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(67)フロイデントゥク、クロイゼドラウグ宮殿、3月28日午後4時10分

 アンナ・カーニエは、執務室の机に両手をつき、頭をその上にのせるような姿勢をしていた。目は机のうえ。見開いてはいるが、見えてはいない。実は、彼女は、半分眠っているのである。彼女の毎日は、昼も夜も、常に目覚めていて、かつ、常に眠っている。

 ブザーの音。反射的に、アンナ・カーニエは受話器を取っていた。

 「はい、執務室のアンナです」

 「サランノ・アルトノーミ氏が見えられました」

 「はい、分かりました」


 彼女は起き上がる。そして、部屋に置いてあるすべての時計を、16分、遅らせる。紅茶の用意。紅茶茶碗を手早く暖め、ポットを暖め直す。バターをふんだんに使って焼いたスコーンと、スコーンにつけるジャムと生クリームも用意した。……その、いそいそとした態度は、まるで、夫を迎えようとする新婚の妻のよう。

 ……まさか。


 彼女は、今はなき夫の肖像画を見上げる。

 「砂賊を撃て」

 もう、討ち果たしました。

 「帝国紀元300年まで、わが死体を冷凍保存せよ」

 できています。その頃には、陛下の望まれた世界になっているでしょう。

 「アーリア・ライラを守れ」


 ふと、アンナ・カーニエの顔は曇る。Wの問題があったからである。Wは何者か。彼女は、見当はつけてある。だが、確たる証拠がない。証拠を握る人物が、どこかにいる事は確かだが。


 すっと、アンナ・カーニエは机の椅子に座る。外に立っていた侍従の手により、ドアが開かれる。サランノ・アルトノーミの入室。

 「どうも、遅れてすみませーん」

 「いえ、時間ちょうどですわよ」とアンナ・カーニエ、時計をみる。時計の時刻は、ちょうど長針が動いて4時1分になった所だった。

 「いろいろと大変でしたでしょう。さあ、紅茶をどうぞ」

 「あっと」とサランノ・アルトノーミは右手で紅茶茶碗を押さえる、「スコーンで手を汚す前に、お渡しする物がございまして」

 アルトノーミは小さな箱をアンナ・カーニエに手渡す。

 「何かしら?」

 アンナ・カーニエは、箱を開けた。豪奢なデザインのブローチだったのである。

 ふと、女帝は、顔を曇らせる。ブローチのデザインが気になったのである。

 題材は、雷鳴を従え、麦の穂を抱く聖カーニエ。当初、古代トゥアネンウィンではカーニエもアンナも同一人物であった。喉の音を重視したカーニエが北方に入り、喉の音を無視したアンナが南方に入った。両地の言語は異なり、また、風土の違いから、同一人物から別々のエピソードが派生した。結果、アンナとカーニエは別の聖人として列聖されるようになったのである。


 今、両方の聖人の名を有する女帝は、デザインの気に入らない所を発見していた。稲妻を従えているデザインが、気に入らないのである。……トロウス・ゴルティを従えるカーニエ(アンナ・カーニエ)ですって? そんなデザインを許せるのは、先帝本人一人しかいない。

 彼女は、不満そうに、「雷鳴」を押した。ブローチの表面が、ぱかっと開く。……中に何が?

 中には何もない。アンナ・カーニエはサランノを見た。サランノはブローチを受け取り、机の上に置いた。……その時!


 アンナ・カーニエは信じられぬ物を見た。部屋の中央に、先帝トロウス・ゴルティが立っていたのである。先帝は、にこやかに笑って、「やあ」と手をあげる。

 「あ、あなた……」

 先帝は、きょろきょろと左右を見回し、自分を指さす、「私?」ふふ、と先帝は笑う。そして、にこやかに笑って「やあ」と手をあげる。きょろきょろと見回し、自分を指さす。笑う。手をあげる……。


 アンナ・カーニエは、立体映像のオルゴールを、涙を流してみつめている。……効果が強過ぎたか。ぱちん、とサランノ・アルトノーミはブローチの蓋を閉じた。立体映像は、何もなかったかのように、消滅する。

