(51)ヴァストリアントゥオ、ザゾ、ドロンペルペン宮殿、3月12日午後8時40分
特設ステージの上をスポットライトが交錯する。ヴァストリアントゥオ音楽(ただし歌詞はシルニェ語)の激しいビートに合わせて踊る女、ステージに一人。打楽器を濫用した曲に合わせて、汗まみれの体を激しく振る。観衆は席から立ち上がっている。興奮しながら、歌手セレナ・クルーディア・ドラウテンスの歌声に合わせて踊り、唱和している。彼らのだれ一人として、感謝している者はいない。人気歌手ドラウテンスの慰問公演を主催したイクシェメール大将にも、特設ステージの場所として宮殿を開放した女帝陛下にも。ただ、リズムの悦楽に耽っている。
もっとも、女帝本人は、空軍士官の制服を着て、末席で他の女性士官といっしょに手拍子をステージに送っている。イクシェメール大将は、中央の貴賓席で手拍子しながら踊っている。歌手も観衆(これが聴衆と言えようか)も、歌の題名となっている(わざと下手に誤ったシルニェ語の)リフレインを延々と続けている。
「おまえの心を射止めてやる(トウス・ルオイ・トレツヒ)」
最高潮に至って、歌手ドラウテンスは小道具を取り出した。弾倉に空砲の薬莢を詰めた軍用拳銃である。彼女は、この小道具が嫌いだった。発射時の反動が大きい。「こんなのを撃っていたら、腕が太くなっちゃう」からである。だが、周囲を弄する打楽器として、これ以上の物はない。さらに、火薬の匂いが、より大きい興奮を呼ぶので、使わないテはない。
彼女はリズミカルに、数回、空砲を宙に向けて撃つ。わあわあ、と歓声はさらに大きくなる。
「トゥス・ルォイ・トレッヒ、トゥス・ルォイ・トレッヒ!」
歌手は最後の歌詞を口ずさむ、「おまえの心を射止めてやるぅ」
銃口は貴賓席へ。銃声。無骨な電子撥弦楽器が主調の減七和音を、電子鍵盤楽器は下属和音を同時に奏で、とんでもない不協和音で楽曲は終了する。歓声と拍手が鳴り止まない。だが、歌手は青ざめ、貴賓席を見つめている。
貴賓席のイクシェメールは胸から血を流して倒れていた。即死である。最後の薬莢には実弾が装填されていたのである。狙い過たず、セレナ・クルーディア・トラウテンスはイクシェメール大将の心臓を射止めたのであった。
しばらくの後、歌手ドラウテンスは控室で、バスタオルを頭から被って震えていた。汗が冷えたためだけではない。警官や体制監査委員会公安局の人間の、凍えそうに冷たい尋問態度に脅えていたのである。
「もう一度、おさらいしましょうか」と警官、「あなたは、まさか実弾が装填されているとは知らなかった」
「そうですって何度も言っているでしょう……」とドラウテンス、「だから、もっとムーディーな曲にしようと何度も言っていたのに」
「で、実弾から薬莢を外して、火薬を詰め直したのは、マネージャーのあなたですね」
「そ、そうです」とマネージャー、「そのあと、小道具係が確認しましたが、薬莢は全部、空砲でした」
小道具係は、間違いないと断言する。
「で、その曲の最後に、歌手は、正面の人物、この場合は貴賓席のイクシェメール氏に銃口を向ける、と」
その通りです、と歌手とマネージャーが同意した。
「8時以降に、この部屋へ入った人間はいませんでしたか」
「いや、開演と同時に控室には鍵がかけられています」とマネージャー、自分の鍵を取り出す、「その鍵は私と、侍従だけがもっています」
「それでは、8時以降にこの部屋に誰も入れないはずだ、というわけだ」
控室は密室。午後8時30分、マネージャーは控室に置いてあった拳銃を二丁、取りにくる。
「そして、あなたは」と警官、マネージャーに、「その拳銃を、曲の合間に、セレナ・クルーディアさんに渡した、と」
「ええ、弾倉には何も触らず、歌手に、そのまま渡しました」
その光景は、バンド、小道具、大道具全員が、目撃している。警官はうなった。
「そして、『おまえの心を射止めてやる』が始まった、と……」
拳銃をすり替えていない事は、シリアルナンバーから明らか。弾倉をすり替える時間がなかった事も、証言を信じるかぎり、明らか。
「皆さん全員が共謀でもしないと、弾倉をすりかえるられる事はできそうにありませんね」
「そんな!」
「鍵は、私だけでなく、侍従の方も持っておられるのですよ」とマネージャー、反論する。
「ええ、分かっております」と警官、「部下に、侍従の方に尋問させています」警官は、メモ帳を閉じる、「しかし、おそらく、そちらの方も、時間の無駄でしょう」
「いや、われわれは関与していないのだから。恐れながら、あちらの方が関与しているのでは」
「しかし、侍従は、おそらく全員、アリバイが成立すると思うのですよ。われらが母・女帝陛下は連日午後10時まで政務を執っておられます。大体8時半ごろに夕食を摂っているらしいので」
侍従にアリバイがあり、しかも女帝が証人になる。それでは、歌手ドラウテンスに勝ち目がない。一同は不安な面持ちになる。
「常識的に考えて、これは、事故でしょう」
「しかし、私たちは弾倉が全部空砲である事を確認しましたが」
連邦体制監査委員会公安局局員が宣言する。「この件は、国家最高機密として、体制監査委員会が捜査を行います。皆さん、他言無用に願いたい。それから、後日、皆さんに詳しい話をお聞きするようになると思うが、ぜひ、捜査にご協力を賜りたい」