(39)ジペニア、首都ドンチン近郊、ナス3月10日午前1時(現地10時)〇〇分
頭髪がバーコード状に薄くなった、中肉中背の男が、ヘリコプターから降りる。儀仗兵たちが一斉に「捧げ筒」を行う。勇壮なマーチが流れ出す。「わが国は攻撃も防御も、海に浮かぶ鋼鉄の要塞に依存する」という意味の出だしで始まるジペニア海軍のマーチである。
海軍出身のナカ・ヤス首相は笑顔で軍楽に応じた。雪を踏みしめて、ナカ・ヤスは別荘に入っていく。今日はこの建物で非公式の閣議が開かれるのである。
首相は椅子に座る。報道関係者によるフラッシュが一斉にたかれる。ナカ・ヤスは、大衆紙(つまり反政府系)の「クジ」の記者を睨みつけた。彼は毎朝、四大新聞に目を通している。クジも(いやいやながら)見ている。首相は、クジの3月10日の朝刊に、強い不快感を抱いていたのである。
「関東軍、シナン方面からノビエンに侵攻!」
「非武装中立地帯、わが国に侵略される!」
「問われるわが国の『専守防衛』!」
……という見出しがでかでかと1面に載せられ、戦車隊が砲撃しながら前進する写真が5段ぶち抜きで掲載されていた。
2面目に掲載された匿名の社説では、「専守防衛」を唱えていた軍部による侵略について、口を極めて罵っていた。
ナカ・ヤスが気に入らないのは政府に対する罵倒ではない。「余計な情報をわざわざ大きく報じて下賎の民を扇動している」事が気に入らないのである。地獄の王エンマも恐れおののくほどの厳しい顔で、首相はカメラマンを睨みつけている。特別高等警察警官が蝿のようにたかるジャーナリストを重い扉の外へ押し出したとき、やっとナカ・ヤスの顔は少し和やかになった。
「どこの馬鹿野郎だ、あんなネタをクジにタレコミやがったのは」とハマ・コウ政調会長。彼の知能程度は幼稚園児なみであるが、バックボーンの資金力に物をいわせて、閣僚の中に入り込んでいる。「ぶっ殺してやる!」彼は慣用句を用いたが、彼の本気を閣僚たちは誰も疑わない。彼のバックボーンとは麻薬犯罪組織だったからである。
「おそらく、反戦論をたきつけて世論操作を目論む、フロイディアの陰謀でしょう」とサワ・キチ外相。ナカ・ヤス首相は渋い顔をして頷いた。
「フロイディア人全員をぶっ殺すのかね、政調会長」
言外に、水爆弾頭弾が2大国間に飛び交うような事態になると仄めかす。だが、ハマ・コウには理解できず、沈黙している。
「おそらく、ヒロ国王陛下の耳にも達しているでしょう」
「そこだ、問題は」と首相、「平和主義者の仮面を被っておられるが、建前ではなく、本心からお怒りになるだろう」
ナカ・ヤスは首を横に振る、「宣戦の詔書もなしで、勝手に軍隊が動いたのだからな」
「この閣議で宣戦布告して、それから陛下に奏上すれば、どうですか」とタケ・ノリ幹事長。
「だが、事後承諾の形になる。内閣は何をしていたのかと咎められる」
「いっその事、軍部が、特に関東軍が独走してしまいました、とでも言ってしまえばどうです?」とウノ・スケ文相。
「そんな……」
閣僚が反対する前に、首相は賛成する、「それしかあるまい」
「そんなばかな」とハマ・コウ、「それでは、首相の意向通りに行動してきた軍部が、あまりにも可哀想ではないですか」
アベ・シン蔵相がハマ・コウに反論した。
「では、愚民と至上に弁明するのかね。実は、あれはフロイディアの軍事行動を牽制するためだけの行動です。しばらくすれば引き上げるので我慢していてください、とでも?」
「それで良いではないか」と副首相。
「良かないですよ」とアベ・シン、「次の選挙で落選したいのならば、話は別ですがね」
「この手でいきましょう」と首相、副首相に。「関東軍が暴走した、と。我々の管理能力が問われるようにはなりますが、与党大政翼賛会がダメージを受けるほどではないでしょうから」
副首相は、実は反対である。が、表面は賛成の姿勢を取る。「どうでも、あんたの好きなようにやってくれ」