私を冤罪で断罪した王子が毎晩窓から謝りに来る
「バデライード・ウルシュタ公爵令嬢。貴様との婚約を破棄する! マリアを執拗にいじめていた証拠は掴んでいるぞ!」
ランドロット王太子殿下のよく通る声が学園の広間に響いた。
ビシッと指をさされたバデライード様に焦った様子はなく、むしろ殿下に庇われている聖女候補のマリアさんの方がおどおどしながら交互に2人の顔を見比べていた。
「ふっ。お戯れを」
余裕の笑みを浮かべながら洋扇子を扇ぐバデライード様の姿に、ランドロット殿下の声は怒りに震え、どんどん語気も荒くなっていく。
そんな光景を遠巻きに見ているわたしの心境は複雑なものだった。
とはいえ、わたしには直接的には関係のないこと。
万が一にもこの話題にわたしが巻き込まれることはない――
「そこの取り巻きA、B、C! 何を暢気な顔をしている! お前たちも同罪だぞ。特にA! そうだろ、アイヴィー・ソドロス伯爵令嬢!」
……え?
今、わたしの名前を呼ばれた?
王太子殿下に認知されている!?
というか、取り巻きAってなんですか!?
「わたし、ですか?」
「そうだ。バデライードの取り巻きA! これを見ろ!」
殿下は懐から取り出した数々の紙を広間に集まっているクラスメイトや教師に配り始めた。
「これはキミの部屋から見つかった直筆の命令書だ。マリアは教科書を燃やされ、せっかくのドレスを破られ、虚偽の噂を流された。使用人も買収され、信じられる者はいなくなり、極めつけは階段から突き落とされたんだぞ。全ての証拠がここにある!」
「そ、そんなの知りません!」
わたしは震える声で訴えるのが精一杯だった。
全部が身に覚えがないといえば嘘になる。
マリアさんの教科書が燃やされたこともドレスが破られたことも知っている。
けれど、わたしが命じたわけではない。手を貸したわけでもない。
ただ、知っていても何も言わなかった。
その事実だけは否定できなかった。
「そうです。わたくしはアイヴィーさんに命じられて。断れなくて!」
大袈裟に大粒の涙を流しながら虚偽の告白をするバデライード様にわたしは絶句し、やっとの思いで言葉を絞り出した。
「な、なにを……」
「ほらみろ! 俺は全部、知っているんだ! だから、俺は間違っていない! アイヴィー・ソドロス、お前も一緒に断罪してやる!」
頭が真っ白になったわたしが膝から崩れ落ちた直後のことだ。
空耳かもしれないけれど、頭上からは殿下の安堵した声が聞こえてきた。
「ふふふ……はははっ。これでゲームクリアは目前……でいいんだよな。ちょっと知らない展開だけど、誤差の範囲内だよな」
◇◆◇◆◇◆
昼間の出来事はすぐに各所に広まった。
王太子殿下が生まれた時から決められている婚約を破棄したとあって王都は大慌て。
もちろん、わたしの家も大荒れだった。
すぐに学生寮から実家に戻されたわたしは自室から出るなと命じられ、こうして一人、暗い部屋で読書に勤しんでいる。
公爵令嬢の近くにいれば、学生生活は安泰だと思っていたのに……。
殿下に「処罰は追って伝える」と言われて心中が穏やかであるはずもなく、本の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
――コンコン。
突然のノックの音は扉から聞こえたのではなく、バルコニーへと続く大窓からだった。
(夜鳥がついばみにきたのかしら)
別に珍しいことではない。
放っておけば、勝手にどこかへ飛んでいく。
――コン、コン。
わたしは読んでいた本から顔を上げた。
まさか、泥棒?
恐る恐る窓辺に近づき、カーテンの隙間から外を覗く。
そこにいたのは、泥棒よりも厄介な人物だった。
「……やぁ」
シャーッ!! っとわたしはカーテンを勢いよく閉めた。
(なんで? どうして殿下がいるの? なぜバルコニー? 夜中よ?)