 「いわゆる、立体ホログラムというやつですのね」

 「ええ、先帝陛下が王立学院に来られた時に、撮影した物です」

 「でも、あの様子だと、まだ元気だった頃の……」

 「そうです。で、先帝陛下が、女帝陛下に贈るべく、民間に依頼したブローチが宙に浮いていましたので。本来、先帝の写真を入れるようになっていたのですが、この度、改造して、立体映像オルゴールをセットしてあります」

 「でも、なぜ……」

 サランノ・アルトノーミは、涙に濡れた女帝の顔を見て、思わず本当の理由をしゃべってしまった。

 「いえ、その。女帝陛下が、お寂しそうだったので」

 アンナ・カーニエはハンカチで涙を拭い、アルトノーミを見据える。

 「どうやって、私が寂しそうにしていると、知ったのですか」

 はて、何かまずい事を言ったか?

 アンナ・カーニエは、表情を和らげて、もう一度質問を繰り返す。

 「どうやって、私が寂しそうにしていると、知ったのですか」

 そのとき、サランノ・アルトノーミは、女帝のCの発音が、ひどく耳障りに響いている事に気づいた。ルブソール訛りである。仮面の裏を探り当てられた女帝は、もはや、アンナ・フォイヴォ(執務室のアンナ)の仮面をつけようとしていない。

 「私は、あなたの前では、精一杯、楽しそうに振る舞ってきたはずです。いいえ、少なくとも日中は、明るく振る舞ってきたはずです」

 アルトノーミには答えられない。まさか、友人のグレッグ・ガイリエブの趣味が盗聴で、女帝の寝室を盗聴しているとは言えない。その事をガイリエブがアルトノーミに告げたときに、「女帝の夜は寂しそうだ」と言っている。

 「どうやって、私が寂しそうにしていると、知ったのですか」女帝は、三度、同じ質問をアルトノーミにぶつけた。

 「私は、私の寝室が盗聴されているのを知っております」と女帝は、アルトノーミにとって爆弾発言を行う。「合計、5つです。1つ、体制監査委員会の物。2つ目、Wなる人物に命じられてレゲム・ノタンノスが設置した物。3つ目、ジペニアのスパイが仕掛けた物。4つ目」と、アンナ・カーニエはいたずらっぽい笑みを浮かべる、「私が、グレッグ・アクスープに命じて設置させた物」


 自分で自分の部屋の盗聴をさせた? 彼は困惑している。だが、女帝は、「グレッグ」と言ったときにアルトノーミがピクッと反応したのを見逃さなかった。


 「さて、問題。5つ目の盗聴器は、誰がつけたのでしょう。あなたなのですか、サランノ・アルトノーミさん?」

 「私です」とアルトノーミ、嘘をつく。

 「嘘」と女帝は決めつける。

 「本当に、私です」とアルトノーミ、主張する。

 アンナ・カーニエは溜め息をつく。アルトノーミは、頑なに座っている。

 ブザーの音。アンナ・カーニエは受話器を取る。

 「こちらの話者はアンナ・カーニエです(ウラヴオ―グ・アンナ・カ―ニエ)」彼女はルブソール語で応じた。

 当惑しながら侍従が報告する、「二人目のお客様が見えられました」

 「通してちょうだい」


 二人目の客は、手錠をかけられたまま、入室した。

 「不便でしょうけれども、我慢していてくださいね」

 二人目の客は、ふん、と鼻で笑う、「さっさと殺せばいいでしょう!」

 アルトノーミは、二人目の客を見上げる。ラタキナだった。……なぜ、ここに?

