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(29)ヴァストリアントゥオ、イェダ北岸、ガンツィット、3月8日午前8時15分

 ユ・ジンツェは不幸だった。エッセーをシルニェ語で書くほどフロイディアに精通・親近感を感じる彼は、特に参加したくもないジョンゴン軍に徴用され、安月給でこき使われていたからである。しかも、「昇格」寸前の所でジョンゴンは「制度改正」を行い、彼の「格」自体を廃止してしまった。さらに、あろうことか軍首脳は彼よりも年下かつ「格下」のジヴァゴを重用した。

 ジヴァゴが並の人間ならば、彼の不幸は増えなかったであろう。しかし。

 「今朝起きてみたらさあ、ウチの下の子供がオレの腹の上で寝ていやがって、さあ」

 「時と場所を考えろ、今その雑談が相応しい内容か」とユ・ジンツェは思う。かつてジヴァゴもユ・ジンツェに同じ事を言った。しかし、ユ・ジンツェは「人の振り見て我が振り直せ」と思うのである。

 暗い扉が、一同の前に立ちはだかっている。上陸用舟艇の出口。上陸作戦に兵士として徴用されたユ・ジンツェは、その扉から飛び出て行かねばならぬ。

 上陸作戦とは、一般に、兵士にとって危険である。しかも、今回、ジョンゴン軍は支援用の艦艇も航空機も動員していない。ヘリコプターすら随伴していない。

 「その自信はどこから来るのか」

 ジヴァゴの掴んでいる情報によれば、フロイディア上層部とジョンゴンとの間に密約があり、フロイディアはガンツィットを放棄する。

 しかし、ジヴァゴの掴む情報は不正確で、しかも、覆される事が多かった。

 「いっそ、ここで、ボルストン教の聖歌でも歌ってやろうか」とユ・ジンツェは思う。しかし、以前、「非ジョング教徒的ふるまい」として、ジヴァゴに叱責を受けている。……まあ、叱責も当然とは言えるだろう。そもそも、ジョンゴンに思想・信教の自由などありはしないのだから。

 「してみると、ボルストン教一色のフロイディアの方が、ジョンゴンよりも自由なのではないか?」

 そうだろう、とユ・ジンツェは思う。多民族多国籍の連邦であるフロイディアは、異文化に対して比較的寛容だったからである。

 そもそも、一般兵士に、家族同伴はおろか、妻帯すら覚束ない。しかし、ジョンゴン軍においては、功績のある士官に限り、任地への家族帯同を認めていた。もっとも、ジヴァゴの功績なるものを、ユ・ジンツェは疑問視していたが。

 いっぽう、そのようなユ・ジンツェをジヴァゴは一瞥した。彼には、ユ・ジンツェが「心ここに在らず」「軍務に専念していない」ようにしか見えない。……またこいつの査定を下げねばならぬな。

 ジョンゴン軍・ガンツィット攻略部隊は、ことほどかように、最初から、士気が崩壊していた。何も起こらなければ問題なかったのであるが。

 接岸。舟艇の扉が一斉に開かれる。兵士たちが、続々と、水辺に降りていく。軍靴が、泥と水を跳ね上げる。

 少し脇に立ったユ・ジンツェは、ライフルを岸辺に向けた。そして、発砲する。

 戦友たちは、ぎょっとユ・ジンツェを見た。そのユ・ジンツェは、ふらっと倒れ、川の水面へと倒れ込む。

 「敵襲!」

 前方から、無数の火線が、ジョンゴン軍を襲う。

 「なぜだ、ありえない!」と言いながら、小隊長ジヴァゴは真っ先に逃げ出す。12キェニー榴弾数十発の着弾。舟艇や輸送船を破壊していく。ついでに、ジヴァゴの体も空に撒きあげた。ジョンゴン軍の兵士たちは、帰るべき舟艇を失い、次々に斃れる。逃げ惑えば逃げ惑うほど、フロイディア軍の兵士たちに「ゲーム的な」楽しみを提供する。

 ゲームが終わった。

 「うまくいった」とうつ伏せのまま川を流れるユ・ジンツェは、思う、「やはり、さっさと逃げるに限る」このまま下流で軍服を脱ぎ捨て、グラーシュあたりの難民キャンプに潜り込む。そして、そこで思う存分、ボルストン教の聖歌を歌ってやる。ほら、フロイディア軍の国歌が聞こえてきた。

  「神の御手に導かれし大フロイディアは

   強力なる軍をもって自立す

   いかなる者もわれらを侵略するあたわず

   われらが誇り、友好国に援助を与える大フロイディア万歳!」

 死体を演じるユ・ジンツェは、久しぶりに幸福感を味わった。


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