ありとあらゆる疑問が浮かんでも答えは一つも出てこない。
昼間の出来事が怖すぎて幻を見ているのかも。
もう一度、ゆっくりカーテンを開けてみる。
「アイヴィー嬢。話を聞いてくれ! 入れてくれ。夜風が寒い!」
「……お引き取りください」
「待ってくれ。少しだけでいい」
「お断りします」
「その、今日の件について」
「お断りします」
「まだ何も言っていないだろ!」
「断罪された相手と夜中に窓越しに話す趣味はございません」
わたしはカーテンを閉めた。
「アイヴィー!」
外からくぐもった声がする。
ついには敬称までとられていた。
でも聞こえない。聞こえないったら、聞こえない。
「……俺は本当に間違っていなかったのか確かめたいんだ」
ベッドに戻ろうとした背後から聞こえた声は先ほどまでとは違っていた。
思わず足が止まる。
そんなことをわたしに聞かないでほしい。
わたしだって、自分が何を間違えたのか、まだ整理できていないのだから。
「お話があるのでしたら父を通して正式にお申し込みください」
「……すまなかった」
今すぐには謝罪を受け入れられないのでカーテンは開けなかった。
◇◆◇◆◇◆
翌日から外出を禁じられたわたしは実家から出られなくなった。
当然、学院も欠席となり、学院内がどんなことになっているのか知る術はなくなった。
そして、夜。
――コンコン。
今日もまたバルコニーへと続く窓がノックされた。
万が一にも夜鳥の可能性を捨てきれずにカーテンを開けるといて欲しくない人が立っていた。
「ごめん」
「……何がですか?」
「キミを断罪したことを謝っているんだ」
「今さら何を仰っているのですか?」
背中を丸めてしょんぼりしていたとしても相手は王族だ。
昨日は怒りと悲しみが入り混じって冷静な対応ができなかったけれど、振り返ってみるととんでもない無礼を働いてしまった。
今日は比較的丁寧に対応しようと思ったのだけれど――
「俺は転生者なんだ。一度死んで、この世界に生まれ直したんだ!」
やっぱり意味が分からなかったのでカーテンを閉めて対話することを諦めた。
「待ってくれ! 俺は前世でこの物語を知っていた! ここは乙女ゲームの世界なんだ! 俺が知っている物語ではキミは悪役令嬢の共犯者だったんだ!」
聞き慣れない言葉にカーテンの隙間から覗いてみる。
悪役令嬢とはもしかしなくてもバデライード様のことを指しているのでしょう。
悪役って……ふふっ。確かに裏では悪いお顔をされるけれど、そのお顔を殿下の前でされるとは思えないのよね。
ということは、夜間に不法侵入未遂をするおかしな殿下が言っていることは正しいってこと?
「だが、何かがおかしい! お前、取り巻きA じゃないだろ!」
「殿下、一つだけ教えてください。どうして、わたしがその取り巻きAだと思ったのですか?」
「だって、名前がアイヴィーなんだろ。ゲーム内では、キミに名前はなくて取り巻きAと表記されてたんだ。アイヴィーのA」
「はぁ……わたしの名前のスペルはIvyです。その理屈なら、わたしは取り巻きIになりますので別人です。どうぞ、お引き取りを」
あんぐりと口を開けて、魂が抜けたように棒立ちする殿下を最後に見て、2日目の夜の会話を終えた。
今日のわたしはベッドに潜り込むのではなく、机に向かい、生徒名簿を開いた。
「殿下は人の名前を覚えておられない。取り巻きA……名前がAから始まるスペルで、かつ殿下が勘違いしやすく、バデライード様の近くにいる女生徒」
そう呟きながら名簿をめくっていく。
候補は1人に絞れた。
別のクラスにいるオーロラ子爵令嬢。バデライード様とは幼い頃から親しい間柄だ。
「まさか、わたしの名前をAだと思っていたなんて」
ともかく、殿下が間違えた相手を見つけてわたしの身の潔白を証明してみせる。
