(43)フロイデントゥク、酒場「ヴィーカント」3月10日午後6時15分
調子外れのピアノを伴奏にした景気の良い軍歌が、酒場に充満している。
「諸国民は砂嵐に立ち向かい……」
酒を飲んで歌う類いの人間も「愛国行進曲」も嫌いなWは、不快そうな顔をする。
「いらっしゃいませ」
Wは頷いて、テレビの前のカウンターに座った。他にカウンターに座る客はいない。皆、テーブルで飲んでいる。ここのバーテンダーは彼らに言わせると愛想が悪く、テレビは「つまらない」国営放送しか映らない。Wにとっては気楽に飲めるカウンターも、他の酔客にとっては「陰気で仕方ない」席になってしまうようだ。ただ、他の客にとって都合良く、テーブルで少々騒ごうが、バーテンダーもウエイターも、誰も何も文句を言わない。
Wは一瞥を酔客たちに投げかけた。
「すみませんねえ」とバーテンダー、「戦争景気で、あちらのお客さんたち、もうできあがってしまっているようで」
Wは黙って、テレビを指さした、「上げてくれ」
バーテンダーは頷き、ボリュームを上げた。テーブル客はボリュームが上がった事に気づかない。誰も、「午後の紅茶」というトーク番組を見ようとしていないのだ。
Wは、本来、トーク番組が嫌いだった。「よけいなおしゃべりは嫌い」だからである。だが、今夜の登場人物は、レゲム・ノタンノス。彼としては、ノタンノスが「過去の人」になるか「時の人」であり続けられるか、見極めておく必要がある。
「しかし、政界の人間から財界の人間になられたましたが、その経緯には、何かあったのではないですか」
「いえ」とノタンノス、否定する、「元々、私は内務省逓信局の官吏だった頃から、経済組織の運営に興味をもっておりまして」
「そう言えば、ノタンノスさんはラルテニアの官僚を務めておられましたよね」
「ええ、そうです。平和的な経済組織の運営手段として、ノタンノス財団を設立しました。もちろん、これは医療・教育など平和的な物資生産機関となるでしょう」
「では、『財団』という言葉が持つ意味に反して、ノタンノス財団とは慈善活動団体という話になるのですか?」
「いや、慈善ではないのです」
「……と言いますと? それは、政治的なデモンストレーションと受け取ってもよろしいのですか」
「いや、そうではないのだが、どう説明したら良いのかなあ」
「おい、待て!」とディレクターの声がマイクに入る。スタジオがざわつき始める。「だれか、そいつらを止めろ、本番中だぞ!」
カメラマンがテレビカメラから離れて、男たちを制止しようとした。男は、懐からエフレーデ紋章のバッジを取り出し、カメラマンに見せつける。……結果として、エフレーデ紋章が全国に放送された。
ノタンノスは平然と椅子に座っている。「これは、ドッキリカメラか何かですかな?」
黒の背広を着た男は首を横に振る。
「レゲム・ノタンノス閣下ですね」彼はエフレーデ紋章のバッジ(兼身分証明書)をノタンノスに突き付けた。
「体制監査委員会です」
男は令状を懐から取り出す、「フロイディア連邦憲法に基づく超法規的権限により、閣下を脱税の容疑で拘束します。閣下の財産は、財団、動産および不動産のすべてを、監査対象物件として、責任を持って預からせていただきます。なお、脱税の金額いかんによっては、これらの物件は無条件に押収される事があります……」
ノタンノスは椅子から立ち上がる、「陰謀だ!」大体、生中継の番組の最中に脱税の容疑で逮捕するなど、陰謀以外の何物でもない。体制監査委員会の者たちは、手慣れた調子で、ノタンノスの発言を無視する。
「……閣下の発言は、以後、すべて証拠として採用されえます。その結果、閣下には不利な証拠となる事もありえます……」
男は一歩下がり、左手をドアの方に向けた。
「では、ご同行願います。ご同行願えない時は……」
別の男が懐から手錠を取り出し、高く掲げる、「公務執行妨害現行犯で逮捕するようになるのですが」
連行されていくノタンノスを、Wはテレビでじっと見ていた。
「ノタンノスも『過去の人』となったか」
「主席の座を追われたときから、既に『過去の人』になっていますよ」とバーテンダーは応じた。
「かもしれんな」まあいい、手持ちのジャックが無力になっただけだ。まだまだ絵札は手元に残っているし、山からカードを引ける。
捨て去られるジャック、すなわちノタンノスなど頓着せず、Wは3杯目のワインクーラーを空けた。