人々の間で小競り合いが起こるようになった。あまりに目立つ緋色の髪のために、最近ではどこへ行っても人が集り、イェリンの奪い合いになる。
いつしか、少年が綺麗だと言ってくれた緋色の髪を、忌み嫌うようになっていた。これほど目立つ髪色でなければ良かったのにと。
「あたしの所に、雨を降らしてください!」
「なんとか、俺たちの町で」
イェリンを取り囲んだ人々は、イェリンの服や腕、髪を力任せに引きあった。
イェリンの胸に、聖剣の舞を封印するきっかけとなった、一年前の悪夢がよみがえった。
怒りに満ちた多くの人々が、屋敷に押し寄せてきた日のことを思い出し、体中を戦慄が駈け巡った。恐ろしさに言葉も出せない。
「式典は終わった。さっさと立ち去れ!」
イェリンの回りにできた人だかりを、青い制服の神兵達が追い払う。神の王であるヴァーツ神を祀った青の神殿に仕える聖職者からなる兵士だ。
今日は、式典に参列した高位神官たちの護衛で来ていた。
「この騒ぎの首謀者は、おまえだな!」
神兵の一人がイェリンに向かって怒鳴った。
「貴様は以前、雨乞いと称して、人々をたぶらかしたイェリン・カールフェルトだな!」
一年前、ヴァーツ神殿に仕える高位神官達が、神兵を使って聖剣の舞を中断させた。雨乞いが中断されたことによって悲劇が起こった。
「こりずに今度は、王の祝賀の儀が執り行われたこの場で、人々を扇動し、王の権威に泥を塗るとはなにごとだ! いくらカールフェルト将軍の息女とはいえ、これは謀反ですぞ!」
「私は、謀反など……そんな大それたことなど考えておりません! 人々が、雨乞いを頼みに来ただけです」
イェリンは無我夢中で訴える。
「なにが雨乞いだ! それこそ神への背信! まして聖剣の舞は、戦いの勝利を祈願する舞だ! これを王への謀反の兆候ととらずしてなんとする」
神兵に手を引かれ、人々に衣服をつかまれ、イェリンは揉みくちゃにされていた。
「アーシャの雨姫様になにをなさるのですか!」人だかりの中から声がかかる。
「そうだ! そうだ!」
「雨姫様を助けろ!」
人々が口々に叫んだ。
「なんだと! アーシャの雨姫などと女神アーシャの影向と騙るとは、神を恐れぬ不届き者!」
群集の反応に煽られた神兵が、声を荒げた。
「いいえ、神を冒涜するつもりなどございません」
イェリンは必死だった。
「問答無用! この女は、すでにいくつもの大罪を犯している。よって、直ちに連行する。さあ、来るんだ!」
「やめてください!」
兵士から逃れようともがきながら、イェリンはニーナにすがりつこうとする。
首を激しく左右に振り「あたしは、あたしは……」ニーナは震えながら呟いた。
数歩後ずさると、ニーナは反転した。
逃げ出す背後を、兵士が切りつけた。
「危ない!」
とっさに、ニーナをかばって飛び出したイェリンを、大きな影が抱きしめた。
赤い飛沫が吹き上がり、イェリンに降り注ぐ。
イェリンの頭上で男の呻き声がした。
ニーナの悲鳴が響く。
イェリンを掴まえた逞しい身体が、次第に重くなっていく。
「お、お父様……」
父である将軍を支えたまま、イェリンは膝を折りその場にへたり込んだ。イェリンの指先が、生暖かいぬるりとした感触を覚える。
「いや――!!」イェリンの叫びにあわせたように、上空が薄暗くなった。
空を見上げた人びとは、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めた。