わたしはとある生徒の名前に印をつけた。
◇◆◇◆◇◆
更に翌日の夜。
期待通りに窓がノックされた。
「中に入れなくても良いからこれを見てくれ」
恐る恐る窓の鍵を開ける。
もしも殿下が力任せに窓を開けて侵入しようものなら大声を上げるつもりだった。
でも、殿下はそうしなかった。
わずかな隙間から紙切れを差し出しただけだった。
「これはあの時、パーティー会場で殿下が配られたものですか?」
「そうだ。キミの筆跡か確認して欲しい」
「違いますね。わたしのものに似ていますが、こんなに酷い丸文字ではありません」
手紙の文字は誇張された丸文字で、内容は聖女候補であるマリアさんへのいじめを命じるものだった。
わたしは幼少期から厳しく躾けられた。でも結局、最後まで丸文字は直せなかった。
今でもお父様にお叱りを受けることは多い。
特徴的な文字だと思うけれど、ここまで極端ではないと思いたいものだわ。
「誰かがキミの筆跡を似せて偽装したってのか」
誰かとは言わずもがなバデライード様よ。
自分の手を汚した形跡を残さずに目的を達成するなんて訳無いはず。
「殿下。わたしからも一つ、お耳に入れたいことがあります」
すると、殿下の表情が一気に華やいだ。
「なんだ!?」
「生徒名簿です。こちらのオーロラという女生徒をご存知でしょうか。スペルはAuroraで、クラスは異なりますが、バデライード様とは親しい関係です」
「なんだって!? オーロラってAから始まるのか!?」
殿下は二度も窓に額を打ち付けた。
「しかも別クラスとは盲点だった!」
真っ赤に腫れた額を見れば、殿下が演技をしているとは思えなかった。
「そこでお待ち下さい」
わたしは殿下から受け取った紙に自分の文字で同じ文章を書いて返した。
「わたしの筆跡です。まだ筆跡鑑定がお済みでないならお使いください」
「そうか! その手があった。ありがとう、アイヴィー嬢! キミは関係なかったというのを俺が証明してみせるからな」
なんて清々しい笑顔。
殿下はバルコニーから飛び降り、手を振りながら走って行ってしまった。
◇◆◇◆◇◆
翌日の夜。
やっぱり殿下はバルコニーの窓をノックして、わたしがカーテンを開けてもたたずんでいた。
今日も少しだけ窓の隙間を空ける。
「いかがでしたか?」
「アイヴィー嬢の言う通りだった。筆跡は一致しなかった。クソ! 無実のキミの立場を危うくしてしまった。本当にゴメン!」
「そうですね。一度口から出した言葉は二度と飲み込めません」
今回の一件でわたしの立場も伯爵家の立場も危うい。
わたしは、転校してきたばかりの聖女候補をいじめ、王太子が公爵令嬢に婚約破棄を言い渡す原因を作った張本人とされている。
当然、社交界に伯爵家一族の席はなくなってしまった。
そして、公爵家は被害者面を決め込み、我が家への嫌がらせを始めている。
「アイヴィー嬢はバデライードがマリアをいじめていたことを何も知らなかったのか?」
今日も殿下は窓のわずかな隙間から話しかけてくる。
簡単に窓を開けられるのにそうされなかった。
「バデライード様がマリアさんをやっかみ、標的にされたのは周知の事実です」
「やっかみ? もしかして、俺が悪いの?」
「さぁ、どうでしょう」
そうですよ。あなたが悪いんです。
婚約者がいる身でありながら、聖女候補に選ばれたという理由だけで貴族学院に通えるようになった平民上がりに気を許したから。
あなたがバデライード様だけを見ていれば、こんな結末にはならなかった。
なんて、口が裂けても言えない。
「……俺は自分のことしか考えていなかった。バデライードを断罪してマリアエンドを迎える。それがゲームクリアの条件だったんだ」
殿下の言っていることはさっぱり分からない。
