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(30)ヴァストリアントゥオ、ナコラッシュ川南岸、ミゼレン、3月8日午前9時22分

 対岸のクニモラシィから囚人護送用の艀が到着した。

 両手両足に鎖をつながれた囚人の後に、スーツを着た青年が降り立った。青年は度のついたサングラスをかけていて、首にはネクタイを巻いている。両手には、しかしながら、手錠がはめられている。猥褻物陳列罪で逮捕されたサランノ・アルトノーミである。

 彼は呆然としていた。今、彼の目の前に見えるのは、死刑・終身刑を宣告された囚人を収容する重刑刑務所である。……猥褻物陳列罪って、それほど重い罪だったっけ?

 肩幅が広く筋肉のついた大男が、階段を降りてきてアルトノーミの前に立つ。男は、まるで鋼鉄製の骸骨の上に鉛の筋肉をコーティングしたかのような顔をしている。

 「今日からお前が末長く滞在する刑務所の所長、ロンラッド・カルバドスだ」

 カルバドス所長は残忍な笑みを漏らす、「ここの規則で、牢内における規律違反者への罰則は、食料削減処分だ。よく、覚えておくのだな」

 カルバドスは再び仏頂面に戻る。

 「おい、このオシャレな囚人を特別室に護送しろ」彼は再びアルトノーミに残忍な笑みを向ける「いや、私自らが案内してやろう」

 足音が廊下に響き渡る。廊下は静かだ。だが、中庭が騒がしい。

 「やめろ、私は外交官だ。スパイじゃない。やめろ!」

 カルバドスは立ち止まって、中庭を見下ろす。つられて、アルトノーミも中庭の処刑場を見下ろした。カルバドスが説明する。

 「ヴァストリアントゥオの自称外交官のテロリスト・スパイは、あのように処刑される」

 死刑囚モチキラは暴れている。

 「やめろ、やめてくれ」

 耳の回りの白髪は逆立っているが、頭頂の黒髪は、きっちりセットされていて、髪の乱れがない。器用な暴れ方をしている。

 「まず、暴れている者の関節を外す」

 「うがあ……」

 「……前日に掘らせておいた穴の上でむこうずねを後ろに蹴りあげる……。手を離す。中に落ちる。中には、セメントが少し流し込んである」

 だ、だーん、と銃声。アルトノーミはびくっと震える。カルバドスは、くすくす笑いながら続ける。

 「うしろから、こう」とアルトノーミの体をつつく、「囚人の心臓を撃ち抜く。手早く、セメントを流し込む。このとき注意すべきことは、足首が外に出るようにする事だ」見ると、中庭で兵士がスコップで、ぱんぱんと、ならしている。「……足首を外に出しておくのは、確実に死んだ事を確認するためだ」

 「ええ?」

 アルトノーミは不審に思う。……足首? カルバドスはくすくす笑って中庭を示す。見ると、兵士たちが、コンクリートから生えている死体の足の裏を、鳥のはねでくすぐっている。アルトノーミは、あぜんとする。

 「雨が降らないかぎり、夕方には乾いている。コンクリートの棺を掘り出すのは、翌日処刑される者たちの仕事。外へ運ぶのは、翌々日に処刑される者たちの仕事」

 アルトノーミは呆れ果てた目で、カルバドスを見上げる。

 「もちろん、本国には、『人道的な銃殺刑が施行されている』と報告されている。この実態をマスコミは絶対に知らない。なぜなら、ここに入ってきて、外に出た者は誰もいないからだ」

 カルバドス所長は、ふたたび残忍な笑みをアルトノーミに向ける。

 ……なぜなのだ。なぜ、通信回線経由でポルノグラフィーをアップロード・ダウンロードしただけで、死刑にならねばならんのだ? しかも裁判も軍法会議すらもなく?

 「そうそう、経費節減のおり、サルグツワと目隠しは廃止されている」彼は廊下の奥を示した、「お前の部屋は、こっちだ。……逃げようと思うなよ。私の部屋の隣になるのだからな、お客人……さあ、ここだ」

 所長はマホガニーのドアを示した。……マホガニーのドア? 鉄格子ではなく?

