第3部・ 反撃(27)ヴァストリアントゥオ、ザゾ、3月7日午後05時25分
超音速旅客機タリトソッチョは、ゆっくりと降下を始める。キャビン・アテンダントは、間もなく到着する旨を乗客に通知する。
アンナ・カーニエは機内で、献上されたビデオをずっと鑑賞していた。「ノホテュップ・スクリック」というバラエティーショーの、「アンナ・フォイヴォ」と題するコメディーばかりを編集した物であった。
そのコメディーの主人公の名前は「アンナ・フォイヴォ」。彼女がしゃべるとき、Cは発音せず、重なるFはVの発音をしている。たとえば、「アラクリア」を「アラリア」と発音してみたり、「エキーフォ(執務室)」を「エイヴォ」と発音してみたり……。彼女の発音の仕方で、「執務室のアンナ」と言うと、「アンナ・フォイヴォ」となる。そう、彼女はなんと女帝の物まねをしているのである。
彼女が番組の中でするのは、あちこちの政府要人(そっくりさんによるオーバーな物まね)に電話して、あれこれ指図をするというもの。その「アンナ」はある企業の女子社員である。彼女は、上司にセクシャル・ハラスメントを受けた。それでもなびかないと見ると、上司は脅迫したり、苛めたりする。そこで、彼女は電話をとる。
「執務室のアンナです……」
今まで横柄に振る舞っていた上司は、電話を取るなり態度を豹変させ、起立して、直立不動の姿勢を取る。女帝から電話を受けたと勘違いしたのだ。その落差が、視聴者の爆笑を誘う……。
女帝は、物まねの戯画的な誇張に、くすくすと笑っている。彼女はCの音を発音しないのではない。非常に弱く発音するため、聞こえにくいのである。彼女の母国語ルブソール語には、多様な喉音がある。ルブソール語のつもりでシルニェ語を話すと、どうしてもCの音がフロイディア人には強すぎるのだ。そこで、彼女は、非常に弱く、Cの音を発音して「耳障りじゃないように」努力しているのである。……このしゃべり方が定着してしまった以上、今さら戻すわけにもいかないか。
「お楽しみのところ、申し訳ありません。着陸いたしますので、電灯とビデオスクリーンの電源を切りたいのですが……」
女帝は、「もう少しで私自身が特別出演したシーンになるのにな」と思いながらも、くすくす笑ったまま頷き、座席とテーブルを元の位置に戻した。
機体は横風に対してゆっくり弧を描き、滑走路延長上の中心線に乗る。機首がほんの少し上げられる。主脚は両方同時に、静かに滑走路に接した。乗客は、いつ大地についたのか分からない。ただ、逆噴射のときに少し機体が揺れたので、滑走路に着地したのだな、と分かる程度であった。
ザゾの空港は厳戒態勢にあった。2000人以上の兵士が、警備に当たっている。だが、この警備はまるで無駄でだった。なぜなら、警備兵の中に、狙撃者がたくさん混じっていたからである。
格納庫に10人、見学デッキの上に10人。滑走路の端に4人の狙撃者が、そしてそれぞれに1人ずつの連絡係が、いかにも警備兵といういでたちで配備されている。予定では、この24人が女帝を狙撃し、失敗すれば、さらにタラップの側の3人が至近距離から女帝を撃つはずである。広いタラップが飛行機のドアに据えられる。狙撃者たちは待ち続けた。5分、10分、15分……。しかし、女帝が出て来ない。
「しまった! やられた!」
格納庫から双眼鏡で様子を見ていた連絡係が、喉から絞るような唸り声を上げた。
「もう、アンナ・カーニエは外に出てしまっている!」
「そんなばかな」
「よく数えてみろ」連絡係は近くの狙撃者に双眼鏡を渡す、「機内に入った清掃員の数よりも、出て来た清掃員の数のほうが多い!」
「じゃあ、清掃員を皆殺しにすればいいんだな」狙撃者はライフルを構える。
「そんな簡単な問題じゃない。……よく見てみろ。飛行機の中から整備員がぞくぞくと出て来る……。だめだ、失敗だ。この仕事はキャンセルだ」
「何を言うか!」狙撃者が立ち上がって、反論する。「ここで退けば、礼金が手に入らないじゃないか」
「前金だけで我慢するのだな」
連絡者は「狙撃中止」の合図を送る。Mは、それを見て、短く舌打ちする。
見学デッキの連絡者は、狙撃者たちに「中止」の命令を伝えた。まさに、その時、女帝がガードマンたちに囲まれて、タラップに姿を現す。
Mは「狙撃実行」の合図を何回も送った。だが、連絡者はどう判断すれば良いのか分からない。「狙撃中止」の連絡も受けているからである。
タラップの側の警備兵が一人、行動を起こす。彼は、安全装置を外しっぱなしにした拳銃を女帝に向けた。
「あっ!」
ガードマンたちの、声にならない叫び。ぱんっ、と軽い銃声。一筋の赤い光をほとばしらせ、アンナ・カーニエの体は小さくのけ反る。彼女は、右斜め後ろ、ガードマンの腕の中に倒れ伏す。彼女のこめかみの銃創から、血が流れ落ちる。
反射的に反応したガードマンが、狙撃者を撃つ。……もっとも「反射的な反応」自体が、狙撃者を消すための演技だったのだが。
「ばか」
ガードマンが発砲者を諌めようとした。しかし、大音響が最優先事項を「心ある者」たちに思い出させた。救急車がタラップの下に駆けつけたのである。
「そっと! そっと! 頭を動かさないで!」
救護員とガードマンたちは、彼女を救急車の中に運び込む。救急車は狙撃者の死体を残して、急発進する。タイヤを軋ませ、病院に向かう。
……絶対に、助かるまい。
Mは会心の笑みを人知れずもらして、空港を後にした。