第4部・侵攻(49)ヴァストリアントゥオ、ザゾ、ドロンペルペン宮殿、3月12日午後2時10分
アンナ・カーニエは、ファクシミリで届いた手紙を、繰り返し読んでいた。娘アーリア・ライラからの手紙である。
「連邦内閣首相から、軍人オンクルーヴなる人物の死刑執行書
の副署を求められました。なんでも『敵前逃亡』の罪だとかで。
おかしいですよね?
自分の持ち場を離れたのは事実でしょうけれども、
その結果、敵に対して効果的な攻撃を行えたのでしょう?
私は副署を拒否しました。でも、元老院で可決されれば、
法的に通ってしまいます。お母様、それまでに、イクシェメール大将に、
オンクルーヴを許していただけるよう、頼んでもらえないでしょうか。
連邦内閣によると、この死刑を強要しているのは彼だそうです。
連邦統合軍としては、女帝の信任厚い彼の意向を無視しがたいとも
言っておられました。
よろしく、彼の命を助けてもらえるよう、お願いします。
アーリア・ライラ」
アンナ・カーニエは、イクシェメールを呼ぼうと電話に手を伸ばした。……もし、彼が、コンパーヌ方面軍司令を解任されザゾ方面軍司令に着任した今もオンクルーヴを処罰しようとしているならば、越権行為である。今やオンクルーヴは直属の部下ではない。処罰されるべきは、むしろイクシェメールではないのか。
ノックの音。女帝は手元のファクシミリ用紙を引き出しに収める、「どうぞ」
「失礼します」と侍従、「護衛のロヅァシェールが……」
「彼がどうしました?」
「先程、亡くなりました」
「彼に会わせて」
「しかし、もう……」
空軍士官の服装をしていたアンナ・カーニエは立ち上がる、「空軍病院でしたよね、彼が担ぎこまれたのは」
「そうですが。確かに、空軍士官の服装ならば、怪しまれずに出入りできるでしょうが。……分かりました。彼をここに運んでもらえるようにいたしましょう。謁見室に運ばせましょうか?」
「お願い」
ジャーナリストたちは色めき立つ。身を呈してアンナ・カーニエを守った護衛の死体を、女帝が謁見するという。お涙ちょうだいの良い記事になりそうだが。
「記事としては、インパクトが弱いな」と記者、「大体、あの事件は報道陣シャットアウトの中で起こった事だし」
「とりあえず写真だけ撮っておこうか」
質素な黒塗りの霊柩車が、ドロンペルペン宮に入る。一輪の白いチューリップを載せた黒塗りの棺が、カートに載せられ、宮殿のエレベーターに乗せられる。
「発射された銃弾は2発。護衛は身を呈して女帝をかばい、頭に銃弾を受けた。女帝本人も頭にケガを受けた。その護衛が死んで、謁見の栄誉を賜る。いい記事になりそうなのだがなあ」
「惜しむらくは、われわれが、暗殺未遂の場にいなかったって話だな」
「うむ。そのおかげで、この謁見を記事にしても中途半端になってしまう」
警備兵は黙っている。「発射された銃弾は2発」ではなく、1発である。だが、この手の情報操作は、よくある話なので、彼は口を開けない。……触らぬ神に崇りなし。
「席を外して」と女帝、棺を運んできた者たちと侍従に言う。彼女はそっと、蓋を開けた。安らかな死に顔。金髪のかつらをつけて、色付きのコンタクトレンズをつけて女装をすれば、女帝そっくりの顔になる。声を発するまでは、実父ラルガイン公爵さえ気づかなかったほどである。暗殺者が別人である事に気づかなかったのも、無理はない。
アンナ・カーニエの目に涙がにじむ。
「まだまだ、あなたを必要としていたのに」
「それは、光栄の極みであります」と、そっと入ってきた別人が言う。
あなたに言ったのではない、と言おうとして、女帝は言葉を飲み込んだ。
「なんだ、X君だったの」
「さようでございます、女帝陛下」
「やめて。そんな他人行儀な。ここには、ロヅァシェールと私と君しか、いないのだから。盗聴マイクは全部、外してあるわ」
「信用して良いのでしょうね、ラルガイン同学窓姉」
同学窓姉(レドルラロッシレツィス、「先輩」)の語の舌がまとわりつくような発音と、なれなれしいニュアンスに、旧姓アンナ・カーニエ・ラルガインは苦笑した。
「その方が、遥かにいいわ」
苦笑は、寂しげな笑みに、やがて純然たる悲哀に移行する。
「『ユビウス一世』のグループも、二人だけになっちゃったわね」あとは全員死亡した。
ドンパロイ工科大学付属職業訓練校時代の後輩Xは、無言でアンナ・カーニエの背後に立っていた。 彼は『ユビウス一世』から引用する、「まさに、天賦の才ある者、昇天したまいし」
アンナ・カーニエは続きを無視した、「で、あなたのお仕事は?」
「ここに」とXは封筒を女帝に差し出す。「ただ、ビデオ・テープとリストは、まだ奪取しておりません」
「早くした方がいいわ。少なくとも三つの組織が奪おうと動いているから」
「善処いたしましょう」
女帝は棺の蓋を閉じた。「ご苦労ついでに、非常に簡単な小細工を一つ頼んでもいいかな?」
「局長に内緒でできる事ならば」とXは応じた。