(64)ヴァストリアントゥオ大総督府管内、ザゾ、3月23日午後10時20分
「セレシア人ヌール・ウダマッシュ」は、無力感に苛まれながら、歩いていた。戦時体制下にあるザゾは、この時間、外出禁止令が出ている。そのため、ゆっくり散歩するみたいに歩く余裕はないはずだが。彼は、ヴァストリアントゥオの砂賊討滅戦争を阻止しようと努力してきた。だが、既に「砂賊」は討ち果たされ、残る中立諸部族は、皆、ヴァストリアントゥオ大総督府に服従する旨を宣言していた。
あるときはセレシア人ヌール・ウダマッシュ、あるときはジペニア人カワ・ヒト。しかしてその実態は、連邦体制監査委員会公安局局員。もっとも、彼はサイドワークをいろいろ持っていたのであるが。ある建物の壁に、かれは背を寄せる。
「諸国民の名において、蛙を食するのは……」
「諸国民の名において、それは、すべての国民である」と女の声。合言葉を確認した「ウダマッシュ」は、女の顔を見た。タクジェトにおける顔なじみの娼婦、エレア・ラマンダだった。
「き、君が、Wへの連絡員?」
「そうですわよ、若様。その封筒をくださいな」
訝りながらも、「ウダマッシュ」は、自分の封筒を手渡す。
中身を確認したエレア・ラマンダは、にっこりと笑って、鞄から拳銃を取り出した。銃口は「ウダマッシュ」に。
ばっと、「ウダマッシュ」は歩道に伏せ、サイレンサー付き拳銃を撃つ。エレア・ラマンダの腕に命中。エレア・ラマンダは書類を持ったまま逃亡する。
「待て」彼は起き上がって追いかけようとする。起き上がれない。左肩に銃弾が当たって力が入らないだけではない。拳銃をもつ「ウダマッシュ」の右手を別の男が靴で踏み付けていたのである。「ウダマッシュ」は、その男を見上げた。
「お、お前は……」
「悪いな。彼女は、こちら側の人間だったのだよ。二重スパイではない。三重スパイだ。ジェグズイのためのスパイをもロジェタでやっていたからな」その男、Xことイリウス・クセイレヌスは懐から拳銃を取り出し、サイレンサーを取り付けた、「だが、忠誠心は、常に、われわれ側にあった、という事だ」
男は、銃口を「ウダマッシュ」に向けた。そして、地面でもがいている男の本名を口にした。
「さらばだ、オルテップ・ティムス」
ある時はヌール・ウダマッシュ、あるときはカワ・ヒト。そしてその実態は『惑星日報』新聞記者をサイドワークにしていた公安局局員オルテップ・ティムス。彼の後頭部は撃ち抜かれ、即死する。Xは何げなくサイレンサーを拳銃から外し、その場から立ち去る。
死体は、翌日、「身元不明人」として、処理された。