 所長は扉を開けた。窓にかかる絹のレースのカーテンが、風に吹かれ、ふわっと舞い上がる。その奥には、夜用のゴブラン織りの厚いカーテンが束ねられている。天蓋つきのタスパロフ様式の華麗な装飾のついたベッドの傍らにはラジオと各種コントロールパネル、ボルストン教聖典。机のうえにはステレオ一体型AVユニットとコンピューター。ただし、コンピューターの入力装置はキーボードにマウスと、彼の目から見れば、少し古い。壁には姿見の大きな鏡がかけられており、その隣にはゴブラン織りのタペストリー。題材はロック・アルトノーミ侯のアシヤ遠征。天井には、2トンはあろうかという大きなシャンデリア。その回りのフレスコ画で、古代神話の天上の神々が宴会を開いている……。

 アルトノーミは首を振る。彼は、不審そうな視線をカルバドス所長に向ける。……これが、猥褻物陳列罪で投獄された者の部屋か?

 カルバドスは、黙って、テーブルを指さした。大きな花瓶に花が生けてあり、手前には、籠一杯のフルーツと手紙が添えられている。手紙には「ロパリラチプソタ・アゾローマ・イェラ(わが親愛なるお客様へ)」とラッティア語で書かれてある。

 「ノナイス・ヌ・ツェンレシェ・タンラチプソ(一流ホテルじゃないはずだ)」と彼は母国語のラッティア語で呟き、手紙を読む。

 「わが親愛なるお客様。お驚きになられたでしょうね。まず、このような手段で、ここへお連れした事をお詫び申し上げます。あなたは狙われております。私、いや私どもにとって、あなたをテロリストから遠ざける必要がありました。まことに勝手ではございますが、あなたの身柄を拘束し、安全な場所へと連れてきてもらいました。どうか安全のため、当地に滞在してください。お望みの物があれば、なんなりとお申し付けください。できうるかぎりの事はするよう、命じてあります。あなたの技術を崇拝する者A・Kh・Zより」

 ははは、とアルトノーミは困惑した、乾いた笑い声を上げる。

 「A・Kh・Zってまさか……」

 カルバドスは両踝をぴちっと合わせて、直立不動の姿勢を取った。

 「われらが母、栄えあるザーリップ家第17代当主にして第8代ラルテニア帝国元首、第4代連邦盟主、いにしえの聖ユビウス帝冠の正当なる継承者にしてボルストン教の守護者、女帝アンナ・カーニエ・ザーリップ陛下にございます」

 「女帝陛下が? わざわざ私を救うために? 私を逮捕して投獄するという猿芝居を打ったって言うの?」

 「いかにも。閣下は、あのレーダーに映らない飛行機を設計したという……」

 「レーダーに全く映らないわけでもなかったのだがなあ」

 カルバドスはドアを閉め、アルトノーミに一礼する。

 「外でのご無礼を、お許しください。警備上、必要な措置だったのであります……」

 アルトノーミは不信感に溢れる眼差しを所長に向ける。

 「朝食は8時、昼食は12時、夕食は5時半。すべて、この部屋で召し上がっていただきます。よろしゅうございますか?」

 「足りないときは?」

 「随時、菓子類を差し入れさせていただきます。……ただ、差し入れは、すべて女帝陛下のお内帑(ないど)から支払われる事をお忘れなく」

 所長は奥の扉を示す、「ユニットバスはあちらになっています。中に、便座、バスタブ、洗面台があります」

 アルトノーミは首を横に振った。……女帝は刑務所の中にホテルを一つ作り上げてしまわれたようだ。

 「他に何かご必要の物があれば……」

 「仮想現実システムと光学式ディスク入出力装置……」

 「はあ?」

 王立学院航空技研主席設計技師は、門外漢の所長を見た。「いや、いいです、忘れてください」

 「では、失礼します」一礼して所長は外に出ようとする。

 「あ、そうだ」

 アルトノーミは緊張する。……まさか、今までの全部なし。鉄格子の中へお入り。とか言うのじゃあるまいな?

 アルトノーミの心配は杞憂に終わった。カルバドスは、ただ質問しただけだったのである、「石鹸は、薔薇の薫りがよろしいですか。それとも、百合の薫りがよろしいですか?」


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