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10.聖剣の舞

 広く澄み渡った天空に、陽光を浴びて銀色に輝く剣が高く舞い上がった。

 地上から、水色の衣を纏ったイェリンが、飛び跳ねると絶妙の間合で剣をつかむ。

 薄絹は光を返し、まるでイェリンが柔らかな光を放っているかのようだ。

 軽やかなイェリンのステップに合わせ、澄んだ鈴の音が響き渡る。

 雷鳴を呼び、雨を迎える清らかな音色。

 イェリンの前方には白い岩石を積み上げて作られた、白の神殿が前方にそびえていた。上質な白い石灰岩は表面を滑らかに磨かれ、さらに白さが強調されていた。

 神殿へ上がる階段の前には、彫の入った重厚な木製の椅子に王であるディーンが腰を下ろしていた。

 ディーンの左後方に、いつもの甲冑を身に纏ったクリフが、まるで置物のように立っている。

 ディーンの右には青の神殿の大神官、左には白の神殿の女神官長が座していた。神官や女神官のように、それぞれの神殿の名と同じ色の神官衣を纏っていた。

 青の神殿に仕える男の神官や神兵、白の神殿に仕える女神官や巫女、そして近衛兵までもがイェリンを取り囲んでいる。

 それらより遙かに離れた場所に柵が張られ、民衆が固唾を呑んで見守っていた。

 舞に集中しなくてはと考えるほどに、イェリンは観客達が気になった。

 彼らはイェリンの舞に、さまざまな思惑を込めた視線を送ってきた。

 神官達といくら、距離があるとはいえ、彼らの多くから発せられるあからさまな敵意は、身をすくませるには十分な威力がある。

 だが舞の序章が過ぎた頃には、多くの神官が慇懃無礼な視線を消しさった。感嘆や溜息、悪意から好意へと変わっていくのがわかった。

 漂う空気はピンと張り詰め、どこか荘厳なものに変わった。

 離れている人々にまで、イェリンが着地する際に砂を踏む音や荒くなる呼吸、わずかな衣擦れまでが聞こえているようだった。

 いつもと変わらず軽やかでありながら力強く舞った。天に、大地に、叩きつけるようにイェリンは舞い続ける。

 しかし、心は以前のように無になりきれていなかった。

『大神官様になにかあれば』剣を頭上に振り上げながら、イェリンの耳へニーナの声が蘇る。

 前にも聞いたが、舞の剣をイェリンに渡す寸前にニーナが口にした。初めて聞いた時も違和感があった。いつものニーナが言いそうもない言葉だ。

 今日の雨乞いを成功させれば、大神官を殺めるなどと物騒なことを考えなくてもいい。一言伝えておけばよかった。察しの良いニーナなら口にせずともわかっているはずだった。

 後悔が浮かぶ、だが舞への集中で精一杯だったイェリンに、ニーナを思い遣る余裕などなかった。なのに、いざ聖剣の舞が始まると、かえって色々と考えてしまう。思い悩むだけ、無駄な話だと分かっているのにだ。

 イェリンが舞に集中しようとしたとき、突然、右手に激痛が走った。上空から落下する剣をつかんだとたん、右親指に棘のような物が刺さった。

 ただの棘ではないようだ。痛みは増していくばかりだ。

 このような真似を誰がしたのか、思い当たるのは、やはり神官だった。アーシャ神殿の巫女でもないイェリンに、雨乞いなど成功させたくはないのだろう。

 神に仕える神官が、剣に細工をするといった姑息な手段を取るなど、以前のイェリンなら考えもしなかった。だが、クリフに言われてわかった。神官と言えど、人の子なのだ、保身のためには、汚い手段でも取るのだろう。

 しかし、どうやって舞の剣に細工したか、もしくはすり替えられたのか考えつかなかった。

 聖剣の舞に使う長剣は、イェリンかニーナが管理していた。二人が目を離した隙に、すり替えられたのか、最初から細工された剣をクリフがよこした可能性もある。なんといっても、クリフは人生の大半を神殿で暮らしてきた。神官の手助けをしたとしても、責められない。