でも、殿下だけが悪いわけではないことはわたしが一番よく分かっている。
「今のわたしに、殿下は悪くありませんなんて言えません。実は怖かったんです」
「バデライードが?」
「はい。バデライード様に逆らえば、わたしもマリアさんと同じ目に遭うと思いました。わたしには守るべきものがあります。わたしの恥は家の恥であり、わたしの失言は家の失言になる。でも、彼女なら。彼女の身に何が起きても彼女だけの問題で終われる、と思っていました」
もう少しだけ窓を開けて告げる。
「もしも、バデライード様に意見をして声を上げていれば、こうならずに済んだのかもしれません」
「分かるよ」
ぽつりと呟くような言葉に顔を上げる。
王太子に伯爵令嬢の気持ちが分かるものか。と決めつけていたわたしは少しだけ後悔した。
窓越しに見る殿下は憐れむわけではなく、慰めるような、心配してくれているようなお顔をしていた。
「俺は声を上げた側なんだ。あー、王太子になる前っていうか。この世界とは別の世界での話なんだけど」
「それでどうなったんですか?」
わたしは前のめりになって問いかけていた。
「いじめの対象が俺になった」
やっぱり、そうなるのね。という心の声が聞こえてしまったのか、殿下は肩をすくめた。
「どこの世界でも変わんねーな」
そう言って頭をかく姿は王太子というよりも、同年代の男の子という雰囲気でこれまでに感じたことのない親近感が湧いた。
「殿下は殿下ではない時も強かったのですね」
「ただのバカだろ。今思うと。だから、アイヴィー嬢の方がずっと賢い生き方をしてる」
「でも、こうして軟禁状態です」
「うぐっ。それは悪かったけど。キミは俺を王太子として扱わないんだな」
「王太子殿下として扱っていますよ。だからこそ、間違っていることは間違っていると申し上げています」
「そういうところだよ」
殿下を責めたわけではない。
ただ、わたしの弱さからバデライード様の近くにいた事実を褒められるのは、何か違うと思っての発言だった。
懺悔の気持ちからか、殿下を憐れんだのか。それとも、もっとお話をしたくなったからか。
「正直に申し上げまして。あなたのことはよく分からないので教えていただけるのなら知りたいです。ランドロット殿下ではない、あなたのことを」
「キミは本当に変わっているな」
そう言った殿下は今までで一番穏やかな顔をしていた。
わたしは更に窓を開けようと手を伸ばす。
「待って。この隙間からでも十分にキミの声は聞こえる」
けれど、やんわりと断られたことを察して手を引っ込めた。
「今更ですが、玄関から入ってくればよろしいのに」
「それは友達のすることだ。また学院に通えるようにするからもう少し待っていてくれ」
そう言い残して去って行った殿下は翌日の夜も、その翌日の夜も姿を見せることはなかった。
変化があったのは、殿下が来なくなって5日が経った頃だ。
突然、お父様に呼び出されたかと思うと開口一番に「明日から復学しろ」と言われた。
「分かりました」
「理由を聞かないのか」
「えぇ」
「公爵家の娘に利用されたな」
「次はもう少し上手く立ち回れるようにします」
「そうしろ。公爵家には私が出向く」
「ご迷惑をおかけしました」
「アイヴィー」
一礼して退室しようとしたわたしの背中に投げかけられた声に反射的に足を止める。
「閉じ込めてすまなかった」
「いえ。守っていただけて嬉しかったです」
今日までの軟禁が罰則ではないことは薄々気づいていた。
昔から口数の少ないお父様だからこそ、周囲から何を考えているのか分からないと言われるけれど、一度だってわたしたち家族を裏切ったことはない。
だから、信じてお部屋から出なかった。無駄に反論もしなかった。
◇◆◇◆◇◆
1週間以上も休むと学院へ向かう足取りは非常に重かった。
