(37)トゥパクセン川、沿岸ギドニム港、3月9日午後3時30分
オンクルーヴ少将は戦艦ラゼティーユの艦橋で自分の眼鏡を拭いていた。大男の前任者に合わせて作られた椅子は、小柄な彼には大きすぎた。眼鏡を拭くのに合わせて両足をぶらぶらさせている。彼が物思いにふけっている証拠である。ノックの音。
「どうぞ」
カラック中尉が入って来た。
「ギドニムのノトプリュック司令が、ええと、その」彼女は言い淀む、「その、艦隊司令閣下と午後の紅茶を楽しみたいと。その、紅茶のポットを持参して来られていますが」
彼は一瞬顔を背けて「かっ」と唾を吐くまねをした。気に入らない時の、彼の癖である。「いっそ、そいつを追い返せばどうだ?」
カラック中尉は首を横に振り、否定的な見解を示した。艦隊の燃料を補給させてもらっている上に、艦載機の爆弾、対空ミサイルまで調達しようとしているのだ。現地の司令のご機嫌を取っておく必要はあろう。
「分かった。後から行く」
カラック中尉は再び否定的な見解を示した。
「……分かった、分かった。今すぐ行けば良いのだろ、今すぐ」オンクルーヴ少将は帽子を目深に被る。そして眼鏡をかけ、カラック中尉の後に続いた。
「お待たせしました」とカラック中尉、艦長室の扉を開ける。ノトプリュックが用意した紅茶茶碗は二つ。すなわち、彼女は邪魔という意味である。「それでは失礼します」と彼女は退室した。
オンクルーヴは溜め息をついて、女帝の肖像画を背に、椅子に座った。
「で、どのようなご用件でしょう?」
「午後の紅茶を共に、というのは単なる口実です」
「ほう?」
「むしろ、こちらの用事がありまして」ノトプリュックはコンピューターのプリントアウトをオンクルーヴに渡す、「このリストの物を、至急、ダバニユへ送っていただきたいのです」
搭載武装の一切ないリファノイ21制空戦闘機、16機……。
「代わりにダバニユからは、こちらがやって参ります」
ノトプリュックは新しいリストをオンクルーヴに渡す。……爆装および対空兵装済みラーヨル20垂直離着陸機、16機。
「なるほど……」とオンクルーヴは頷く。
リファノイ21は、風向きが悪い時の短距離離着陸性能に、やや難点がある。いっぽう、垂直離着陸機のラーヨル20リュークラフならば、風向きに関係無く、ヘリコプターと同じで、滑走距離は殆ど不要。上空に静止したまま飛行甲板に降りれば良いからである。ただし、どこにでも降りられるリュークラフにも問題がある。ダバニユ近辺は砂漠である。リュークラフはそのエンジン構造上、砂地に降りようものならエアインテークを自分が巻き上げた砂で詰まらせかねない。リファノイ21ならば離着陸時にエアインテークをシャッターで閉じて、機体上部の補助エアインテークを使用する事ができる。すなわち、悪条件の滑走路におけるエンジントラブルをある程度予防できる。
回頭が容易ではない、川に浮かぶ空母。その空母に搭載した、砂に強い戦闘機を砂漠へ。代わりに、砂に弱いがどこにでも離着陸できる垂直離着機を空母へ。この取引は、完璧であるように見える。
「ただ一つ難点があるな」とオンクルーヴ。
ノトプリュックは頷いた。
「ええ、先帝陛下の指摘されたように、格闘性能に問題があります」
王立学院製作所のラーヨル20は先帝自身が設計したと言われている。他にも宮廷の関係者が多数関与したとも。「リュークラフ」と通称させているように、その反復攻撃能力は目覚ましい。
古代アイドニア神話の主神ナトフの娘たち「リュークラフ」は、戦場で戦死した兵士の魂を狩り出し、ナトフの元へと連れて行くと言われている。また、「リュークラフを戦場で見た者は生きて帰れない」とも言われている。
ラーヨル20は、「リュークラフ」の名に恥じぬ働きを見せるのである、地上兵力に対しては。上昇速度が物足りない、戦闘機と呼ぶには上下姿勢角の変化が緩慢、方向舵の動きが敏感なのに対してエレベーターの動きが緩慢。すなわち、下手くそが傾斜を取ろうとすると、気づいた時には横滑りするほどの角度がつくのである。
