―― エピローグ2 ――
大変申し訳ありませんが、このエピローグは部分のみを掲載いたします。理由は「あとがき」に記載いたします。
常緑樹の葉が、冬の冷たい風に揺れている。冬の空は、昼で天気だというのに、暗い色に沈んでいる。子供たちが遊ぶ声。午後4時。庭を開け放って子供たちを遊ばせている老人は、じっと、ガラス張りのテラスから見ていた。
老人の名前は、トナレイ・イリウス・ザーリップ、五十九歳。妻が先立ち、さらに息子も先立った。彼はパレッケルク離宮でひっそりと暮らしていた。先帝(つまり彼の息子)の業績があまりにも大きかったので、トナレイの業績は霞みがちである。否、人々は、既に、彼が町を歩いていても、知らない振りをする。いや、本当に知らない。熱情王と称された先帝。さらに、ザーリップ家始まって以来の女性当主たる今上。既に話題豊富なのに、なぜ、わざわざ地味なトナレイなど持ち出さねばならんのか?
ノックの音。
「どうぞ」とトナレイは応じる。
「あの、アンナ・カーニエさまが、お目どおり願いたいと」と執事。
「通してくれ」
「失礼します」と女帝、義父の居室に入った。彼女は、執事を一瞥する。執事は、女帝の冷たい目(青みがかっていると、特に冷たく見える)で見られて、そそくさと退散した。
「少し、お話があるのですが」
「ちょうど良かった」とトナレイ、「私も話がある。そこにかけなさい」
アンナ・カーニエは、ちょこんと、ソファーに座った。
「お義父さま。私は命を狙われております」
「らしいな」と、義父トナレイ、外で遊んでいる子供たちを見つめたまま答えた。
「私は、その件について、いろいろ調査しました」
(中略)
彼女は、胸につけていたブローチを、そっと触れる。アルトノーミが献上した、先帝の立体映像が飛び出る仕掛けの物である。
「先帝陛下は、そのように仰ってくださったのです。文化を血によって相続しなくても良い。ただ学習のみによって相続する、と」
「しかし……」
ノックの音。アンナ・カーニエが応じる、「どうぞ」
どやどやと、白衣を着た者が、中に入ろうとする。
「すぐ終わりますので、そこでお待ちください」とアンナ・カーニエ、白衣の者たちに。
テーブルの上には、資料の山の他に、ワインの瓶と、グラスと、アルミニウム製缶入り炭酸飲料があった。アンナ・カーニエは、今朝の新聞の切り抜きを、鞄の中から取り出した。トナレイは、それを取る。
「アルミニウム製缶入りの炭酸飲料には、少量のアルミニウムが解けこんでいるそうです。ところが、その飲み物の中のアルミニウムは、徐々に脳に溜まっていき……」
彼女は、テーブルの上からアルミニウムの缶を取り上げた。
「ある日、レミェッヒツェル氏病を引き起こす。レミェッヒツェル氏病、すなわち、巷でいう、いわゆる認知症の一種です」
アンナ・カーニエは、その缶をトナレイに突きつける、「あなたは、そのレミェッヒツェル氏病にかかっておられます。その症状が見られると、医師の診断も用意してあります。そこで、あなたには心おきなく、このパレッケルク離宮の地下室で、治療に専念していただきます」
「寛大なイリウス」という意味の名前のトナレイ・イリウスは、さすがに怒った。単なる言いがかり(記事は「アルミニウムによる可能性を示唆」に止まっていた)で「認知症」という病名を押し付けられた上、パレッケルク離宮地下室への幽閉を宣言された。だが、最も腹立たしいのは、白衣の若い男たちが、力ずくで彼を幽閉しようとしている事である。
「こんな事をして良いと思っているのか。歴史は、歴史は、きっと私の味方だぞ」