廊下を一歩進むたびに視線が突き刺さるような。
自意識過剰では説明のつかない数の視線に晒されている気分だった。
「あら、アイヴィーさん。よく学院に来られましたわね。次の標的は誰になさるおつもりかしら? もうわたくしは手を貸しませんわよ」
教室ではバデライード様が待ち構えていた。しかし、バデライード様の両隣にいつもの2人の姿がない。
ここで言い返さないといけない。
このまま無言を貫けば、以前のわたしと同じだ。
でも、唇は動いても声は出せなかった。
「……あ、あのっ」
「アイヴィー・ソドロス伯爵令嬢は、お前が罪を押しつけた相手だ。彼女は命令書を書いていない。いじめを実行したわけでもない」
やっと声が出そうになった時、背後から庇ってくれたのはランドロット殿下だった。
「あの命令書は筆跡鑑定に回してアイヴィー嬢のものとは不一致だと証明された。教科書やドレスの件は取り巻きBのバーベナ嬢とCのシエラレネ嬢が認めた。噂を流したのも、使用人を買収したのも全て2人が実行したと。そして、マリアを階段から突き落としたのは本当の取り巻きA、オーロラ子爵令嬢が認めた。全てバデライードの指示だったそうだな」
静まり返っていた教室内がざわめき出した。
余裕の表情で被害者面を決め込んでいたバデライード様の顔が見る見る曇っていく。
「この件は学院長にも報告済みだ。処罰は追って伝える」
今度はバデライード様が崩れ落ちる番になった。
そんな元婚約者のことなど気にする風もなく、殿下はわたしに向き直った。
「そして、俺は証拠を確かめずにアイヴィー嬢を断罪したことを認め、アイヴィー嬢への処分を撤回する。伯爵家に対する不当な扱いについても王家として正式に謝罪する」
真っ直ぐな瞳がわたしを見つめている。
この数日で見てきたどの殿下とも違う。
何度も謝罪していた時とも、転生者だと告白してくれた時とも、勘違いを認めてくれた時とも違う。
その凜々しいお姿にわたしは言葉を失った。
殿下は一度、教室の端にいるマリアさんへ視線を向けた。
けれど、彼女がスカートを握り締めて俯くとすぐに目を伏せて、わたしに向き直った。
(これで問題が解決したのなら殿下がわたしの部屋を訪れる理由はなくなったわね)
ふと、残念がっている自分がいることに気づき、雑念を振り払う。
いくらおかしな言動をしていたとしても殿下は殿下だ。
仮にバデライード様との婚約がなかったことになったとしても、わたしを気にかけるのは自分が冤罪をかけたからで他意はないはず。
わたしは復学を果たし、何事もなく卒業して、どこぞの貴族令息と婚姻関係を結ぶでしょう。
冤罪とはいえ、トラブルに関与した事実は消えないから相手選びには難航するかもしれないわね。
そんなことを考えていた矢先、彼はまたしても夜にやってきた。
◇◆◇◆◇◆
――コン、コン。
窓の向こう側からのノックに、前のめりになる体を押し留めながらカーテンを開いた。
そして、いつも通りに解錠して、ほんの少しの隙間だけ窓を開ける。
「もうここへ来る用はないはずではありませんか? いい加減、執事を呼びますよ」
「相変わらず手厳しい。今の俺は王太子なのに」
「あなたが何者なのかまだはっきりと分かっていませんが、王太子殿下を名乗るのならもっと堂々としていただきたいものです」
「だから堂々として、バデライードを断罪したじゃないか。これでヒロインのマリアをいじめる人はいなくなって、アイヴィー嬢も無事に通学できる。ゲームクリアまでまっしぐらだ」
相変わらず、意味の分からないことを言う。
「以前から言っておられる、ゲームクリアとはどういうことですか?」
「ゲームクリアすれば、元の世界に戻れるかもしれないんだ」
「元の世界に……?」
それは、つまり、殿下がいなくなるってこと?