 「この方を紹介いたしましょう。ティムス男爵家の令嬢で、ラタキナさんといいます」女帝はほほ笑む、「でも、もう、ご存じかしら?」

 「……ええ、というのか、いいや、というのか」

 「ふん。ラタキナ・アルトノーミと名乗っていたからね。なぜ、私をここに連れてきたの? こいつに、私を殺させるため?」

 「まあ、落ち着いて、紅茶でも、いかが?」と女帝。ラタキナ・ティムスは、手錠をかけられた両手を突き出す。

 「こんな手で、どうやって午後の紅茶を楽しめ、と仰るのですか」

 「両手でカップを握ればよろしいじゃありませんか」とアンナ・カーニエ、「スコーンのお好みは、アルトノーミさんが手伝ってくれるでしょうし」

 ラタキナ・ティムスは、アルトノーミを見た。アンナ・カーニエも、アルトノーミを見る。

 「少なからぬ好意を抱いていらっしゃるのでしょう」

 サランノ・アルトノーミは無言で頷く。

 ラタキナ・ティムスは、首を横に振る。


 「陛下」とアルトノーミ、「この方は、どうなるのですか」

 「死刑」と女帝はつれない。「でも、あなたが協力してくださるのなら、大赦を与えても良いですわよ」

 「ごめんだね」とラタキナ。

 「私がすべてをしゃべれば、彼女を許してくださるのですね?」

 女帝は頷いた。アルトノーミは、事実の一部を、全部であるかのように報告する。

 「確かに、私は、女帝が寂しそうだと聞きました。でも、誰から聞いたかは分かりません。王立学院の噂を聞いただけなのですから」

 アンナ・カーニエは、溜め息をつく。「まだ、嘘をつくの?」

 「嘘だなんて」

 「その答えを予測していなかったとでも、思っているのですか」

 え?

 「王立学院での覆面アンケート調査結果が、ここにあります。『女帝をどのように思うか』上位から順番にいきましょうか。偉大、寛大。情熱的。けなげ。皇位纂脱者……。そして、一番下の一人だけが、『寂しそう』と答えました。……つまり、私が寂しそうにしているという『噂』は、成立しえないのではないですか。いかがお考えです?」

 アルトノーミは、深刻な顔をして、紅茶を喫する。

 「ねえねえ、何がそんなに問題なの?」とラタキナ。

 「Wなる人物が誰かを知っていて、証拠を握っている人物を知りたいのです」と女帝。

 「ばっかみたい。西方世界では『どのような人の事か』だなんて常識だし」とラタキナ、「私、その人の名前はおろか、電話番号まで知っているわ」

 「あなたが、Wを知っていても、証拠にはなりません」と女帝は応じた、「知っている、とか常識、とかいうのではなく、確実な証拠が欲しいのです」

 「じゃ、私がここに来たのは、どのような意味があるの?」

 アンナ・カーニエは、くすっと笑う、「男二人、女二人、それでちょうど釣り合いが取れると思いましたのよ」

 しかし、この場には、三人しかいないが。

 ブザーの音。「お客様が到着なさいました」

 次に入って来たのは、そのグレッグ・ガイリエブだった。アンナ・カーニエは、非常に満足する。筋書き通りの間隔で、彼女の「午後の紅茶」の席にやってきたからである。

 「さあ(チエテイ)、紅茶をどうぞ(ヤハト・アン・マフ)」とアンナ・カーニエ、ルブソール語を使う。ルブソール語圏出身のグレッグ・ガイリエブは、母国語を聞いて、大いに顔を綻ばせる。