当初、アンナ・カーニエは「啓蒙君主」と呼ばれていた。だが、もはや「啓蒙」の字に決別の辞を突き付けていた女帝は、冷酷に宣言する。
「それは、歴史自身が決めることでしょう」
義父を幽閉したアンナ・カーニエ・ザーリップは、パレッケルク離宮を後にした。
時という確固たる地盤の上で、人々はあらぬ方向へと流されている。人は、これを「時が流れる」と称する。そういう錯覚を与えている意味では、時間は冷酷であった。
帝国紀元221年、すなわち砂賊討滅戦争から10年後。アンナ・カーニエは共同統治者たるアーリア・ライラに譲位した。さらに10年、帝国紀元231年。「あなた、私、やっと眠れる」の語を残して、アンナ・カーニエは死去、夫の後を追った。
彼女の遺言通り、遺体はネアーレンスの首都ヴェン・トゥルミユ(新トゥルミス)に埋葬された。おさまらぬのは、ザーリップ家の霊廟を擁するパレッケルクである。パレッケルクでは、遺体のかわりに、等身大の銅像を、霊廟のそばに南面する空き地に立てる事を決定した。
芸術家が一人、呼ばれる。彼は渾身の力を込めて、一世一代の作品を作り上げる。銅像のタイトルは、「アンナ・カーニエの栄光」だった。だが、栄光の語は、彼女の実績と比較しても陳腐すぎると判断した芸術家は、あえてタイトルを台座に刻み込まなかった。
だが、ある日、一人のいたずら小僧が、台座に端正な字で落書きをする。台座に落書きされた翌日、警官たちは腕組みして落書きを見ていた。立ち会った芸術家は、大きく頷いた。この字句ならば、台座に彫りこんでも構うまい。芸術家は、慣れた手付きで、その筆跡どおりに、文字を刻み込む。……その落書きが消えぬように。
そして、歴史は、アンナ・カーニエにもトナレイにも平等に、寛大で冷酷だった。二人の名は、世界史の繁雑な暗記項目の中に加えられる。後のアーリア・ライラとその息子、孫たちの功績が著名すぎたため、二人とも、事典には数行で済まされる事が多かった。その意味において、トナレイは、アンナ・カーニエに一方的な敗北を喫した事になる。トナレイ・イリウスの名前は、ザーリップ家の家系図の一部としてしか表現されない事すらあったのである。常に数行でも事典に業績が載ったアンナ・カーニエの方に軍配が上がろう。
彼女は、民衆に、非常に印象的な言葉を使った。その言葉は、本当はトロウスがアンナ・カーニエに告げた言葉。だが、アンナ・カーニエは、亡夫の言葉をそのまま、民衆に伝えている。
元首たるもの、テッフェド(うて、うちかて)の語を使った者はおれど、公の場で「リュイック(殺せ、撃て)」の語を使うのは当初「はしたない」とされていた。ザーリップ家では、彼女がその語を使った最初とされた。しかもその言葉が、彼女の歴史的人格とされてしまった。
等身大銅像の姿勢は、彼女がドロンペルペン宮閲兵式でとった姿勢。すなわち、華奢な体に渾身の力を込めて南天を指す。頭に巻かれた包帯は、少し解けかかっている。口は堅く閉じられてはいるが、今にも開きそうである。巧みな表現力によって、風にたなびく髪の毛の感じを上手に出している。そして台座には、彼女が、その直後に檄を発した言葉。
台座に刻み込まれた言葉は、「砂賊を撃て(リユイツク・ルドルフエヴアイオイ)!」だったのである。
(完)
中略部分には、「推理小説」でいうところの「確信部分」があります(もっとも、ここがなくても、概略は掴めそうですが)。・・・さて、本作は、出版を検討しております。「出版されたら買う」という人が多ければ、「中略部分」を含めて出版する予定です。少ない、無反応のようならば、出版は見送るかもしれません(というのも次は3冊目であり、本作は多少古いようにも思えたからです)。