 だが、イェリンはクリフを疑う気などなかった。天鼬に信用されているクリフが、イェリンに不利なことをするわけがない。

 天鼬にかこつけて、イェリンの中に芽生え始めたクリフに対する信頼を隠したかったのかもしれない。

 誰の策略にせよ、今のイェリンは舞いきるしかない。怪我をしたからといって、途中で舞をやめるわけにはいかない。一年前の失態を、二度と起こしてはならない。

 気持ちを奮い立たせたものの、手の変調には抗えなかった。

 高速で振り回した剣が、力の入らなくなったイェリンの手を離れ、神殿の方角に飛んだ。

 剣の飛んだ先には、ディーンがいる。

 ディーンの目前に飛んできた剣が、大きな音を立て角度を変え地上に突き刺さった。

 周りの者たちには、一瞬、何が起こったのか把握できずにいた。

 クリフが、イェリンの剣を叩き落したのだ。

 ディーンの前に立ちはだかったクリフは、舞の剣を払った剣の鞘を抜き、舞の続きを引き継ぐ。

 クリフに守られていた間に拾った舞の剣を、ディーンはイェリンに向けて投げた。

 イェリンを拘束しようと駆け寄った兵たちが、飛んできた剣に慌てて離れる。

 目前に迫った剣を、イェリンはとっさに掴んだ。

 躊躇することなく、再び舞始めた。

『聖剣の舞』は、もともとは二人の剣士が舞うことで成立する勝利祈願の舞だ。

 初恋の少年が、教えてくれた舞。

 クリフと舞い続けるうちに、子どもの頃の思い出が甦ってきた。

 痛みに耐えながら、イェリンは舞い続けた。

 次第に舞へとのめり込んでいき『聖剣の舞』の全てを終える頃には、痛みを忘れていた。

 舞が終わっても、辺りは静まりかえったままだった。

 イェリンの心は、ここ一年以上忘れかけていた充実感に満ち溢れた。

 共に跪くクリフに、イェリンは顔を向けた。兜から覗くクリフの目が、イェリンを見つめている。

 黒々と輝いたクリフの瞳にイェリンの緋色の髪が映りこみ、この世のものとは思われぬ美しい色を作り出していた。いつまで見ていても、見飽きることのない瞳。

 王がゆっくりと手を叩き出すと、辺り一帯が拍手と歓声で満ち溢れた。

 立ち上がったイェリンは、ニーナに剣を渡すと、クリフと供に王の前に進み出た。

「王に剣を飛ばすとは、殺意が有ったとしか思われぬ」

 イェリンとクリフの舞に魅了された人々を叱咤するかのように、大神官が歓声を遮った。

 イェリンを、神兵たちが慌てて取り囲んだ。

 その刹那、イェリンを取り巻く神兵の横を、ニーナが長剣を煌かせ擦り抜けた。

 ディーンに刃を向けたニーナを制したのは、大神官だった。近衛兵達は大神官の後を受け、ニーナを取り押さえた。

「おまえは、たしか、カールフェルト将軍の侍女だな」

「は、はい」

 大神官の問いに、ニーナはおずおずと答える。

「陛下の殺害を、誰に頼まれたのだ」

 険しい口調で大神官が、ニーナを問い詰めた。

「それは、あの……ク、クリ」

 声を震わせながら、ニーナは言い淀んだ。

「ニーナ! 村のことも、かあさんのことも何の心配も要らないよ」

 中年の女の声が届いた。

「お母さん……なぜここに」

 茫然とニーナは呟いた。

 母娘の再会を横目に、大神官は渋面を作った。

「大神官、イェリンもニーナも本当に、王の殺害など企てたのでしょうか?」

 クリフが疑問を口にしながら、探りを入れるように大神官を見やる。

「それとも、ニーナを問い詰めましょうか? なんなら、拷問でも」

 クリフの口調に、イェリンは悪寒を感じた。今にも喜んでやりかねないようすだ。

「いや、そこまでは」

 先程までの勢いはどこへ行ったのか、大神官は弱弱しい声で口籠る。

「しかも、その剣では人を殺すことはできないはず。そうですよね」

 クリフの言葉を受けて、視界の片隅にニーナから奪い取った剣を認めると、大神官は目を閉じた。

 しばらくして、大神官は不気味な含み笑いを上げ始めた。笑いは次第に大きくなっていった。

「いやあ、クリフ殿の心眼には驚きました。まあ、これは、たんなる余興。いかなる凶行にも対応できると、この場を借りて人々に知っていただくための、いわば演武です」

 全てが自分の計画によって行われたと言い切る大神官の口調は、余裕すらうかがえる。だが、大神官の笑みの中に、一瞬、クリフに向けられた視線は殺気を孕んだように感じられた。

 大神官は、ニーナにディーンを襲わせ、首謀者をクリフに仕立てようとした。ディーンのクリフに対する信頼を、失墜させようとしたのだろう。

 イェリンと将軍に対する謀反の嫌疑も、本を正せば大神官が言い出したものだった。

 辺境伯という、地位を捨ててまでディーンを支えようとした将軍が疎ましかったに違いない。

 前王崩御の後、若い王に代わって、神殿の発言力はますます勢いづくはずだった。だが、その目論見は外れた。

 ディーンの傍には、実力者のカールフェルト将軍とクリフが付いたことにより、王国としての政治も揺るぎ無い。

 それどころか、アーシャの雨姫を名乗るイェリンが現れ、神殿の体制まで揺るがせかねなくなった。大神官ものんびり構えていられなくなり、いろいろと画策したのだろう。

 ニーナにイェリンを連れて式典に来させたのも、雨姫と騒いだ最初の男も、大神官の差し金だった。

 最初からニーナに、ディーンを討てるとは考えていなかったはずだ。王の暗殺を企てた謀反人として、クリフを王の側近から排除するのが懸命と目論んだのだろう。目障りな将軍も、あれだけの深手を負ったのだから、まず助からないと踏んでいた。

「確かに一興でした。だが、今度は私に告げてからにしてもらいたいですね。寿命が縮むかと思いましたよ」

 イェリンが手を滑らせて剣を飛ばした時も、アンに剣を突きつけられても、動じてはいないように見受けられた王が、笑い声をあげる。

 集った人々の間にも、次第に笑いが広がっていった。

 笑いが納まりかけると、クリフはあらたまって口にした。

「それでは、これより数時間ののちに雨が降れば、イェリンは女神アーシャに愛されし者として認めていただけると」

「まあ、女神アーシャを祀る神殿を前にして、雨を降らせられる人間がいるとすれば、それは女神アーシャの奇跡に違いありません」

 大神官の口調は、余裕すらうかがえる。だが、大神官がクリフに向けた笑みは、殺気を孕んでいるように感じられた。


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