パイロットたちは「じゃじゃ馬」という意味でリュークラフと呼び、「戦場よりも航空ショーで飛ぶほうがふさわしい」と言う者さえいる。先帝本人にいたっては「失敗作」と決めつけている。
「敵がシセキヴン戦闘機を何機持っているかが問題だな」
「攻撃機シウダイゼンでも侮れないのでは?」
「いや、シウダイゼンは問題ない。あれはヒシ・イシキ・カイにごてごてと対地攻撃兵装を飾り付けただけの物だ。問題外。しかし、シセキヴン戦闘機となると……。シセキヴン4機に対しては3機のリファノイ21で充分だ。しかし、リュークラフならば、5ないし6機は必要となろう」
「しかし……」
「そう。対地攻撃をしたら、使い方によっては攻撃機ヅーリャビフよりも戦果をあげる事すらある」
ノトプリュックは白い髭の生えた顎に手をもっていく。そして考え込む前に、表向きの用件を思い出し、ネアーレンス・ニライダル産の良質の紅茶をマグカップに注ぐ。
「賭けだな、これは」
オンクルーヴは紅茶を受け取り、口をつける。湯気で眼鏡が曇る。が、思考に没頭している彼は、眼鏡に頓着していない。
しばらく、彼の左手中指は断続的に机の表面をたたいていた。リズムが止まる。彼はマグカップを机に置き、眼鏡の湯気を拭い始めた。手が止まる。彼は眼鏡をかけ、ノトプリュックに頷く。
「賭けてみるか」
彼は机の二番目の引き出しを開け、便箋を一枚剥ぎ取る。便箋の一番上にはエフレーデ紋章と古代トゥアネンウィンの大型三段櫂船戦艦ラゼティーユ。ラルテニア海軍の公文書便箋である。
コンパーヌ・テンペス艦隊司令よりダバニユ方面軍司令へ。当方のリファノイ21制空戦闘機と貴官のラーヨル20垂直離着陸機リュークラフ16機を交換いたしたし。連絡請う。コンパーヌ・テンペス艦隊司令、ラルテニア帝国海軍少将オンクルーヴ……。
「これでいいかな」
ノトプリュックはオンクルーヴに尋ねる。
「あの、そちらの艦隊にファクシミリは……」
「そんなもの、まだ搭載していない。それほど予算が潤沢ではなかったのでな」
「お預かりしましょう」とノトプリュックは受け取ろうとした。封筒の中に、もう一枚書類を持参していた事を思い出す。「あ、この書類をお渡しするのを忘れていました」
彼は書類を机のうえに広げた。オンクルーヴは黙読する。
逮捕状。
「何?」オンクルーヴは眼鏡をかけなおす。
逮捕状。海軍少将オンクルーヴ。貴官を命令違反の科により、拘束する。コンパーヌ方面軍司令、大将オガイ・ドヴァノイ・イクシェメール。
オンクルーヴは当惑しながらノトプリュックを見た。
「イクシェメール大将に確認を取ろうとしたのですが、大将は女帝陛下による閲兵のため留守でした。副官の方に問い合わせたら、『そのような文書は知らぬ』との応答。したがって、ここにそのような怪文書があるのは、何かの間違いでしょう。閣下の手で、処分してください」
オンクルーヴは破ろうとして、へっへっへと笑い声をあげる。
「ずるいなあ。公文書遺棄の罪を俺になすりつけるか?」
「命令違反をした閣下が」とノトプリュック、逮捕状を示す、「後に戻るも」次はごみ箱を示す、「前に進むも、閣下におまかせいたします」
「前進」と彼は逮捕状を二つに破る。「前進」とさらにもう二つに破る。紙屑を彼は丸めた。「わが道を行くわれは前進をやめぬ、勝利を手にするまで」と士官学校校歌「栄光は我に」の一節を口ずさむ。紙屑はごみ箱に捨てられた。
ノトプリュックが続けた、「しかり、栄光は汝と共にあるべし」
「我に(エム)」とオンクルーヴ、「そうでないと、『我が道』との韻が合わないぞ」
「いずれにせよ」とノトプリュック、ごみ箱を指さす、「あのような文書は存在しなかった。存在しない文書を私が受けたり見たりはしなかったし、閣下が遺棄できるはずもない。そうですな?」
オンクルーヴは大きく頷いて紅茶を喫した。