国として由々しき問題なのではないかしら。
「俺がマリアと結ばれれば良かったんだけど……んー、どーすっかなー」
珍しいこともあるもので殿下は心底困った様子で頭をかいた。
「マリアさんと結ばれればよろしいのでは?」
――いたっ。
自分で言ったのに胸の奥を針で刺されたような鋭い痛みが走った。
「……マリアに嫌われたんだ」
「殿下がマリアさんを守ったのに?」
「ここに通っているのがバレた」
「あっ」
「俺はマリアを助けたつもりだった。でも、実際の俺は自分を助けるためにバデライードを断罪して、ゲームをクリアするために行動していた。そんな俺が別の女のところへ毎晩通っていたんだから、怒るのも当然だよな」
婚約者がいるのに、ぽっと出の平民を気にかけ、幼少期からの婚約を破棄するに飽き足らず、その取り巻きで傷心中の伯爵令嬢にまで手を伸ばす。
部分的に見ると、どうしようもない男に映ってしまうのは当然かもしれない。
もしも、わたしの存在が殿下の評価を悪くしているのなら、わたしが取るべき行動は一つしか思い付かなかった。
「殿下が奔走されたおかげでわたしの冤罪は晴れました。ありがとうございます。殿下からの断罪と謝罪を受け入れますので、ここへ足を運ぶ理由はありません。マリアさんに事情を話して、ゲームクリアを目指してください」
これで、わたしと殿下の不思議な関係は終わる。
明日からは、ただのクラスが同じというだけの王太子と伯爵令嬢の関係に戻るのだ。
「あー、うん。まぁ、そうなんだけど」
次に何をおっしゃるのか想像もつかない。
たっぷりの時間をかけて言葉を選んでいる様子だった殿下の唇が意を決したように開いた。
「今日はアイヴィーに会いたいから来た」
直後、わたしは呼吸を忘れた。
「……そ、それは、困ります」
だって、相手は王太子で、婚約者がいたはずで。でも、今は婚約者がいなくて。
でもでも、さっき、マリアさんと結ばれることが目的だって。
あ、でも嫌われたって。
だから、わたしの元へ?
それはあまりにも……節操なしなのではないかしら。
「俺が転生者だってことは他の人には言ってないから。てか、簡単には言えないから。相談に乗ってもらえればって思ったんだけど。ほら、俺のことをもっと知りたいって言ってくれたから。でも、そうだよな。これも俺の身勝手だよな。ごめん。もう来ないから」
頭の中がこんがらがっていて何と答えればいいのか分からない。
殿下は叱られた子犬のように背中を丸めて、トボトボと歩き出した。
「殿下は元の世界に戻りたいのですか!?」
その切ない背中へ問いかける。
「……あのパーティーまでは戻りたかった。多分、今でも戻りたいんだと思う。でも、アイヴィー嬢と話していると自分でいられるっていうか。王太子を演じなくていいような気がして。悪い。さっきのは忘れてくれ」
殿下の言葉が真実なら、彼は見知らぬ世界に放り出されて一人彷徨っていることになる。
事情を話せる相手もなく王太子という重責を背負いながら見えないゴールへ向かって歩いているとすれば、それはとても辛いことなのかもしれない。
「あ、あの!」
気づけば、わたしは窓を開け放ち、叫んでいた。
「次は窓からではなく、玄関から来てください!」
振り返った殿下は驚いた顔をして、困ったように優しく笑った。
「それは友達がすることだ」
「だから友達として会いに来てください」
殿下が勇気を出して行動しているのに、わたしだけが黙っているなんて不公平だと変な思考が働いていた。
「ゲームクリアのお手伝いはします。でも、殿下がいなくなるのは……少し、寂しいです。なので、一緒に考えませんか?」
こんなにも自分の気持ちをはっきりと他人に伝えたのは初めてのことだ。
わたしは取り巻きAでも、悪役令嬢の共犯者でもなく、アイヴィー・ソドロスとしてこれから何をするのかを自分で決めていく。
次に殿下が訪ねて来る時はきっと窓からではなく玄関から。
その時は今日よりも素直に笑えると思う。
……だから、次に来る日を楽しみにしているなんてことはまだ秘密にしておきましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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