(56)ヴァストリアントゥオ、タクジェト、3月15日午後7時30分
オルテップ・ルートは時計を見た。ちょうど7時30分。よく、フロイディアの輸送機は「時報より正確」と言われる。もっとも、「その割に、中身はめちゃくちゃ」とも言われているが。
「皆、世界正義のため、がんばろう」と副官セノラット。一同の反応は鈍い。飛び交う弾丸、飛び散る肉片。止むことのない爆発音と不快臭。そんなまっただなかに輸送機から落とされ、何が「世界正義」か。兵士たちは不満を感じるが、口には出さない。退役する日だけを待ちわびている。
しつこく「世界正義」という言葉を口にする副官を、しかもなんとかその言葉で鼓舞しようとしている副官を、オルテップ・ルートは見た。首を横に振る。せめて、「生き延びて、揃って生きて帰ろう」という激励のほうが士気は上がるのだが。まだ、「はああ、ババ引いたあ……」と呟きながら真っ先に任務に赴くクルールスの方がマシではなかろうか。……だが、幸か不幸か、彼は重傷者として、後方に送られた。今はハノイスの病院で療養していると聞く。
オルテップ・ルート空挺隊長は、もう一度首を横に降り、手元の「説明書」に視線を落とす。彼は、手渡された「強壮剤」の説明書を見ていたのである。
「定められた分量をお守りください」
これは、分かる。薬の説明書の常套語だ。しかし、「注射直後、虚脱感があります」「心臓の弱い方は、使用をご遠慮ください」というのは? しかも、「即効性です」とある。……本当に「強壮剤」か?
「隊長」と兵卒、受け取った薬と注射器を配りながら言う、「二人分、足りません」
「兵卒全員には行き渡ったか?」
「……ええ、まあ」
兵卒用?
オルテップ・ルートは思い当たる。上層部は、おそらく、無水カフェインか何かと麻薬の混合物を「強壮剤」として手渡しているのではあるまいか?
オルテップ・ルートは、こっそり溜め息をつく。「強壮剤」が必要になるほど士気が衰えているとは思えないのだが。
空挺隊は降下を開始する。彼らは、「体がだるいな」と感じる間もなく、風に乗って降りていく。地上のジェグズイ兵は気づき、恐慌状態で銃撃する。……兵卒には、火線が自らを「よけて」通っているように見える。……「強壮剤」による効果だった。
空挺隊員たちは、手早く落下傘を背中から外し、瓦礫の物陰に隠れる。
手榴弾の応酬。銃撃。フロイディア兵たちは、すぐにジェグズイ兵を圧倒する。大胆な者がひとり、敵の塹壕に飛び込んだ。銃の連射。生き残ったのは、そのフロイディア兵のみ。
彼らは軍政ビルを探した。が、都市には、もはや、「ビル」と呼べる建築物が見当たらない。見渡すかぎり、瓦礫の山。
娼館の跡地に、一人、ぼろきれをまとった男がいる。フロイディア兵はセレシア語で訊ねる。
「おまえは何者だ(ユグツアハグ)」
「下手くそなセレシア語だな(タンマル・レジエム・セレシエ)」と男は答える。
「『タンマル・レジェム・セレシェ』がお前の名前か」
「ゾンジャル総統」
目的の人物だ!
「これにサインをしろ」と兵士の一人、右にシルニェ語、左にセレシア語で書かれた文書を手渡す。他の兵士は、銃を構え、サインしないならば殺すべく、待機する。
降伏文書。元首の権限により、主権をフロイディア連邦政府に委譲する。なお、併せて、自国民に、フロイディア連邦政府の統治下に入るよう要請・命令することを誓約する。ジェグズイ地方自治政府元首、総統……。
「そこにサインするのだ。それとも、何か文句でもあるのか」
「……命令するという語のセレシア語の綴りが違う」
「サインするのかしないのか?」銃口はゾンジャルの頬に突き付けられる。
ゾンジャルはサインした。