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(68)フロイデントゥク、聖アンナ教会、3月31日正午

 正午の鐘が首都に鳴り響く。ただの時報ではあるが、ある者にとっては、特別な音色に聞こえるだろう。特に、結婚式をあげる新郎新婦にとっては。


 新郎は背が高く、そして古代アイドニア彫刻のような彫りの深い顔立ちをしている。髪の毛と瞳の色は、濃いブラウン。それに色白い肌が、白のタキシードによく映えている。ただ難があるとすれば、食生活の影響から、腹が出始めている事ぐらいであろうか。

 新婦も、同様に、背が高い。が、新郎と並ぶと、一対の美術品でもあるかのように、美を競い合っている。新婦の側の難点は、新郎よりやや年を取っている事ぐらいか。


 新郎の家も、新婦の家も、この挙式には困惑している。参列者のうち、あまり喜ばしそうな顔をしていない者が、伯父・伯母といった一族連中である。まあ、婚約して3日もたたぬうちに式を挙げたのだから、困惑するのも無理なかろう。


 東方派教会らしく、中身の装飾・レリーフ・ステンドグラスの題材は、古代トゥアネンウィンのエピソードに溢れている。その点、ラモキエラ大聖堂などの中央派に比べれば、「装飾が芸術的に統一されていない」という批判を受けるのも無理からぬ話である。


 「ティムス家のラタキナ・アンナ。そなたは、これなるアルトノーミ家のサランノを夫とし、病めるときも健やかなりしときも、終生、苦楽を共にする事を誓うか」

 「誓います」

 「そなたに神と聖ユビウスの御加護がありますように」

 祭司は、新婦に祝福を与え、新郎に向き直る。

 「アルトノーミ家のサランノ・イリウス。そなたは、これなるティムス家のラタキナ・アンナを夫とし、病めるときも健やかなりしときも、終生、苦楽を共にする事を誓うか」

 「誓います」

 「そなたに神と聖ユビウスの御加護がありますように」

 祭司は、聖壇の前に立つ新郎新婦の、お互いを握り会う手に、赤い「聖衣の断片」を乗せる。

 「神フロイデ、神仙カスンキー、聖人ユビウスの名において、ラタキナ・アンナとサランノ・イリウスの婚姻を宣言する。万物に神の恵みがありますように」


 政府関係者の出番である。ラルテニア内務省役人が、昇殿を許される。一礼して、彼は「婚姻届」と革で装丁された書類を差し出す。

 サランノはラタキナに先に、名前を書かせた。彼女は「ラタキナ・アンナ・アルトノーミ」と署名した。ふと、彼女はほほ笑む。……最初は、嘘の名前だったのに、本当の名前になってしまった。

 サランノは、彼女の下に、「サランノ・イリウス・アルトノーミ」と書き記した。無表情の役人は、ふっと、とびきりの笑みを見せた、「お幸せに」


 外では、群衆や、新郎新婦の一族が集まっていた。新郎新婦が出て来る。彼らには、十二時の教会の鐘が、祝福、福音に聞こえる。


 そっと、目立たない黒色の小型乗用車が、教会の前の小さい広場に止まる。中からは、淡い紫色のスーツの上に淡い灰緑の軽いコートをつけた女性が降り立つ。その美しい顔立ちの女性は、じっと新郎新婦を見つめていた。まだ射すように冷たい3月(ジペニア暦では1月)の風が、彼女の金髪をたなびかせる。

 新郎新婦は、その女性の姿を認めた。作り笑顔は、一瞬にして消え去る。群衆の外から見つめていた女性は、笑顔で、大きく頷いた。……幸せにおなりなさい。


 サランノは、「女帝陛下」と呼びかけようとした。が、口は開くが、声にはならない。それは、隣のラタキナも同じらしかった。

 そもそも、どうやって、この二人が結婚に至ったか。先日、午後の紅茶の折、女帝は、「たとえ、うやむやにするにしても、このラタキナさんを、すぐには釈放できない」と言ったのである。

 「だって、いつ、私の命を狙うか、分からないでしょう?」

 「大丈夫です」とサランノは安請け合いした。

 「じゃ、責任を持てるかしら?」

 「できるかぎりのことは、致しましょう」

 「ラタキナさんを一生監視して、ラタキナさんから私を守る方法が、おあり?」

 サランノは反論する、「私が何を決めても、既に、女帝陛下は、その方法とやらを考えていらっしゃるのではないですか」

 アンナ・カーニエは、寂しそうな苦笑をもらした、「そこまでばれていちゃ、仕方がない」

 ラタキナは、女帝を不安げに凝視している。

 「あなたにとっては辛い決定になるかもしれないわね」と女帝、「あなた、このサランノと一緒に暮らしなさい」

 「それは、私をアルトノーミ家の座敷牢に幽閉するという意味ですか?」

 「座敷牢にするか、どうするかは、サランノさんにまかせます」とアンナ・カーニエ、「私が欲しいのは、サランノさんの、ラタキナに対する責任」彼女は、紅茶茶碗を机の上に置いた、「あなたたち、結婚なさい……」

 こうして二人は結婚した。乱暴な話ではある。無理やりひっつけられた二人ではあった。が、なぜか気が合ったりしたので、結婚式当日には、すっかり他の新婚夫婦と変わらない有り様になっていた。そう、もはや、二人は、相思相愛の間柄になっていたのである。


 実は、女帝には、もう一つ、思惑があった。Wの配下にあったティムス男爵家が、女帝側についたという事をアピールさせたかったのである。そう、これで、宮廷陰謀の勢力地図は、ある程度彼女に有利に、塗り替えられるだろう。


 彼女は悲しく思う。……こんな考え方、陰謀と策略ばかりだなんて。

 だが、アンナ・カーニエは、ラタキナとサランノのアルトノーミ夫妻がこちらを見ている事を思い出し、もう一度作り笑いをして頷いた。


 女帝は、来た時と同じように、そっと車に乗った。

 「もうよろしいのですか」と運転してきた侍従。

 「ええ」とアンナ・カーニエ、「パレッケルクにやって」

 「パレッケルク? ドンパロイでもなくクロイゼドラウグでもなく?」

 「ええ」とアンナ・カーニエ・ザーリップは深く頷いた。

 「お義父さまにお会いしたいのです」

 十二時の鐘は、まだ鳴り続いている。ある者にとっては苦行からの解放。ある者にとっては、せっかくしていた仕事の中断を意味した。アルトノーミ夫妻にとっては、神の祝福。そして、ごく少数の者にとっては、ヴァストリアントゥオに対する弔鐘。女帝にとっては、陰謀の渦巻く海への船出を告げる鐘、あるいは自分自身への訣別の辞であった。


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