(53)ジペニア首都ドンチン、3月13日午前11時(現地時間午後8時)10分
料亭の勝手口に、大型乗用車が停まる。車からはナカ・ヤス首相が降りてきた。ナカ・ヤスは周囲を憚る。そして、勝手口をノックした。
「あら、先生」と女将が勝手口を開ける、「皆さん、もうお集まりですよ」
無言でナカ・ヤスは料亭に入る。そして、薄暗い廊下を女将について歩いていく。
女将は、とある一室で中に声をかけた、「お着きです」
すっと、内側から襖が開けられる。カナ・シンが赤ら顔を首相に向けた、「遅かったな。もう、始めとるよ」
「あ、ナカ・ヤス先生、どうぞあれへ」とタケ・ノリ幹事長が首相を上座に招く。
「全く、国家存亡の危機と言うのに」と首相はつぶやく。
「大丈夫だろう」とカナ・シン。
「何が大丈夫なものか」と首相が座る。すかさずタケ・ノリが、首相の杯に酒を満たした。
「関東軍はシナンを席巻し、ノビエンを超えて内海コニテチスまで進撃する勢い。東セレンス旧都グリオンの陥落も近いですぞ」とカナ・シン。
「ところが、ですねぇ……」とサワ・キチ外相が口を挟む、「今日、非公式訪問してきたラルテニア外務次官と会談いたしまして……。ちょっとした内部情報を教えていただいたのですよ」
「それはいったい?」とハマ・コウ。
「今回の、フロイディアの、東方防衛線の概要」とサワ・キチが盃をあおる。
「ほう?」とカナ・シン、杯を手にしたままサワ・キチを凝視した。
「フロイディアは、アルサット川流域に陣地を構築しているそうです」サワ・キチはさらに杯をあおる、「つまり、わが軍がグリオンに達する前に、迎撃される、というわけです」
「コニテチス海の東岸までは進めるのだな、すると」
「いえ、それがです、ねえ……」とサワ・キチは言葉を濁す。
「ジペニアの軍旗がサヴァムに入れば、わが国にフロイディアは核兵器を使用するそうだ」とナカ・ヤス。
「より正確には」とサワ・キチ、「ハバック山脈を越えれば、です」
「すると……どうなるね?」とカナ・シン。
「ヴァストリアントゥオに対する不介入」
「今さら無理だろう」とカナ・シン、「ジペニア系軍事勢力のジェグズイを見捨てるのかね?」
「見捨てざるをえません」と首相。
「ジャスタックもかわいそうに」とカナ・シン。
「はあ?」とサワ・キチ。
「うん?」とカナ・シン、「ジャスタックだよ、ジェグズイ総統の」
「ジャスタックは、ですねえ」とサワ・キチ、「ジョンゴンの代表です」
「でした」と、ウノ・スケ、「フロイディア軍に射殺されたそうで」
「ジェグズイの総統は、ゾンジャルと言います」
「そんな事はどうでも良い」とカナ・シン、「あまり同盟国を裏切ると、最後にはコロバスタン合衆国がジペニアから離反するぞ」
「それがな……」とナカ・ヤスは言葉を濁す。
「コロバスタンの大使エルミタージュが、『不快感』を表明しました」とサワ・キチ。
「何について?」
「いや、それが……」
「うん?」
「一連のわれわれの動きについて、です」
「では何か。あのちっぽけな経済立国のコロバスタンは、事もあろうにわがジペニア帝国に内政干渉しようとでも言うのか?」
「奴らは、そのつもりのようです。金をばら撒き始めています」
「だから、どうした?」
「民衆はともかく」とハマ・コウ、「軍需会社と軍隊に動揺が走っています」
「つまり何か」とカナ・シン、「われわれの足元が危ない、という事か」
「極めて」と首相。
「腹をくくればどうかね」
「と言うと?」とウノ・スケ。
「だから」とカナ・シン、「われわれの側から核兵器でフロイディアを先制攻撃……」
「今は、避けたいのですよ」と首相。
「なぜ避けねばならぬ?」とカナ・シン。
「関東軍が暴走した、とヒロ国王陛下に上奏したのですが、お叱りがありませんでした」
「珍しいな」
「いや……それが。突如として、吐血されまして」
「……おい!」
「まだ報道されてはいませんが」
「その件は、私が封じ込めました」とハマ・コウ、「私の子分を使って、報道陣どもを十二分に脅してやりましたから」
「……どうやら、陛下は、十二指腸がん、らしいですな」
「……それで?」とカナ・シン、渋い顔で酒を飲む。
「あと1年ぐらいで諒闇になります。つまり、皇太子殿下の即位の支障となる行動は、慎まなければなりません」
「かと言って」とカナ・シン、「フロイディアが待ってくれるとも思えぬが」
「待つ、そうです」とサワ・キチ。
「何だと?」
「フロイディアも一枚岩というわけでもないらしいのでね」とサワ・キチ。
「フロイディアが一枚岩ではない、と言えば。ところで、フロイディアのWはどうなった?」とカナ・シン。
「W?」
「おいおい」とカナ・シン、「わがジペニア銀行の上得意を忘れてもらっては困る。小国の国家予算に匹敵するぐらいの預金をされている方だぞ。……Wの陰謀をもっと支援してはどうかね」
「いえ」と首相、「あまり効果が期待できません。というのも、Wの陰謀は、ことごとく、女帝アンナ・カーニエの前に失敗していると見られます」
「……では、手詰まり、か」とカナ・シン。
「あのう……」とタケ・ノリ、「グラゼウンをもっと使ってみてはいかがでしょう?」
「弱さでは、ジェグズイと五十歩百歩だぞ」とウノ・スケ。
「いえ」とタケ・ノリ、「グラゼウンを支援するのではなく、支援をもっと滞らせるのです。グラゼウンが滅びるように……」
「うん?」と首相、「何だ、それは?」
「ヴァストリアントゥオなぞに建国するから、フロイディアの攻撃を受けるのです」とタケ・ノリ、「そうではなく、いったん滅ぼして、もっと比較的安全な場所に再建させてはいかがでしょうか?」
「たとえば、クレトウ沿岸とか?」とウノ・スケ。
「ゲベ、とか?」とサワ・キチ。
「シナンでも良いかも知れぬな」とカナ・シン。
「よし」と首相、タケ・ノリに、「君に任せる。ドンチンに滞在しているグラゼウンの代表と、もっと連絡を密にしてくれ」