 「感謝いたします(アビソ―プセイ)」ガイリエブは、受け取った紅茶の薫りを味わう、「ううん、大変(ニト―・)素晴らしい(スカロクス)」

 「ご質問があるのですが(エチユラゾプ・アギラゼンキヒ)」と女帝、いきなり用件を切り出す。

 「はい(アド)、陛下(ヴエヒサク・ツエヒザミヤ)、なんでしょう(キオドグ)?」

 ルブソール語で続けられる会話に、アルトノーミとラタキナは、居心地の悪い思いをする。

 アンナ・カーニエは、アルトノーミを示した。

 「こちらのかたに、私がどうしたとか言いませんでしたか(ユフ・リラヴオグ・アイエン・カク・アイ)……」

 彼女は自分自身を示す。次の語を、他の二人にも分かるように、彼女は、わざとシルニェ語で話した。

 「寂しい、と(ダ―ス)」

 ガイリエブは、なぜ、そこだけシルニェ語になったのかが、分からない。そこで、彼も、シルニェ語に切り替えた。

 「ええ、そのように話しましたけど」

 サランノとラタキナは、非難するような目で、ガイリエブを見た。どのような時に、その話をしたか思い出したガイリエブは、しどろもどろになる。

 「いや、その、そうは言っても……」

 「いつ、私が寂しいと、アルトノーミさんに話されました?」

 ガイリエブは逃げ道を見つけた。

 「『寂しい』ではなく、『寂しそう』です、陛下。まあ、その、直感というやつで。はい。テレビに映される顔などは……」

 「その時の顔は、寂しそうじゃなかったでしょ?」

 「いや、その……」

 アンナ・カーニエは、引き出しから、ある品物を机のうえに、とん、と置いた。グレッグ・ガイリエブの目は大きく見開かれる。

 「これは、私の寝室にあった盗聴器の一つです。ただ、指紋が検出されたのは、これだけです」女帝は、紅茶茶碗を置いた。「皆さんは、紅茶茶碗を手にされましたよね?つまり、指紋がついているはず」

 グレッグ・ガイリエブは、そっとカップを置き、自身の手を見る。

 「つまり、この中の人の指紋と、この盗聴器の指紋が一致すれば、その人が、公的情報侵害罪の犯人である……」

 一度、公的情報侵害罪で投獄されているグレッグ・ガイリエブの体が震え出す。

 「しかし、この席は、そんな犯罪を暴くための席ではありません」

 アンナ・カーニエは、にっこりと笑って、テープレコーダーを取り出した。

 「もっと、楽しく話をしましょうよ」とアンナ・カーニエ、「われわれは、犯罪者同志なのですから」

 「私もですか」とアルトノーミ。

 「公的情報侵害幇助(ほうじょ)」と女帝は明るく答えた。

 「女帝陛下が犯罪者?」とラタキナ。

 女帝は、テープレコーダーを指さした、「公的情報侵害罪です」

 グレッグ・ガイリエブが凝視するなか、カセットテープが動き始める。

 ……紳士淑女の皆さん、今日は。

 「あっと、違う」女帝は早送りのボタンを押した。

 テープの音声が再生される、「いや、その。夜はかなりお寂しいようだと」とガイリエブの声。アンナ・カーニエは、少しテープを飛ばした、「お前ねえ。まさか、隠しカメラで覗いているのじゃあるまいな」「いえ、こちらの方で……」

 女帝は、「一時停止」ボタンを押した。

 「ガイリエブさん、あなたは、何かジェスチャーをしていますね。一体、『どちらの方』だとアルトノーミさんに言ったのですか?」

 ガイリエブは俯いている。

 女帝は、優しく頼む、「お願いです。教えてください」

 ガイリエブは、俯いたまま、自分の手を右耳に持っていった。

 「つまり、このマイクを仕掛けたのは、あなただというのですね」

 ガイリエブは、力なく、頷いた。

 「やっと、これで、お話しが聞けますわね。あなたは、さらに、『宮廷に渦巻くいろんな陰謀を聞ける』とも言っていますよね?」

 ガイリエブは、もう一度頷いた。

 「じゃあ、あなたは、Wが誰で、誰が『Wである』という証拠を握っている人物であるか。その件を知悉しておられるのですね」

 ガイリエブは、ためらいがちに、頷いた。

 「『Wがこの人物である』という動かしがたい証拠を握っている人物は、一体誰です?」

 グレッグ・ガイリエブは、答えない。

 「教えてください。われわれ全員の犯罪をうやむやにするには、あなたの答えが必要なのです」

 「ラタキナ令嬢の罪も、ですか?」

 アンナ・カーニエは、深く頷く。一同の視線が、グレッグ・ガイリエブに集中する。

 「答えてください」

 無言でうつむいていた彼は、小さく頷いた。彼、グレッグ・ガイリエブは、グレッグ・アクスープの名を出したのである。


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