(25)フロイデントゥク、ドンパロイ女学院、3月7日午後02時23分
「お母様」アーリア・ライラが駆けて来た。
「これこれ、廊下を走ってはなりませんよ」
「どうして、ここに見えられたの?」
「私は、仕事で、しばらく首都を離れるようになったの」
「……お仕事、大変ね」
「それでね、アーリア・ライラ。毎週二人で食事していたけれども、次回からはできなくなっちゃうの」
「どこへ行くの?」
「ヴァストリアントゥオ」
「ええっ、そんな遠い場所に行くの?」
「……ヴァストリアントゥオが、どこだか分かるの?」
「もっちろん。ヴァストリアントゥオのどこ?」
「ザゾ」
「ザゾのどこで生活なさるの」
「ドロンペルペンの館と言ってね……」
「あ、知っている。大河イェダの見える、白いこざっぱりとしたお屋敷でしょ?」
「……よく知っているわね」
「うん。でも、お母様も大変ね。そんな遠くまで行くなんて。でも、きっと私には分からない事情があるのでしょうね」
アンナ・カーニエは無言で頷いた。
「でも、よく知っているわね」
「まあね。でも、ここにある本で覚えちゃったから」
「ここにある本って……。この、ドンパロイ女学院の図書館の?」
「うん。それ、だいたい覚えちゃったから……」
「ちょっと待って。ここの図書館には、5000冊以上の本があったでしょう?」
「うん。それ、全部読んじゃった」
「……末恐ろしい子供ね」
「うん。よくそう言われるわ」
かつて本を唯一の友としたアンナ・カーニエは悲しそうな笑みをもらして、アーリア・ライラの顔を、両手でそっと抱き寄せる。「元気でね」
「お母様こそ。体に気をつけて。死んじゃ、いやよ」
アンナ・カーニエは、はっと驚く。親の心子知らずとは言うが、子の心親知らずかもしれない。
アンナ・カーニエは、アーリア・ライラを抱きしめる。彼女は、母親が、いつも通りに頬にキスをすると思っていた。が、予想に反して、アンナ・カーニエは、アーリア・ライラの唇にキスをしたのであった。母アンナ・カーニエの祖国たるチェディアにおいて、同性間接吻は珍しい話ではない。
女帝はほほ笑み、次期女帝の頭を、くしゃくしゃとなでまわす。
「元気でね」
女帝アンナ・カーニエ・ザーリップは足早に立ち去る。見送りながら、アーリア・ライラは思う、やはり親の心子知らずだなあ、と。